10月に署名された日米貿易協定が今国会で可決・成立の見通しとなっている。この協定を巡っては、「米国相手によくがんばった」という声がある一方、「日本があまりにも譲歩しすぎ」「不平等条約そのもの」といった手厳しい意見もある。実際のところ、この協定は日本に不利な不平等条約なのだろうか。また、貿易交渉というのは、どのように進めるべきものなのだろうか。

【その他の画像】

●肝心の自動車追加関税は回避、だが……

 米国トランプ政権は、当初、加盟を予定していたTPP(環太平洋パートナーシップ)協定からの離脱を表明し、貿易相手国と個別に協定を結ぶ戦略に転換した。つまり米国の利益を最優先するというスタンスだが、こうした米国側の動きを受けてスタートしたのが日米貿易交渉である。

 この交渉は19年の前半から続けられてきたが、9月に行われた安倍首相トランプ大統領の首脳会談で大筋合意に至り、10月7日に正式署名された。

 日米交渉の最大の注目点は、日本がTPPで各国と締結した条件と同じ水準を維持できるのか、米国がチラつかせていた自動車の追加関税を回避できるのかという2点だった。日米交渉で常に争点となる牛肉や豚肉については、基本的にTPPの水準で落ち着いたことから、この点に関して及第点だったことは間違いないだろう。

 一方、自動車の追加関税については、見解が分かれている。

 牛肉や豚肉などの農産品は、自由化が進めば国内の農業に大きな影響を及ぼすことになるが、これらの産品は以前から自由化交渉が進められており、農業関係者もある程度は、覚悟を決めてきた。消費者にとっては、安く食品を買えるので、むしろ自由化を歓迎する声もある。

 しかし自動車は、日本経済の屋台骨であり、自動車産業が打撃を受けると、日本経済は総崩れになってしまう。自動車メーカーのほとんどは、販売の多くを北米市場に依存しており、米国に追加関税を実施されると、日本にとっては万事休すとなる。こうした事情もあり、今回の日米交渉では自動車の追加関税回避が最優先された。

●国民に「虚偽説明」した日本政府

 最終的に自動車の追加関税発動は見送られたので、最悪の事態は回避できたという点で、日本側は粘り強く交渉したと評価できる。だが、自動車の追加関税を回避したという話にはウラがあった。

 今回の協定では発動されなかったものの、自動車の関税については交渉が継続扱いとなり、実質的には先送りにされてしまったからである。協定の合意文書には「自動車および自動車部品の関税は、関税の撤廃に関するさらなる交渉の対象となる」と、今後も継続交渉することがハッキリと明記された。

 トランプ大統領は次期大統領選挙を控え、交渉妥結を急いでいた。追加関税を巡って交渉が長引くことは避けたかったものと思われる。一方で、自動車の追加関税は、対日交渉の切り札であり、米国にとっては何としても取っておきたいカードといえる。

 その結果、協定の合意文書には継続交渉が明記され、今後も交渉を続けることになった。つまり米国としては、いつでも「自動車の追加関税を発動するぞ」といって日本に脅しをかけることが可能であり、場合によっては「関税発動を回避したければ、米国製の武器をもっと買え」といった、いわゆるパッケージディール(複数のテーマを絡めて交渉すること)に持ち込むこともできるわけだ。

 交渉というものは、両者の基本的な力関係によって、交渉が始まる前からある程度、結果が見えている。日米貿易交渉について言えば、日本経済が米国経済に大きく依存している限り、最終的には米国の要求をのまざるを得ない。米国からの要求を拒みたければ、米国経済におんぶにだっこという現状から脱却するしか方法はないが、日本人にその勇気や覚悟はないだろう(日本人は自国に対してモノ作りの国だとの意識を強く持っているが、そうであるならば、日本製品を大量に買ってくれる相手国は、突出した消費大国である米国以外にはあり得ず、米国依存からは脱却できない)。

 その点からすると、米国が日本の最大の弱点である自動車の追加関税を手放さないのは当然であり、継続協議扱いもやむを得ないとの見方ができる。

 だが今回の交渉における日本側のスタンスには問題があるといわざるを得ない。その理由は、日本政府が自動車の追加関税を巡って、事実上、虚偽の説明を行っているからである。

●政府が正しい情報を出す保証は全くない

 先ほど述べたように、自動車の追加関税については継続扱いと明記されたが、どういうわけか、この部分については英文のみが作成されており、日本語の文書が存在していない(それ以外の部分については、当然だが、英語と日本語の両方が存在する)。

 しかも、一部の政府関係者が「関税撤廃は約束された」という趣旨の発言を行っており、この発言が拡散したことで、日本が交渉に勝ったというイメージが醸成された。その後、メディア日本語の文書が存在していないことを報じたことで、ようやく事実関係が伝わったというのが真実である。

 近年、メディアが世論に批判されるケースが増えており、一部の国民は「メディアは政府が言ったことをそのまま伝えるべきだ」と声高に主張している。しかし、今回のケースからも分かるように、政府が正しい情報を出す保証は全くない。そもそも政府が出す情報を知りたいのであれば、政府のWebサイトを閲覧すればよいだけの話であり、マスメディアを頼る必要などないはずだ。「メディアは政府の情報をそのまま報道すべき」という話は自己矛盾といってよい。

 スタートする前から交渉の結果はある程度、見えているという交渉術の原理原則に立てば、今回の貿易交渉で追加関税が継続扱いになったことは、やむを得ないというのが客観的な見方だろう。むしろトランプ氏が再選にむけて焦っていることは日本にとってラッキーだったかもしれない。

 政府はこの事実を堂々と国民に説明すればよいはずだが、逆に一連の経緯を隠そうとしてしまった。こうした虚偽の説明があると、他にも隠していることがあるのではないかとの疑心暗鬼を生むのは当然の結果だろう。

 これに加えて、国民への説明に躊躇(ちゅうちょ)している日本政府の優柔不断さは、相手にとって格好の餌食となる。

 次回の日米交渉では、米国が再び厳しい要求を突きつけ、「この文言は前回と同様、日本文には書かなければよいのでは?」と耳元で囁くに違いない。その意味では、今回の交渉は失敗だったと言わざるを得ないだろう。

加谷珪一(かや けいいち/経済評論家

【画像】“不平等条約”と言われることもある日米貿易協定