(水野 壮:NPO法人食用昆虫科学研究会副理事長)

JBpressですべての写真や図表を見る

 カマキリのオスは、交尾時にメスに食べられてしまうことがある。オスはメスから捕食されつつも、交尾を継続している。このように昆虫は身体部分の除去や損傷をしても、(少なくとも傍目からは)通常と変わらずに行動し続けることがある。

 これは、脊椎動物が痛みに対して行う振る舞いとは大きく異なる。そのため、昆虫は痛みを感じていないものとみなされてきた。

 しかし、カマキリの羽や脚を切除しようとすれば、あたかも痛みを排除するかのように攻撃的になる行動が見られる。バッタも、カマキリなどに食べられる際は手足や触覚をバタつかせ、もがき苦しんでいるようにも見える。

 はたして昆虫は、痛みを感じているのだろうか。

「痛みセンサー」は持っている

 近年の研究では、キイロショウジョウバエを皮切りに、さまざまな昆虫が、痛みを刺激として受け取るセンサーを保持していることが明らかになった。そして、その痛みセンサーである「受容器」は、哺乳類が保持している痛みの受容器と進化的に近いものであることが分かっている。昆虫は、我々と同様、痛みを検出できる受容器を有しているのである。

 しかし、これらのことを考慮しても直ちに「昆虫が痛みを感じている」と言えるわけではない。刺激に対して「痛いと感じる」機能は受容器ではなく、脳にあるからだ。つまり、受容器の存在は、ある刺激を検知できるかどうかを示すに過ぎない。

 ヒトや昆虫には、脳から伸びる太い中枢神経系と、そこから無数に体表面へ伸びる末梢神経系がある。ヒトの場合、まず、身体に損傷を及ぼす刺激が、皮膚や内臓表面に存在する受容器を通じて、抹消神経の末端で受容される。そして、受容された刺激は、中枢神経系に到達し、最後に大脳で痛みが知覚されるのだ。

「痛い」という感情はあるのか

 ヒトの大脳がさまざまな感情の表出に寄与することは言うまでもない。とりわけ生物の中でも最も発達した大脳新皮質こそが、感情を生み出していると考えがちだ。

 しかし、感情の基盤は、大脳新皮質より深部に存在する大脳辺縁系にあることが明らかになっている。1937年、アメリカの神経解剖学者ジェームス・パペッツによって提案された「パペッツ回路」を皮切りに、感情(科学では情動という言葉で表す)を生み出す部位は帯状回、海馬、扁桃体などを含む大脳辺縁系から惹起されることが提案されている。

 このことを踏まえ、科学者の中には、大脳辺縁系が大脳の大半を占める魚類にも痛みを感じる可能性を指摘する人もいる。しかし、魚類どころか、さらに人とは進化的にほど遠い昆虫はどうなのかがこの記事のテーマである。脊椎動物内ですら結論がつかない中で、昆虫なぞ痛みを感じる話にはならないというのが多くの考えだろう。

 たしかに昆虫には脳はあるものの、ヒトの大脳のような構造は持たない。そもそも、大脳辺縁系と呼ぶべき構造もない。さらに昆虫の微小な脳を構成するニューロン数は、ヒトの脳の10万分の1以下。ヒトとかけ離れた微小な脳に、痛みに苦しむ感情を持つ必然性やその余地はあるだろうか。

生命の「痛みの基盤」は5億年もの太古から獲得されていた

 これまで、昆虫とヒトの脳は、系統的にそれぞれ独立に獲得されたと考えられてきた。しかし、近年、東京大学の伊藤啓氏らの調査で、五感のすべてについて、昆虫と哺乳類の感覚神経の基本回路構造がほぼ同じであることが明らかになった*1。このことは、生命の神経基盤は、脊椎動物や無脊椎動物の区別なく、太古の昔より獲得されたものだということである。

 チャールズダーウィンは、苦痛などの情動(感情)はヒトに限らず多くの動物種で共有されていると主張した。痛みを持つ生物は、生存に不利になる体験を回避していくことで、自然選択でも有利に働いただろう。さまざまな場所へ行動する動物が、痛みを感じる能力を広く獲得していたとしてもそう不思議ではない。

 現在の知見では、痛みを感じる基盤はカンブリア紀以降で獲得されたといわれている。さまざまな形質をもつ多細胞生物が、地球上でようやく活躍し始めた、5億年も前の時代である。おそらく痛みの基盤は他個体との関わりを通じて、意識や感情へと深く結びついたのだろう。

*1:https://www.amed.go.jp/news/release_20171103.html

昆虫や無脊椎動物の痛みの研究が進められている

 西欧では脊椎動物の魚類だけでなく、無脊椎動物においてもタコやイカなどの軟体動物、節足動物では昆虫のほか、エビやカニにおいて研究が進められてきている。これらの動物は痛みを受けた場所を避けるような行動(逃避行動)や、痛みを受けた部分をかばうような行動(保護行動)をするという報告が上がっている。昆虫においてもショウジョウバエやミツバチコオロギなどで逃避行動がみられている。

 さらに、興味深いことにモルヒネ鎮痛剤として利用される)を接種できる区画を設けたところ、脚を切除したミツバチモルヒネ接種を行う傾向がみられている。このことはヒトと同じ痛みを感じる仕組みを持ち、それを回避する行動を進んで行うことを示唆している。こういった鎮痛剤摂取行動はコオロギカマキリ、ゴキブリにおいてもみられる。

 痛みの刺激源を回避する行動から、痛みに対して何らかの負の感情を持つという考え方はできよう。ただし、痛みに対しどれほど負の感情を持つのか(苦しみの程度)は未知である。苦しみに程度があるか自体も議論の余地があるが、我々がさまざまな深さの痛みを体感できることを考慮すれば不自然な考えではないだろう。

 また、痛みに対して苦しむことは、自身が苦しんでいるのが分かること、つまり意識や主観性の有無にもつながる議論となる。昆虫に主観性が存在することは近年、オーストラリアの生物学者アンドリューバロンが提唱しているが*2、それに異を唱える科学者もおり、論争が続いている。残念ながら、意識や主観性がどのように生命で発現するのかは、現在のところ直接科学的に証明する術がないのである。

*2:https://www.pnas.org/content/113/18/4900

昆虫の痛みの程度を議論する時代に

 神経科学の第一人者であるアントニオ・ダマジオは、一部の無脊椎動物の中枢神経系の設計が人間のものに類似することを踏まえ、社会性昆虫も単純ながら感情や意識を持つ可能性があることを指摘している。

 昆虫は、おそらく我々と同じような質の苦しみを感じているわけではないだろうが、他個体との関わりを持つ種ほど意識の発達度合いは大きいことが予想される。特にミツバチやアリなどの社会性昆虫は、他個体との深い関わりの中で高度な認知能力や主観性が要求されることが予想される。このことから、苦痛の度合いは昆虫種によって異なることが十分考えられる。

 ここまで考えると、昆虫が「痛みを感じるか否か」の0か1ではなく、「どういったことに、どの程度感じるか」が有意義な議論のように思える。

 哲学者ベンサムやシンガーなどに代表されるように、動物倫理は動物の苦痛の排除を大きな目的のひとつとして発展してきた。生命倫理学においても、生命科学で得られた知見が生かされ発展してきている。しかし、その主な対象は我々ヒト、あるいはせいぜいヒトに近い哺乳類、特に家畜、実験動物に絞られてきた。

 これまで見てきたような生物学的見地に立てば、もはや哺乳類や脊椎動物のみに絞る理由はなくなってきている。あらゆる生物のゲノム解析が進む時代に、昆虫も含めたさまざまな生命の倫理について大いに議論すべきである。それによって、さらにヒトや家畜動物における倫理や福祉も補強されていくことになるだろう。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  ヒアリの侵入で日本の生態系はどうなる?

[関連記事]

ゴキブリでテラフォーミングは可能か

世界の食糧危機を救う?「家畜化」進む食用昆虫

昆虫が痛みを感じることはあるのだろうか。