平成の怪物が古巣に帰って来た。来季から埼玉西武ライオンズに復帰する松坂大輔投手が入団会見を行った。2006年以来、14年ぶりにライオンズユニホームに袖を通すことになる右腕は「とにかく早く着たいなと思っています」とコメントするなどチーム復帰が待ちきれない様子だった。球団側は弱体化している投手陣に助言を送る〝兼任コーチ〟としての役割も期待しているという。

JBpressですべての写真や図表を見る

 西武とは1年契約。会見で「現役の最後はここなのかなと」と語ったように、古巣復帰には数年後に必ず訪れる引退の時も見据えている。それでも来季40歳で迎えるプロ22年目のシーズンを決してラストロードにするつもりはないようだ。国内3球団、そしてメジャーリーグ2球団で数々の栄光と挫折を味わいながら歩んだ〝流浪の野球人生〟の集大成を見せつける覚悟を固めているのであろう。

好成績を残したイメージが強いRソックス時代だが・・・

 それにしても国内に復帰してからの松坂は、ここまで何かと躓(つまづ)きの連続である。2015年から3年間在籍した福岡ソフトバンクホークスでは右肩の内視鏡手術を受けるなどコンディション不良に悩まされたこともあり、一軍登板はわずか1試合のみ。3年12億円(推定)の大型契約を結んでいたにもかかわらず、体たらくに終わったことで世間から「給料泥棒」と叩かれまくった。

 次に移籍した中日ドラゴンズでは2018年に6勝を飾ってカムバック賞を受賞。中日1年目こそ復活を印象付けたものの、今年は春季キャンプでファンに腕を引っ張られたという理由で古傷の右肩を負傷した影響もあって登板2試合、0勝1敗とまったく戦力にならなかった。しかも右肩のリハビリ期間中、遠方での治療のためファームの練習参加を免除されていながらコッソリとゴルフに興じていたことも発覚し、中日からペナルティーを与えられたのは大きなマイナスだった。

 ただ、さらにさかのぼれば栄光を築いたと思われがちなメジャーリーグボストン・レッドソックス時代も実を言えば現地での評価は芳しいものではなかった。華々しく移籍した1年目の2007年シーズンはローテーションの一角として15勝をマークし、チームのワールドシリーズ制覇に貢献。だが12敗を喫し、防御率も4・40と不安定な投球内容がかなり目立っていた。翌2008年シーズンは18勝3敗、防御率2点台とし、数字的にみればかなりいい成績を残したように思える。

 ところが当時を検証する地元ボストンの主要メディアは辛らつで今現在も「セイバーメイトリクス(統計学的に分析した野球に関するデータ)でも松坂は07、08年ともに〝運〟と〝味方の打者〟に大きく助けられている」などと酷評している。総じて与四球率が高く〝イライラさせる投手〟であることも、現地ビートライターたちの印象を悪くしていたのかもしれない。

 その後は股関節痛など多くの箇所でコンディション不良を繰り返し、2011年には右ひじのトミージョン手術を受けている。09年以降は2けた勝利に一度も届くことなく、レッドソックスでの6シーズンを終えた。総評としてボストンメディアの中からは「松坂の獲得は失敗だった」と断罪する声まで聞こえてくるほどだ。

大勢の日本人スタッフによる「チーム松坂」

 レッドソックスは西武からポスティングシステムを行使した松坂の獲得に5111万1111ドル11セント(当時のレートで約60億1000万円)もの大金を入札金として投じた。さらに松坂とはインセンティブを含め総額5200万ドルと入札金とほぼ変わらない額で6年契約を締結。当時としては、そんな破格のカネを東海岸の名門球団がわざわざ工面したのだから入団前から〝さぞや日本のマツザカという男はスーパーピッチャーに違いない〟との期待が膨らむのも当然だった。ちなみに米国内で論争にまで発展した「マツザカはとんでもないジャイロボールを投げる」という根も葉もないウワサが立ったのも、その流れである。

 しかしながら、いざフタを開けてみたら「大枚をはたいた割に、それほど大したことはなかった」というのが、6シーズンをともに過ごした松坂に対するボストン球団内外の結論。だから日本の人たちが想像する以上に、松坂はボストンでもいいイメージを持たれていないのだろう。2013年から3シーズンに渡って在籍し、クローザーを含め中継ぎとして大活躍した上原浩治氏を「レジェンド」と評する声は今もボストンで多く聞かれるが、松坂には「皆無」と言い切っていい。悲しいかな、これが現実なのである。

 とはいえ、このレッドソックス時代の松坂には気の毒な一面もあった。「チーム松坂」と呼ばれる専属トレーナーら日本人スタッフ複数人がべったりと付き、どこへ行くにも常に一緒だった。日本人が周りにいれば、孤独感を味わうことなく安心できる。だが、これは本人も気付かないうちにチームメートたちとの「壁」を作り出す要因になっていた。これに危機感を覚えて松坂本人がブロークンイングリッシュでもいいから懸命に会話をしようと試みていれば、主力たちは受け入れてくれていたかもしれない。

 だが移籍1年目なのに、まるで大名行列のように毎度のごとく日本人スタッフを引き連れて来る松坂に、チームの面々の大半が眉をひそめていた。さらに大勢の日本人メディアもクラブハウスにドカドカと入って来ることで「FU〇〇」と口にしたり、舌打ちをしたりする大物選手の姿も当時は多くの人に目撃されていた。

古巣・西武で原点回帰なるか

 松坂のレッドソックス時代を知る事情通は、次のように打ち明ける。

「大輔はメジャーに移籍した直後、右も左も分からず周りの日本人から〝言われるがまま〟の状況でした。側近の誰かが『郷に入れば郷に従え』でチームメートともっと積極的に打ち解け合わなければいけないことを教えてあげられれば、もっとアジャスト(順応)出来ていたのではないでしょうか。

 それもあって、あの当時の彼はレッドソックス首脳陣の助言に聞く耳を持たず、メジャー流の調整法も頑なに拒否し続け、ブルペンでは既定の球数以上の投げ込みを繰り返したことで投手コーチから段々と睨まれるようになっていきました。1年目のシーズン前半、スランプにあえいでいた時に日本からやって来た西武時代の元監督で恩師の東尾(修)さんをブルペンに入れ、指導を仰いだことはかなりヒンシュクを買っていましたよ。レッドソックスの首脳陣からすれば〝どういう覚悟でメジャーに来たのか〟という思いになったはずですから」

 レッドソックス3年目の2009年シーズンではチームの調整法を批判する内容のインタビュー記事が日本メディアに報じられた。本人が事実無根であると否定し、騒動へ発展したことについても謝罪したため沈静化はしたものの〝疑惑〟は完全に拭えなかった。思えば、これも松坂がレッドソックスにアジャスト出来ていなかった何よりの証明であろう。

 実際のところは成功と言えないメジャーリーグ時代を経て、国内に復帰してからも松坂の〝ダッチロール〟は延々と続いている。西武復帰の会見で「家に戻ってきた感覚」と口にし、白い歯を見せた平成の怪物が言葉通りのホームマウンドで14年ぶりに清々しい気持ちになって原点へと立ち返れるか。せめて、もう一花咲かせてほしいと思っている。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  日本ハムが抱える「主力W放出」と「空洞化危機」

[関連記事]

FA補強失敗、山口放出でも巨人はなぜ冷静なのか

作家・万城目学が上原浩治に感服した「ある表現」

レッドソックスの本拠地・フェンウェイパーク