(川島 博之:ベトナム・ビングループ、Martial Research & Management 主席経済顧問)

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 中村哲医師がアフガニスタンで殺害された。この事件は日本に大きな衝撃と悲しみをもたらした。なぜ中村医師は殺害されたのだろうか。犯人たちが捕まれば動機を解明することも可能だろうが、アフガニスタンの国情を考えるとき、そのような展開は望み薄だろう。

 中村さんは灌漑施設の建設に携わっていた。2008年には中村さんと共に灌漑施設の建設に携わっていた日本人青年が殺害されている。そんなわけで、この犯行は灌漑施設の建設に関係があると見てよいだろう。

 しかし、なぜ、アフガニスタンで灌漑施設を建設しようとすると命を狙われるのであろうか。

人口増加に追い付かない食料生産

 ここでは農業と食料供給の観点からこの問題を考えてみたい。まず食料供給をめぐるアフガニスタンの現状について概観しておこう。

 アフガニスタンでは人口が爆発的に増加している(図1)。その増加速度は年率2%を上回り、サハラ以南のアフリカ諸国と同じような状態にある。このような状況では経済成長は難しく、また食料供給にも困難をきたす。

 それは図2に示す1人当たりの穀物供給量を見ても明らかである。21世紀に入ってからの1人当たりの供給量は200kgを少し上回る程度で推移している。これは人間がぎりぎり生きてゆくことができる水準である。中村氏が医療よりも灌漑施設の整備に力を注いだ理由がよく分かる。

 アフガニスタンは山と草原の国である。草原と言っても緑豊かな草原ではない。荒れ野と言ってよい。太古から荒れ野で山羊や羊の放牧が行われてきたが、その人口扶養能力は限られる。だから1961年の人口は910万人でしかなかった。だが、それが2019年に3700万人になった。約50年で4倍である。

 人口増加を支えたのは小麦などの穀物生産である。しかしあまりに人口増加速度が速いので、食料生産が追いつかなくなってしまった。だから食料が不足して、それを見た中村氏は灌漑施設を建設しようと思い立った。

 中村氏たちが作った灌漑施設は1万6500ヘクタールの荒地を緑豊かな農地に変えた。だが、国全体を見ると灌漑面積は増えていない(図3)。そもそも水の少ない地域では灌漑面積を大きく広げることは難しい。

 そんな状況でも人口が急増している。それは不足気味とはいえ食料があるからだ。本当に食料が不足すれば、人口が増えることはない。

 それではアフガニスタンはどのようにして増加し続ける人口を養っているのであろうか。その答えは穀物の輸入にある(図4)。21世紀に入って輸入量が増えている。2017年の穀物自給率は61%にまで低下している。消費する穀物の4割を輸入に頼っていることになる。

 現代において穀物の価格はそれほど高くない。1トン250ドル程度である。アフガニスタンの人々は平均で約100kgの穀物を輸入に頼っているが、100kgの穀物を輸入するのに要する費用は25ドルに過ぎない。そのために1人当たりGDPが600ドル程度のアフガニスタンでも穀物を輸入することができる。これが食料をめぐるアフガニスタンの現状である。

「水争いが原因」は考えにくい

 このような状況の中で灌漑施設を作っていた中村氏が殺害された。犯人は複数で計画的に、強い殺意を持って犯行に及んだとされる。犯人は何に対して激しく怒っていたのであろうか。

 第1に考えられるのは水争いである。

 図3から分かるように、アフガニスタンの灌漑面積は増えていない。水資源が限られるために、ある場所を灌漑すれば下流域は水を利用できなくなる。その恨みが中村氏殺害につながったとも言われている。

 しかし水争いで、本当に人を殺すのであろうか。中村氏を殺害したところで水争いは解決されない。下流域に住む人が中村氏を殺害すれば、犯人は容易に特定されよう。そうなれば下流域の人々の立場はよけいに悪くなる。よくよく考えれば、水争いが原因とは思えない。もっと深い闇が隠されている。

穀物より、もっと儲かる作物とは?

 筆者はこの事件には麻薬栽培が絡んでいると考えている。

 アフガニスタンは麻薬の一大生産国である。治安が極度に悪化しているために、当局は麻薬栽培を取り締ることはできない。その結果、多くの地域で麻薬が作られており、それはイスラム過激派の重要な資金源になっている。中村氏はそのような状況をよく知っており、人々が麻薬を栽培しなくても生活できるように、灌漑施設の建設に力を入れた。

 しかし先にも述べたように穀物は安い。中村氏らの努力によって農民が1ヘクタールの農地(アジアの農民が保有する平均的な農地面積)を手に入れたとしても、そこで生産できる小麦は4トンほどに過ぎない。小麦価格は1トン250ドル程度であるから、売り上げは1年間に1000ドルほどにしかならない。約10万円である。それは売値であり、そこから種苗や肥料・農薬などの入手に必要な費用を差し引くと、手元に残るお金はいくらにもならない。小麦を栽培すれば飢えからは解放されるが、豊かにはなれない。

 灌漑施設によって優良な農地を手に入れた農民は、表面的には中村氏に感謝していたと思う。しかし心の内には葛藤を抱えていたのではないか。それは麻薬を栽培すれば儲かるからだ。

 そんな雰囲気の中で、イスラム過激派は以下のように考えていたに違いない。

 穀物は安い。そして国際市場からいくらでも買い付けることができる。アフガニスタンは貧しい国なのだから、なにも儲からない小麦などを作る必要はない。麻薬を作って闇で売りさばけば、もっと大きな収入になる。食料は、麻薬を栽培して儲けた金で海外から買えばよい。

 イスラム過激派には、灌漑施設の建設がアフガニスタンを永遠に貧しい農業国に縛り付けるための行為に思えた。そこに先進国の「偽善」を見た。だから激しく憎み、計画的な殺害に及んだのではないだろうか。

 先進国の人間がよかれと思ってする行為が、途上国の一部の人々には「偽善」に見えてしまうことがある。今回の事件はその典型のように思えてならない。

 イスラム過激派についてはいろいろと語られているが、我々が彼らの怒りの根元を理解することは難しい。今回の事件は図らずも、我々と彼らとの間に深い闇が存在することを思い知らせてくれた。

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