大学入試の1次試験に「記述式試験」が不向きであることを、この連載では客観データを参照していままで解説してきました。
しかし、もう一つ重要な観点として「主観的な評価」を今回は検討してみたいと思います。
「主観評価? そんなもの、個人の勝手だろう! どうやって評価するのだ?!」とご指摘をいただくのは分かっています。
これはつまり、皆さんご自身に「記述式試験」の問題を考えていただいて、それを通じて読者の方が100人あれば、100通りの異なる形で
「記述式試験を1次学力考査に採用など、あり得ない」ということを体感していただければというPBL(Problem-Based-Learning)の試みにほかなりません。
以下では小学生に出題する問題を皆さんに考えていただくことから始めましょう。
問題 今年2019年も、様々なことがあったが、後残すところ3週間ほどになった。そこで、以下の計算が成立するよう(ア)から(エ)に入る、1桁の整数を決定してみよ。記述式の出題であるので、必ず答えに至る道筋も示すこと。
2019=(ア)×1001+(イ)×110+(ウ)×101+(エ)×1
(考え方)
答(ア)____(イ)____(ウ)____(エ)____
(2) この計算を考察して、気がつくことを記せ。
この問題が問うていることが何であるかは、小学校の高学年生でも理解できると思います。
これに解答するのが、小学生にとってどれくらい難しいことかは、大学教員生活も四半世紀になりなんとしている私には、実はよく分かりません。
というのも、21世紀の小学生たちは、かつての昭和平成の子供たちと相当異なっているらしいとしばしば聞き及ぶので、あまりおかしいことも言えないと思うからです。
しかし、この問題に対する中学高校生のリアクションは、大体の手ごたえをつかんでいます。
というのも、この問題とほぼ同一の問いを、私は中学高校生に対して出題したばかりだからです。
2010年代に入ってから、私は日本学術振興会の主催する「ひらめき☆ときめきサイエンス」(https://www.jsps.go.jp/hirameki/)という、中学高校生向けに科研費研究の成果を教えるプロジェクトの中で「東京大学白熱音楽教室」というものを開いています。
毎年、春に情報を公開すると、100人の予選人員がすぐに埋まってしまいます。
そこで、本番に参加できる15人~20人ほどの学生を選抜するべく、セレクション課題を出題するのですが、上の問題は、実はその一つとほぼ同じものです。
小学生のためのフーリエ解析入門
先ほどの出題、算数なぞなぞのように見えるかもしれません。実際、そのようにアプローチしてもらっても、全く構いません。
しかし、問題を考えたサイド、つまり私の「狙い」は全く別のところにあります。
この問題は 「小学生のためのフーリエ解析入門」 という東京大学作曲指揮研究室の定番のイントロダクションで、東京でもパリでもベルリンでもローマでもボストンでも同じ問題から出発して「白熱音楽教室」を指導します。
白熱といっても、マイケル・サンデルのようなパフォーマンスではなく、科研費研究成果のフィードバック授業ですので、きちんと中身のあるオリジナル先端の成果を値引きなしに教えるもので、こうしたものは大学院生に教えるのが一番楽です。
それよりは面倒ですが、大学生に教えることもそこそこ可能です。
高校生に教えるのは相当面倒です。中学生に教えるのは至難と言っていいでしょう。小学生に教えるのはほぼ「不可能」と言われる場合があります。
しかし、私たちは、科研費研究成果から得られた小学生に分かるように伝えるノウハウを、学生諸君とも不断に議論しつつコンスタントに進めています。
もっとも前提知識のない諸学者に教えることができてこそ、本物の実力で、いやしくも理論家を名乗るのであれば、同一の問題に7通りの別解を示せて初めて、その資格があると考えています。
これは20世紀米国の物理学者リチャード・ファインマンの言葉ですが、これを座右に初学者に丁寧に教えることを、東京大学伊東研究室では常に学生たちには奨励しています。
さて、さき先ほどの問題ですが、皆さんならどのように考えられますか?
この問題がどうして「小学生のためのフーリエ解析入門」であるかは、今回の稿をご好評いただけるようであれば、続稿を準備してそこに記すようにしたいと思います。
問いを再度記してみましょう。以下の「アイウエ」を計算せよというものです。
2019=(ア)×1001+(イ)×110+(ウ)×101+(エ)×1
例えば、こんなふうに考える人がいるかもしれません。これを「第1の子供」のアプローチと便宜的に呼びましょう。実際にこういう解答を提出した子があります。
和が 2019 だというのだから(ア)の答えは2だろう。だとすると
2019=2×1001+(イ)×110+(ウ)×101+(エ)×1
=2002+(イ)×110+(ウ)×101+(エ)×1
だから
17=(イ)×110+(ウ)×101+(エ)×1
ということは(エ)=17で、(イ)と(ウ)はゼロだろう。
このように解答すると、結果的には×がつきます。というのも。出題は「0ないし1桁の自然数」で答えよ、となっているので (エ)=17 は正解にならないから。
でも、上のような考察から、正解に到達する人がいるかもしれません。
また、少なくとも(ア)=2であるのは正解です。だとすると「部分点」は上げなければならない。
ではどのように採点して枝点を「公正に」与えればよいことになるでしょう?
異なる複数のアプローチ
さて、全く視点を変えると上の問題をこんなふうに考えることができるかもしれません。これを「第2の子供のアプローチ」と呼ぶことにします。
各々の桁の数
1001-1=1000
101-1=100
110-100=110-101+1=10
1=1
であるから
(1001-1)×2+
(101-1)×0+
(110―101+1)×1+
1×9=2019
これを整理しなおすと
(1001)×2+
(110)×(0+1)+
(101)×(-1)+
(-2-0+1+9)=
(1001)×2+(110)×1+(101)×(-1)+8=2019
となりそうです。実際に検算してみると
2002+110-101+8=2019
となるので、各係数を比較して
(ア)=2 (イ)=1 (ウ)= -1 (エ)=8
以上解答終わり・・・
こうすると、計算間違いをしない限り、4つの答えが一挙に求められます。
先ほどの一つひとつの桁を比較して考える「第1の子供」の答案と「1000の位」「100の位」「10の位」そして1の位すべてを系統だって考える第2の子供の答えとでは、方針がかなり異なっています。
しかし受験者に各々応分に部分点を加点してあげないと、入学試験の採点としては不公平になってしまいます。
第1の子供と第2の子供、あるいは第3、第4の異なる解答方針の子供の答案をどのようにすれば公平に採点してあげることができるでしょうか?
画一採点の不幸と奪われる子供の好奇心
一面、画一的に採点しないと不公平になってしまいます。他方、数学や物理、あるいは音楽や芸術のような教科はすべて、およそ画一的ではなく、多彩多様な解答が可能です。
だから、毎年飽きもせずにノーベル賞やフィールズ賞のような学術賞がネタ切れにならず、新たな創造的な研究や創作の成果が出続けるのです。
19世紀オーストリアの物理学者で統計力学を建設したルートヴィヒ・ボルツマンは「物理の本質はその自由にある」という名言を残していますが、実際、数学や算数はおよそ多彩な思考の結果にほかなりません。
いまの日本の(率直に言えば低レベルな)問題の強制は、これらの自由を圧殺し、画一的でパターンにはまった「問題解き」が数学や物理であるような、誤った不幸な錯覚を子供たちに与えます。
昨今、AIやフィンテックで先進各国に目覚ましいイノベーションの展開がありますが、日本のビジネス現状はおよそお寒い限りのように映ります。
その大きな原因として、システム構築が自在な世界でなく、すでにあるパターンを踏襲して×のつかない答案を捏造する、窒息しかけた知の退廃であると勘違いした、大変に残念な初等中等教育があるように思います
このあたりのメカニズムに踏み込む予定稿を準備しましたが、ここで紙幅となりました。続きは続編に記したいと思います。
(つづく)
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 「足切り」から考える記述式1次試験の不合理
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