(福島 香織:ジャーナリスト)

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 言論・思想統制の方法の中で最も野蛮なものの1つである「焚書」。秦の始皇帝の「焚書坑儒」(書を燃やし、儒者を生き埋めにする)は学校の世界史の時間でも習っただろう。秦の始皇帝の歴史的評価は諸説あるとしても、イデオロギーや政治的理由で書籍を破壊する行為というのは文明社会にとって、やはり悪だ。

 だが中国では近年になっても、それに近いことが行われ続けてきている。今年(2019年)10月に中国教育部が各地の小中学校図書館に図書の審査整理を通達したことは、その最たる例といえる。

カザフ語の書籍を回収して処分

 この“焚書”通達は、まず新疆ウイグル自治区地域の小中学校で行われていたことが海外メディアで話題となった。12月3日、新疆北部のイリ・カザフ族自治州の小中学校では図書館の蔵書の中でカザフ語で書かれた書籍やカザフ文化関連の書籍を生徒たちに集めさせ、処分した。米国の政府系メディア「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」は、とある学校で生徒たちが寮内の中にあったカザフ語書籍を探し集め、赤い布袋に入れ、校庭に運んでいる様子の動画をアップ。別の動画では数十人の生徒たちがいくつもの赤い布袋を運び出して、政府役人が取りに来るのを待っていた。

 RFAは、これは2017年以来、新疆地域で行われた3度目の「書籍審査」だと伝えた。処分対象の書籍は、カザフ語書籍、新疆人民出版社、イリ・カザフ自治州出版社が出版したカザフ文化関連の出版物である。その中には『遊牧民族文化と中原民族文化』『カザフ文化』といった学術書も含まれていたとか。また、学生たちは個別の家庭にも派遣され、問題書籍を探し出す作業を行った。そうして集められた書籍は学校ごとに地元政府に渡されたという。

 2017年と2018年には、新疆ウイグル区自治区ボルタラ・モンゴル自治州で地域学校のカザフ語書籍を回収して生徒たちの前で燃やすという、文字通りの「焚書」を行ったことが確認されている。この目的は、学校で生徒たちがカザフ語を学習することを禁止し、政府の教育方針に沿わない歴史や伝統文化の知識を得てはならないということを皆に肝に銘じさせることだったといわれている。

 匿名の関係者がRFAに証言したところによれば、焚書対象の図書にはやはり学術書が多く、カザフスタン大統領のナザルバエフの著作『光明の路』の中国語版や、カザフスタンの著名詩人のムフタールの詩集(中国語版も含まれていたという。

 新疆地域のカザフ語書籍への迫害は、中国国内で報道されることはなかった。だが、甘粛省鎮遠県の図書館で行われた「書籍審査整理」は中国国内でも報じられ、中国人知識人を震撼させた。

中国の知識人、文化人が一斉に非難

 10月23日、県政府はホームページで「図書館が社会主流イデオロギーの伝播の中心地としての作用を十分に発揮するため、近日、図書館組織は蔵書の中で、社会から寄贈された違法出版物、宗教出版物、偏向性のある文書書籍、写真資料集、図版、雑誌刊行物を全面的に書棚から排除し迅速に廃棄する」と発表。さらに2人の女性が図書館入り口付近で書籍を燃やしている写真を掲載した。

 これはネット上でちょっとした議論を呼び、まもなくその記事や論評はほとんど削除された。だが12月8日になって、新京報が「図書館が書籍を燃やすことは、文明と法律の観点で審査される必要がある」との論評を発表。すでにこの論評はネット上でみることができなくなったが、「(甘粛の図書館のような焚書は)おそらく社会が受け入れ可能な範疇を超えている。(県政府の)発信は粗暴な印象で、文明の保護でははない」「宗教類出版物が、いつ『全面的審査整理によって排除され迅速に廃棄されなければならない図書』となったのか?」と訴え、中国の宗教管理条例や出版管理条例など既存の法律に違反する、と非難している。ネットではこれに関連して「焚書が起きたなら、坑儒もおきるだろう」といったコメントも出たほか、中国の名だたる文化人からも非難の声が相次いだ。

『最後の貴族』などのノンフィクション作品がかつて国内で禁書扱いになったこともある作家の章怡和は、微信(中国のSNS)で「学校から始める全国範囲の“焚書”は、中国文化の運命に関わることであり、全国人民代表大会による可決が必須だ。こんなことを誰が批准したのか? 誰か署名したのか?」と怒りをあらわにしていた。

『民主論』などの著書もある公共知識分子(知識人)、北京錦都芸術センター董事長の栄剣は、「焚書が始まれば坑儒もそう遠くないかな? こんなに多くの良心的教授が教室から排斥されているのが目に入らないか? 賀衛方はなぜ姿を消したのか?」と非難めいたつぶやきをしている(注:賀衛方は北京大学法学院教授。開明的知識人の代表格だが、弟が冤罪と思われるテロ宣伝物所持容疑で逮捕されるなど圧力を受けており、表舞台から姿を消している)。

秦の始皇帝も毛沢東も超えた?

 今回の焚書事件にあたり、2017年12月11日RFAのサイトに「習近平の焚書坑儒」というタイトルで著名歴史家、余英時のインタビューが掲載されていたことを多くの人が思い出していた。

「この新たな坑儒、新たな焚書は、すでに毛沢東を超えている。秦の始皇帝がやったのは、わずか400人余りの儒家を埋めたにすぎず、焚書といってもすべてを焼き払うことはできなかった。毛沢東は秦の始皇帝よりもずっとひどかった。だが、毛沢東が死んで数十年後に、まさか新たな焚書坑儒をやる秦の始皇帝のような人間が登場するとは思わなかった。現代の始皇帝習近平だ。

 習近平が目下行っている焚書坑儒は毛沢東よりもひどい。彼の言論統制によって胡錦濤、江沢民時代には多少あった言論の自由はまったくなくなった。あえて異見を言う人もいなくなった。江沢民、胡錦濤時代は異見を言うことはできた。異見を聞くと党は機嫌を害したが、すぐに捕まえるということもなかった。

 今は様々な方法で異見者を引っとらえ投獄してしまう。人権弁護士の件(2015年7月に始まった人権弁護士300人以上の一斉逮捕、通称「709事件」)は衝撃だったが、対象はその後、人権弁護士にとどまらず、政府に批判や異見を唱えるありとあらゆる人間に広がった。ひどい場合は、室内で仲間うちで話したことが原因で有罪判決を言い渡された」・・・。

 習近平政権が始動した2013年、「目下のイデオロギー領域の状況に関する通達」で、「七不講」と呼ばれる、大学での討論におけるタブーが通達され、西側のイデオロギーおよび歴史を自由に研究することが全面的に禁止された。その後、新聞記者たちの管理強化とイデオロギー教育が厳しくなり、2015年に「709事件」に象徴される人権弁護士らへの大弾圧が始まり、2016年頃から知識人や学者たちのへの迫害、弾圧が目立ち始め、2018年頃から新疆ウイグル族の強制収容問題が表面化し、2019年は香港での抵抗運動と弾圧が世界の耳目を集めている。

 秦の始皇帝は儒家を迫害したが、習近平の迫害対象は、学者、法律家宗教家ら、良心と知識を持ち合わせるすべての人間に及ぶ。それは時に国内だけでなく、香港のような「一国二制度」で本来は異なる政治システムが運用されるべき土地に対しても、あるいは主権国家に対しても及ぶ。

 英語教材などで中国書籍市場での利益が少なくない英国ケンブリッジ大学出版局は中国共産党の求めに応じて、そのアーカイブからチベットや台湾、天安門事件という3つの「T」に関する論文・資料へのアクセス遮断処置をとった。その後、その事実が報道されて国際社会から非難の集中砲火を受けたことで、この措置は解除されたが、中国共産党が海外の組織や知識人に対しても干渉してくる例として、国際社会の肝胆を寒からしめた。

 こんな大規模で広範囲なイデオロギー統制は、秦の始皇帝毛沢東もやらなかったのだ。

「知」そのものを弾圧する習近平

 今、習近平政権が行っていることは、単なるイデオロギー統制というレベルでは説明できないかもしれない。

 ウイグル問題は、イスラム教徒やウイグル民族に対する弾圧と捉えがちだが、とくに新疆の大学教授、教育関係者たちをはじめとする良心的知識人たちが集中的に逮捕され、海外に留学している優秀な学生やその家族への迫害がものすごい。これは、漢民族に対して行われている大学教授弾圧や人権弁護士弾圧ともリンクしているといえる。それは香港における愛国教育強化、銅鑼湾書店事件、イデオロギー統制強化の動きとも連動しているし、また最近、日本の大学教授が学術交流の名目で訪中した際に「スパイ罪」で逮捕された(のちに釈放)事件とも同じ流れの中にあるかもしれない。

 つまり、特定の民族や特定の宗教をターゲットにした、というより、習近平政権の狭いイデオロギーと相容れないすべての思想、考え、異見者に対する弾圧だと考える方がわかりやすい。それは人権の問題とも言えるし、もっと大仰に言えば、「知」そのものへの弾圧ともいえるのではないか。今の習近平政権は、毛沢東の文革以来の、叡智を求める人の良心を抑圧し弾圧する恐ろしい時代だと言っても過言ではない。しかもITやAIといった知的先端技術で台頭している中国が、その技術を用いて人間の良知を弾圧し、自由にものを考え討論する知性を人々から奪いつつあるというならば、なんと皮肉なことだろう。

 私が中国・北京に駐在していた頃は、共産党体制内にいながらも多様な意見、見識を持つ知識人がたくさんおり、公式に発表はできなくても党内では比較的に自由な議論ができたと聞いた。また、私自身、そういう知識人たちにいろいろ教えられることが多かった。

 だが、彼らは1人、また1人と「坑」に埋められていっている。今、声を上げている数少ない知識人たちは本当に勇気ある人たちだが、彼らの口も確実に封じられていくだろう。習近平政権前の状況を知っているだけに、この10年の中国社会の変化は本当に恐ろしい。

イデオロギー統制の現実を直視せよ

 最近、講演会などで、習近平政権のイデオロギー統制や、全体主義と自由主義の対立構造について説明すると、「なるほど、全体主義だと異なる意見の対立がないので、ある意味、スピード感のある発展が可能なのですね。中国の発展の秘密がわかりました」といった反応をいただくことがある。

 民主主義の自由社会は、異なるイデオロギー、異なる政治スタンスの存在を許容するため、意見対立が起き、時には激しい争いとなり、決着をつけて次の発展段階に行くのに時間がかかる。異なる意見を最初から恐怖政治を使ってでも排除できれば、確かに決断が早くでき、その分発展が早い。確かにそういう論は一時期米国学者の間でももてはやされたことがあった。

 だが、今の中国のイデオロギー統制を見て「だから発展が早い」と評価する人は、どうして自分自身が排除される側となる可能性を想像しないのだろうか。自分は為政者のいかなる意見にも黙って従うから、迫害される立場になり得ない、ということなのだろうか。常に為政者の考えを忖度してびくびくして生きていくことの息苦しさを想像できないのだろうか。

 当コラムでも何度か触れているように、国際社会は今、欧米式の開かれた自由主義的な秩序、価値観と、中華思想的な全体主義的秩序、価値観の対立の中で、どちらに属したいかを問われて答えを出さねばならない。もう一度、「毛沢東を超えた」と中国人をして言わしめているイデオロギー統制の現実をよく見てほしい。

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