日本で一番強力な怨霊といえば?

日本三大怨霊は、菅原道真崇徳天皇平将門

この三人(三体?)は、その呪いによって著名な人物を死に追い込んだとされます。となると、日本の歴史は呪いによって変わったと言っても過言ではなく「日本三大」という括りにも、異論はほとんど聞かれません。

しかし、呪いの強さを「死に追いやった人数」に換算すると話は変わってくるのです。

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「明暦の大火」という江戸時代の大火事をご存知の方も多いかと思います。歴史の教科書にも載っているこの一大事の裏に、実は「呪い」が動いていたという話があるのです。

明暦の大火、資料によってはその死者の数は10万人を超えると言われています。

東日本大震災の死者の数が1万6000人ほどであることを考えると、想像を絶するような大火事だったことがわかるでしょう。

この出火元が、かつて本郷にあった「本妙寺」であるといわれています。

 

 

現在は巣鴨駅近くに建つ本妙寺は、立派な山門と鐘楼を持つ日蓮宗の名刹です。

時は江戸時代、西暦でいうと1654年の春。

大きな商家の娘が花見に出かけました。そこでほんの一瞬見かけただけの男性に彼女は恋をしてしまいます。17歳の彼女の恋心はこの上なく深く濃いもので、食うものも食わず夜も眠れずで恋わずらいの病床に伏してしまいます。

家族は心配してその男性を探しましたが、花見の雑踏ですれ違っただけの男性を見つけられるはずもなく、数ヶ月後、彼女は衰弱して命を落としてしまうのでした。

 

 

彼女の葬儀が行われたのが、当時は本郷にあった「本妙寺」。

棺には彼女が花見にも着て出かけたお気に入れの振袖がかぶせてられ、葬儀はつつがなく終えられ、彼女はその美しい振袖とともに火葬されました。

それから一年、彼女の家族が本妙寺に一周忌の法要に訪れたところ、ある葬儀に出くわします。その棺にかけられていたのは、一年前に亡くなった彼女の振袖だったのです。

不思議な縁を感じて話を聞いてみると、亡くなったのは同じ17歳の女の子で、振袖は一年前に質屋で購入し着ていたとのこと。

二つの家族は、こんな偶然があるのかと思い驚いたといいます。

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なんと恐ろしい結末に……

それからさらに一年、最初に亡くなった彼女の家族は三回忌、次に亡くなった女の子の家族は一周忌の法要で、再び本妙寺で再会します。

そこでなんとまた葬儀が行われており、驚くべきことに棺にはあの振袖がかけられているのです。

二つの家族は大層驚き、葬儀を行なっている家族に聞いたところ、なんとそっくり同じ境遇で同じ17歳で亡くなった女の子の葬儀だということを聞かされます。

実はこの振袖、女の子がなくなる度に一緒に焼かれずに密かに質に売られていたとのこと。

しかし、この事情を知った三つの家族が流石に振袖を薄気味悪く思い、合同で施餓鬼供養を行って彼ら自身の手で振袖をお焚き上げすることにしました。

そして振袖に火をつけた瞬間、突然に北から一陣の風が吹き、炎が延焼をはじめます。

それを機に火は家から家、町から町にひろがっていき、江戸中を火の海にしたのです。前述の通り、その死者は10万人を超えるとも言われ、天下泰平の象徴だった江戸城までをも西の丸を残して全て焼いてしまいます。

その後、現在も江戸城の天守閣がないのはご存知の通り。

そのため明暦の大火は「振袖火事」と言われているのです。

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本妙寺のお堂の裏には、そんな振袖火事の死者を供養する塔と仏像が祀られています。

その振袖がもともと誰のものだったのか、また、なぜこれほどまでにも強烈な呪いを残したのかはわかっていません。

それでも、一着の振袖が歴史的な大事件を巻き起こしたということに、日本三大怨霊に勝るとも劣らない呪いの力を感じずにいられないのです。

 

 

しっかりとお参りをしてまいりました。

 

 

ついでといってはなんですが、本妙寺境内には江戸時代のスターの一人である、遠山の金さんこと遠山金四郎景元のお墓もあります。併せてお参りするのもよいですね。(Mr.tsubaking連載 『どうした!?ウォーカー』 第47回)

※本妙寺側は、振袖火事の原因を隣接する武家屋敷の膝下によるものと言っています。

⬛本妙寺
東京都豊島区巣鴨五丁目35−6