12月11日、インドのサティシュ・ダワン宇宙センターから、PSLVロケットが日本初の小型SAR(合成開口レーダー)衛星「イザナギ」の打ち上げに成功した。
「イザナギ」は、福岡県福岡市のスタートアップ・QPS研究所が、北部九州の約20社の企業と共に開発した衛星だ。レーダーを使うことで昼夜・天候問わず、24時間観測可能。2024年頃を目標に36機のコンステレーション(衛星群)を構築し、車が識別できるほどの分解能で約10分に1回観測。「リアルタイム観測マップ」の構築を目指す。
QPS研究所の“QPS”とは「Q-Shu Pioneers of Space」、つまり九州の宇宙開発のパイオニア集団である。設立は2005年、百数十もの特許を持つ八坂哲雄九州大学名誉教授らが立ち上げた。九州大学で八坂氏らの下で学んだ大西俊輔氏(33)が、2014年から新社長(CEO)に就任。2017年11月には、23.5億円の資金調達に成功した。これはシリーズAの調達としては九州発ベンチャーで最大規模だ。
QPS研究所は「九州に宇宙産業を根付かせる」というビジョンを掲げる。実際、約15年にわたって北部九州の地場企業(北部九州宇宙クラスター)とタッグを組み、画期的な技術開発を成功させている。その蓄積の上に今回、小型軽量化が難しいとされてきた小型SAR衛星の開発に成功。従来の20分の1の重量、100分の1のコストで、宇宙で大きなアンテナを広げるユニークな衛星を完成させたのである。
打ち上げに先立つ11月、筆者は「今、九州の宇宙開発がとんでもなくアツいらしい!」と聞き、福岡へ飛んだ。QPS研究所をはじめ、北部九州宇宙クラスター数社などを駆け巡り取材する中で、最も感銘を受けたのは「スタートアップと地元企業の対等で濃いモノづくり関係」。その詳細を数回に分けてレポートする。
まず第1回はQPS研究所。CEOの大西俊輔氏と研究所長である八坂哲雄氏、おじいちゃんと孫ほど年の離れた2人の話から始めよう。
「リアルタイム観測マップ」をどう実現するのか
この連載では以前、世界が今「小型SAR衛星黎明期」にあり、欧米の企業が相次いで実証機を打ち上げたこと、日本のスタートアップ・シンスペクティブが「衛星からユーザの課題解決までワンストップサービス」を売りに参戦しようとする現状を紹介した。一方、QPS研究所は日本で初めて小型SAR衛星を打ち上げたことになる。
日本初の小型SAR衛星「イザナギ」の特徴は?
「まずは1mの分解能で定常的にデータを取ることです。他社の衛星でも瞬間的に1m分解能のデータを取ることは可能です。しかし(他社衛星の場合)、基本の分解能は3mともう少し粗いため、1m分解能で撮影できる時間が短く、撮影した場合も充電して次の撮影までに時間がかかります。一方、我々は常に1mの分解能で撮影することを目標にしています」(大西氏)
競合他社の衛星の分解能は概ね3m。なぜQPS研究所の衛星は常に分解能1mで撮影できるのか。そのカギは衛星のアンテナにある。
そもそもSAR(合成開口レーダー)は地上に強い電波(マイクロ波)を発射し、地表から跳ね返ってきた電波を受信することで観測する。宇宙空間を通る強力な電波を出すことが求められ、大電力が必要だ。そのため小型軽量化が技術的に難しかった。
だが、大きなアンテナがあれば電波を増幅することで出力が高まる。打ち上げ時には小さく収納したアンテナを、宇宙で大きく広げることができないか。『アンテナ開発の経験豊富な八坂氏×北部九州宇宙クラスターのモノづくり力』で、10kgと軽量ながら展開時直径3.6mもの大型アンテナ開発に成功。このアンテナがQPS衛星の最大の特徴であり「肝」である。
もうひとつの売りは観測頻度だ。36機のコンステレーションが実現できれば、世界のどこでも約10分間隔で観測可能。他社衛星は1日1回~1時間1回の頻度が目標なのに、なぜ10分に1回もの観測頻度を目標とするのか?
「移動体の動きを見ることが強みと考えています。我々の衛星は1m分解能で地上を走る車が識別できますが、車の動きを捉えるなら1日に1回では意味がない。1時間に1回でギリギリ。できれば10分ごとの変化を見たい」(大西氏)
例えば、競合店舗に停まっている車の台数をカウントし売れ行きを把握、テーマパークや高速道路の渋滞状況、人や車の数や動きを可視化するなどして、未来予測に役立てる。
「目標は『リアルタイムの観測マップ』の実現です。個人的には中洲の複数のラーメン屋台の行列を見て、『ここは人が少ないな』と思ったらすぐに行きたい(笑)」(大西氏)
大西氏は、冬にスノーボードに行こうと近くの山をGoogleマップで見たら、夏山の写真が出てきたという。「Googleマップでは今欲しい情報が得られない」と感じた問題意識が、ビジネスのヒントに繋がった。
5~6年で「店」を閉めるつもりだった
そもそも、QPS研究所はどんな目的で立ち上げられたのか。きっかけは、八坂氏が九州大学で定年を迎えたことだった。
「宇宙関連プロジェクトを一緒にやってきた同い年の仲間3人が定年になり、やりたいことを続けたいと有限会社を立ち上げたんです」(八坂氏)
会社設立と前後して八坂氏は「あなたの技術を宇宙に持って行きませんか」と九州内を行脚。「我々は宇宙に関するこんなことをやっています。この部分が足りません。一緒にやりませんか?」と。
企業からは「でも、宇宙って大変でしょ」という反応が多かった。八坂氏はこう踏み込む。「いやいや、振動環境は自動車の方がよっぽど大変だし、車のボンネットの中は高温になりますよね。(宇宙と地上環境で)違うのは、真空と放射線です」と。「『それならできる』と反応がものすごくあったんです」。その数は約200社にのぼった。
こうして地場企業とQPS研究所とのモノづくりが始まった。2014年には小型衛星「QSAT-EOS」の打ち上げに成功、大学へ大型アンテナを納品、導電性テザーをJAXAと共同研究開発するなど、JAXAや大手企業、大学などと多数の実績を積み上げてきた。
特徴は、大学が発注してメーカーが作るという従来の関係でなく、アイデア段階から議論し共に作り上げる「対等な関係」。その背景には「技術の蓄積をどう伝え残すか」という八坂氏の問題意識があった。
「大学にはモノづくりの施設がないし、人が入れ替わるから、成果を蓄積できない。一部はQPSに、残りは地場企業に蓄積を残したい。企業は自力で得意なものを作って販売すればいいし、我々もアイデアを伝えるだけで形にしてもらえて助かる」(八坂氏)
こうした地場企業との二人三脚を、学生時代から見てきたのが大西氏だ。QSAT-EOS衛星ではプロジェクトリーダーを務め、全国の大学や企業、JAXAの10以上の小型衛星開発に参加。その過程で「学生が思いついたアイデアをすぐに企業さんが物にして下さる。そんな地域は全国でほとんどなかった。それなのに周りの学生は卒業後、東京や東海地域の企業や研究所に就職し九州に残らない。ぜひこの関係を九州で発展させたいと思って」、博士課程卒業後、QPS研究所に入社したいと八坂氏に直談判した。
「正直なところ、しばらくしたら店じまいするつもりだった。でも『入るなら社長をやれ』と。実際に(大西氏が社長になって)良かったと思うのは異業種との連携。我々はどうしても航空宇宙関係者中心に仕事を進めてしまう。でも彼の場合は異業種など付き合う範囲が非常に広い。『へー、面白い。これはまねできないな』と」。八坂氏は目を細める。
2014年3月、大西氏がQPS研究所の新社長になると、73歳だった同社の平均年齢が54歳にぐっと引き下がった。その後も若い仲間が増え続ける。
今までにない衛星で新しい世界を作りたい
社長に就任した大西氏は、会社の方向性を模索し始めた。
「企業や大学から発注を受けて、他の人がやりたいことを実現するだけでは楽しくない。今までにない独自の衛星を作りたい。調べると、光学衛星は既に世界中の衛星ベンチャーがひしめいていた。一方、レーダー衛星には小型衛星がない。『小型×レーダー衛星』なら新しい世界が作れるのではないか」(大西氏)
「小型×レーダー衛星」の鍵を握るのは、小型衛星に搭載できる大型アンテナの実現だ。アンテナなら、八坂氏は元々、NTT研究所でアンテナ開発をやっていた専門家。さっそく「『小さく搭載できる大型アンテナはできないですか?』と聞くと、八坂先生が『できるよ』と。一番大きな技術的ハードルがクリアできる。『これは行ける!』と思いました」(大西氏)。
小さくたたんで大きく開く、アンテナの仕組み
一方、相談を受けた八坂氏は、どう思ったのか?
「最初は本当にこんなことやるのかな? と思いましたよ。しかもビジネスとしてやりたいというわけだから。でも、何が必要かと突き詰めると、衛星本体は今まで十分に実績がある。新しいのはアンテナだけ。アンテナなら『よし、まかせとき!』というわけです」(八坂氏)
1970年代、八坂氏はNTT研究所で衛星用アンテナを担当。炭素繊維強化プラスチック(CFRP)を採用した軽量アンテナを技術開発し、日本初の通信衛星「さくら」に搭載され打ち上げられた。CFRPを宇宙で使ったのは初めて。つまり、日本の衛星用アンテナ開発のパイオニアなのである。
小型SAR衛星用大型アンテナの研究開発はどう進められたのか。具体的には、1970年代以降、欧米で実例がある衛星用アンテナの考え方を応用しつつ、小さく収納し軽量化を実現するために研究を重ねた。「工夫したのは、リブ(骨組み)に安価で薄い板ばねを使ったこと。また、コンパクトに収納するため畳み方も独特です」(八坂氏)。モーターなど機械的な可動部がなく、ばね材をぐるぐる巻きつけることで、ひずみエネルギーを蓄え、その復元力だけでアンテナを開く。QPS研究所の特許技術だ。
骨組みのばね材については、福岡県糸島市にある峰勝鋼機と試行錯誤を繰り返し、最終的に平板ばねを採用。薄い板を2枚合わせてサンドイッチ構造にし、その間に金属体を挟んで強くした。「骨組みをどういう貼り方にしたら綺麗にアンテナが開くか、100回以上展開実験をしました」(八坂氏)。
さらにアンテナにしわが寄らないように、素材の金属メッシュをどう縫い合わせるかも課題だった。実験時は手縫いしていたが、どうしても皺がよる。アンテナの表面は1mmオーダーの精度が求められるのに、性能が満たせない。
企業と議論を重ね、北部九州クラスターの中でも「円陣スペースエンジニアリングチーム(e-SET)」とよばれるグループが探してきたのが、高級車のシートを縫製するカネクラ加工(福岡県大川市)。立体的に縫製する知見があり、目標性能を見事にクリアした。
進む2号機の開発、「宇宙工学の梁山泊」が目指すのは?
技術開発だけでは衛星ビジネスは成り立たない。QPS研究所は技術者集団であり、ビジネスに関しては素人だった。そこへ2016年3月、ビジネスの専門家が経営陣に加わった。ハーバード大学経営大学院でMBA取得、産業革新機構で「スタートアップに資金調達をする側」の人物だった市來敏光氏(43)が、取締役・最高執行責任者(COO)に就任したのだ。
さっそく資金調達に動くも、「小型のSAR衛星とは何か」が伝わらない。50社以上回っても見向きもされず、大西氏と市來氏は米国シリコンバレーへ飛ぶ。そこで2人は熱烈な歓迎を受ける。「世界で小型SAR衛星は注目されている。やろうとしている世界は間違ってない」と確信した直後、米国の小型SAR衛星ベンチャーが資金調達に成功。世界の流れを見て動くのが日本。2017年10月、QPS研究所は23.5億円の資金調達に成功した。
初号機「イザナギ」は無事に宇宙に飛び立った。だが喜ぶのもつかの間。きちんとアンテナが開き、データをとり、商品として使えることを見せていかなければならない。データ解析については、自社で行わず専門家と組む予定だ。初号機開発で得たフィードバックを2号機「イザナミ」に反映し、2020年前半の打ち上げを目指して開発と試験が進行中だ。今後の課題は人材。「特にソフトウェアの人材、海外にデータを売っていく人材を求めています」(大西氏)。
JAXA新事業促進部 事業開発グループ長 上村俊作氏は、2005年にQPS研究所が創業された頃から見守ってきた1人。「資金調達を行い、地場企業、異分野からの若い人材も巻き込みながら、大学発ベンチャー(民間)としてビジネスの一歩を踏み出したことはとても感慨深い。今後、事業価値向上に向け、JAXAもQPS研究所さんに寄り添い、伴走しながら共創していきたい」と期待する。
宇宙開発パイオニアの技術と精神を引き継ぎ、異業種と手を携えて、宇宙ビジネスの大海原へ。その根底にあるのは故郷、九州への思いと矜持。小型SAR衛星は第一歩にすぎない。「宇宙の可能性を広げて人類の発展に貢献する」という壮大な理想を掲げ、宇宙工学の梁山泊(豪傑や野心家の集まり)の航海が始まった。
(第2回へつづく)
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 2号機も続け! 衛星づくりは地場企業と二人三脚で
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