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フォルクスワーゲン・ビートルがベース

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo: Olgun Kordal(オルガンコーダル)/Adelino Dinis(アデリノ・ディニス)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ポルシェほど、そのブランドの歴史やイメージ形成で南カリフォルニアと密接に結びついている自動車メーカーはないだろう。濃いめのレイバンにタバコTシャツといった陽気な画を思い起こさせる。

鮮やかな黄色い光が降り注ぐサーキットに、青いジーンズを履いたジェームズディーンポルシェ356スピードスター1950年代の金と名声を掛けて、カリフォルニアサンタバーバラからヨーロッパストリートレースまで各地で活躍。今ではカリスマ的なアイコンにすらなっている。

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WDデンゼル1300

そんな356だが、戦時中に疎開していたフェルディナント・エルンスト・ポルシェは、オーストリアのグミュントで設計を進めた。それと同時期のオーストリアには、独自の自動車設計に取り組むヴォルフガング・デンゼルという人物がいた。

ポルシェは、フォルクスワーゲンビートルと軍事用のキューベル・ワーゲン・シリーズで開戦前から実力を発揮していた。一方でデンゼルもポルシェのように、生まれながらの才能を持った優れたエンジニアだったのだ。

デンゼルはフォルクスワーゲンビートルのシャシーと1100ccのフラット4エンジンなどを利用して、プロトタイプを制作する。ボディは独自のデザインで、ラミネート加工された木材とテキスタイルを用いた軽量なものだった。

ポルシェ356スピードスターのライバル

1949年、デンゼルのプロトタイプは、ポルシェ356スパイダーオーストリア・アルプスラリーで対決する。オーストリアのカチュベルクの周辺、総長1280kmを走った。ペチェン峠を超え、ポルシェの工場を囲む山々の道で競い合った。

ポルシェ356プロトタイプでもある、今でも残る唯一のタイプ64はプライベート・レーサーオットー・マテがドライブ。デンゼルは自身のドライブで、自ら完成させたプロトタイプを走らせた。

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未来的な流線型をまとう356スパイダーはリタイアするものの、デンゼルのプロトタイプクラッシュすることもなく、1100ccクラスで優勝する。軽量なロードスターは、クラス内での走行タイムだけでなく、ラリーステージ間でのスピードでも速さを示し、その可能性の高さを見せつけた。

仕上りに納得したデンゼルは、プロトタイプロードーカーとして生産し始める。初期のデンゼルはビートルのシャシーを利用し、ボディはプラスティック製だった。1950年になるとスチール製になり、1952年にはWDデンゼル1300スポーツラインナップに加わる。

WDデンゼル1300スポーツは、特性のボックスセクション・シャシーの上にアルミニウム製のボディが被されていた。フォルクスワーゲンからの部品調達が難しくなったことが理由だった。パワーもぐっと高まり、車重は650kgに収まっている。

ビートルの2倍の馬力を獲得

エンジンも内部構造はフォルクスワーゲンに依存していたものの、大幅なアップデートが与えられていた。デンゼルはカウンターバラストを備えたクランクシャフトを開発。ピストンシリンダーはマーレ社製のものを用い、アルミニウム製のコンロッドの試作も行っている。

アグレッシブなプラグ角を持ち、冷却用のフィンを増やした独自のシリンダーヘッドも設計。ロッカーアームやプッシュロッドオリジナルを開発している。すべてはシンプルフォルクスワーゲン製のクランクケースに組み合わされた。

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これらの開発を経て、フォルクスワーゲンユニットの控えめな36psという最高出力を、数年で2倍に高めることに成功。パフォーマンスとして結果を出す。自動車雑誌のロードトラックでは、「1300ccのスポーツカーレースで勝ちたい本物のエンスージァストが、充分なチャンスを得られる小さな宝石」 と評している。操縦性も高く、レースだけでなく都市部でも運転は簡単だった。

デンゼルの生んだロードスターの血筋は、いま見ても明らか。傾斜した丸いヘッドライトは、もとがビートルであることを主張している。ボンネットライン356とは異なる、空力的にも考えられたカーブを描いている。

近寄って車内を覗くと、直径の大きな3スポークステアリングホイールと、高く伸びたキノコのようなシフトノブが目に入る。これらもフォルクスワーゲンのものだ。サイドシルの大きいボックスセクション・シャシーはビートルの改造に時間を投じた人なら目にする光景でもある。

ラリーで実力を発揮したWDデンゼル1300

燃料タンクやバッテリー、スペアタイヤフロントのボンネット内に集約。リアタイヤの後ろに搭載される空冷フラット4エンジンバランスを取り、前後重量配分は44:56にまとめている。

快適装備はほとんどなく、荷物置き場も充分にない。WDデンゼルはツーリング目的というより、レース参戦を前提としたクルマだった。

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シャシー番号DK32のWDデンゼルの初めのオーナーレース参戦を考えていた。ポルトガルの貴族で水兵でもあったアントニオ・ゲデス・デ・ヘレディアは、偶然ヴォルフガング・デンゼルと出会う。それをきっかけに、ヘレディアはデンゼルのロードスターの輸入業を始める。1953年に初めてデンゼル1300がポルトガルの地に入ると、1番目のオーナーとなった。

DK32は翌年、排気音の大きい1500ccに換装し実戦へ投入される。ポルトガル人の情熱的な仕事ぶりは想像に硬くない。デンゼルの優れた実力を証明し、クルマへの関心を高めたいと考えていたのだろう。

いくつものラリーレースへ参加したが、1956年8月にポルトガルで開かれたサンペドロ・デ・モエル・ラリーでは、クラス優勝と総合2位の成績を残している。WDデンゼル1300の改良は10年以上続けられ、ヘレディアとデンゼルとの交流もあって、1959年には、複数のアップデートを受けるためにクルマウィーンへと戻された。

1959年に手が加えられたナローボディ

珍しい1500ccエンジン1300スーパースポーツユニットへ載せ替えられ、シャシーも1957年から採用していた新しい設計のものに置き換えられた。ボディはオリジナルと大きな違いはないものの、大きく膨らんだ前後フェンダーと、可愛らしい左右に分割した軽量バンパーを備えている。

ボディ中央部は幅が狭められ、従来までの3名掛けのベンチシートではなく、フレームに布地が被せられた分割式の2名掛けへと変わっている。オリジナルはよりライバル356に近いスタイリングだったが、だいぶ異なるボディデザインとなった。

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WDデンゼル1300

1959年に全幅の狭いボディが与えられたことで、WDデンゼル1300は短いホイールベースとのバランスも良くなった。どの角度から見てもコンパクト美しいポルシェに似たフロントエンドと対象的に、丸みを帯びたボートテールと短いオーバーハングが特徴的だ。

ステアリングホイールは大きく、乗り降りには少々邪魔。だが一度座ってしまえば、シンプルで快適なドライバーシートだとわかる。運転姿勢も良く、クルマの4隅が掴みやすい。

今のオーナージョアン・テベス・コスタが見事なレストアを施しているが、シートシンプルダッシュボードにはグレーのレザーが張られている。快適性を与えてくれるのはその程度で、残りの車内は質素で実用主義。助手席用の小さなハンドルと、低い位置にリアミラーが付いているくらいだ。

WDデンゼル1300の試乗インプレッションは後編にて。


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WDデンゼル1300

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