2019年12月10日、また日本政府が混乱した決定を発表し、海外からも奇異の目を向けられ始めています。

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「『反社会的勢力』は、定義できない」のだそうです。

 報道によると政府の言い分は、「その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであり、限定的・統一的な定義は困難」なのだそうで、その趣旨の答弁書を閣議決定してしまいました。

 政府による「反社会的勢力」という言葉の過去の使用例と意味について「国会答弁、説明資料などでの使用のすべての実例や意味について、「網羅的な確認は困難」である、などとわざわざ閣議決定まで持ち出してきているわけですが・・・。

桜を見る会」での「逃げ切り」を図り、その場その場で適当なことを言ってきた収拾をつけ(られていませんが、つけたことにす)る過程で苦し紛れに出てきたことは明らかです。

 どれだけ現政権に批判的な人でも、逆に現政権の利便に預かっている人でも、否定できない迷走ぶりと言わねばばならないでしょう。

「閣議決定」という、国の重要なファンクションを、そもそも理解していない可能性が懸念されます。まずそこから始めたいと思います。

法に準ずる重みをもつ「セクシー」

 いろいろなところで綻びが隠せない末期症状を呈する日本国現政府ですが、もう完全に「閣議が壊れた」と私が思ったのは、10月15日の“閣議決定”でした。

 10月15日の閣議で何があったのか?

 政府はグローバル気候変動問題を巡って9月22日、米国に滞在中だった環境大臣をやっている青年が口走った「セクシー」なる発言に関して

「セクシーの正確な訳出は困難だが、ロングマン英和辞典(初版)によれば『(考え方が)魅力的な』といった意味がある」とする答弁書を閣議決定しました。

「セクシーな気候変動対策」は、私の記憶する限り、世界でも最も恥ずかしい閣僚発言の一つです。

 日本に限らず、ここまで酷い発言を「大臣」と名のつく椅子に座っている人物の口から発せられた例を率直に思い出せません。

 指3本で辞任した首相がありましたが、あのケースでも余計な口は動いていない。

 この原稿もベルリンで書いていますが「セクシーの意味を閣議決定」は、あの発言のあった時期に滞在していたドイツでもフランスでも、完全な笑い話になっており、日本人の一人として率直に大変恥ずかしい思いをしました。

 さて、セクシーの意味も決めた「閣議決定」ですが、本来はそんなどうしようもない用途のものではなく、もっと重要な、国政にとって決定的な意味を持つものです。

 例によって、團藤重光流で、日本国憲法に立ち返って考えましょう。憲法の中にはあからさまに「三権分立」という言葉は出てきません。しかし

第四章が「国会」で立法府
第五章が「内閣」で行政府
第六章が「司法」で司法府

 を扱っており、各々が独立していることは一目瞭然です。すなわち、立法権については

第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。

 行政権については

第六十五条 行政権は、内閣に属する。

 司法権については

第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

 とあり、これらが混交し、三権分立が成立しなくなると「ファシズム全体主義の暴走を食い止められません。

 しかし、行政府や司法府、分かりやすく言えば「役所」や「裁判所」だって、様々なルールや内規を定めるニーズはあります。日本国憲法は第73条の6や第94条として

第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。

第九十四条

地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

 として国や地方の役所が「法律を補う補助的な具体細目」を決定できるとしています。あくまで立法権が上、それに従う範囲内での「法律に準ずるもの」として政令や条例が位置づけられいる。

 では「司法権」の観点に立つ「法律に準ずるもの」が何か、と尋ねられたらどう答えればいいのでしょうか?

 答は「判例」、とりわけ最高裁判所における判例は、司法の側から提出された補助的な法典具体細目というべき存在で、司法試験の勉強の多くが「判例」に割かれる根拠がここにあるといっていい。

 では内閣が「法律に準ずる」国の重要なルールである「政令」を決定するのはどこか?

「閣議」がそれに当たります。

 つまり「閣議決定」とは政令の決定プロセスで、

内閣法第四条1項

内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。

 に準拠するプロセスを経て、現在の日本では「『セクシー』の意味」を決定したり『反社会的勢力』は定義できない」と決定したりしていることになる。

 相当末期であることは、誰の目にも明らかでしょう。「残念な行政府」と言わねばなりません。

タガのはずれた政(まつりごと)
暴対法/暴対条例から憲法まで

 團藤重光式に確認するなら、日本の法律を作る唯一の機関は国会であって、ほかには存在しません。

 戦前はこれが、統帥権独立などの名目で空洞化し、軍部の暴走を食い止めることができませんでした。

 政令や条例、また閣議決定は、あくまで法律の定める範囲の中でなされるべきもので、そこから逸脱したり、法律、憲法に抵触するような内容を「閣議決定」したりすることは、本質的にあり得ませんし、許されもしません。

 この観点から「セクシーとは魅力的な考え、楽しいといった意味である」という閣議決定の意味を考えてみると・・・閣議本来の役割から外れた、完全にアサッテな方向であることが分かります

「セクシー法」といった法律を日本国は有しておらず、単に海外での閣僚の不足が原因の失言に過ぎず、謝罪して撤回すれば終わるだけの内容を「閣議」に持ち込むこと自体がそもそも国の運営の在り方として素人式、生兵法と映ります。

 まして「セクシーの意味」の閣議決定に至っては、単なる嘲笑の対象にしかなりません。

 ここまで問題を一般的に見たうえで「反社会的勢力」を「定義できない」とする今回の「閣議決定」がはらむ困った問題を明瞭に腑分けしてみましょう。

 我が国には暴対法(https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=403AC0000000077)が定められており、これは国会で審議、可決された法案です。

 内閣が勝手にこれに反すれば不法行為、違法となってしまい、閣議決定もその範疇を出ることは決してありません。

 正確には 「平成三年法律第七十七号暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」で、この「等」のかかり方は元来

「不当な行為」の「防止」等

 であるわけですが、主語にあたる「暴力団員」の公民権制限にも及ぶことから、ヤクザ社会は平成3年以降、人材難に苦しみ、正規の暴力団員とはならず「半グレ」として同様の犯罪、あるいはもっと悪質なケースに手を染める連中も出てくる始末となった。

 つまり暴力団員」等が問題になってきたわけで、これらを総称して「反社会的勢力」と呼ぶようになったのにほかなりません。

 各自治体が定める「暴排条例」などは、すべてこうした流れの中で整備されてきたルールです。

 法務省平成19年・・・つまり暴対法ができて16年を経過した時点で

「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」(http://www.moj.go.jp/content/000061957.pdf)を公表しました。

 そこには

《暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人である「反社会的勢力」をとらえるに際しては、暴力団暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団等といった属性要件に着目するとともに、暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求といった行為要件にも着目することが重要である》

 と明記されている。

 これは同年(あろうことか第1次安倍内閣の時期)に「犯罪対策閣僚会議」(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hanzai/index.html)で定められたものです。

 内閣総理大臣が招集し、全閣僚を成員とする個別の閣僚会議(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/hanzai/pdf/170324_konkyo.pdf)に相当し、つまり閣議と同列、ないし定例の閣議に一段劣る可能性のある、国の機関で決定されている。

 第1次安倍政権の閣議相当の閣僚会議で決定したはずのものを、いま第何次になるのか記憶していませんが、かなり非常時というか非常識な内閣によって「決定できない」と閣議決定してしまったら、どうなるか?

 少なくとも混乱するのは間違いありません。

 さらに、我が国の行政指令の中で最上位に置かれる「政令」相当の閣議決定、閣僚会議決定を、閣議決定で混乱させてしまうと、大迷惑を被るのは、各地方自治体の定める「暴排条例」の類ということになるでしょう。

 国の作りの根幹にあって、より上位とされる、絶大な権力を持つはずの閣議決定が「セクシーは楽しい」とか「反社会的勢力は定義できない」とか、迷走としか言いようがない、苦し紛れの尻ぬぐいに終始しているわけです。

 より下位に属する各自治体、さらには各県の県警本部などは、何をどう考えればよいことになるのか?

「セクシー」は、環境大臣を務めている青年の失言の尻ぬぐい、「反社会的勢力は定義できない」は、かつては鉄壁といわれ、今は見る影もなくなった官房長官の迷走発言の尻ぬぐいにほかならない。

 要するに、権力者の地位にある人間のアドリブや不勉強、法社会に関する基礎教養の不足をその都度「政令」レベルの国権を濫用してアテンドしている、いわば「成人用おむつ」に等しい「垂れ流し対策」に過ぎず、話にもなりません。

 元をただせば、例のモリカケ疑獄にしても、数百億オーダーに上る公の官費が濫費されたケースに即して、国会でのいいかげんな首相答弁、アドリブの尻ぬぐいから、近畿地方で財務官僚が自殺する事態まで引き起こしている言語道断な事件でありました。

 それを上塗りする、救いようのない失態を繰り返していると言わねばなりません。

桜を見る会」に直結する「サクラ疑獄」もきちんと処断させるべきと思いますが、その周辺で発生してきた低見識のアドリブ、それを糊塗するために東奔西走させられる元来は優秀だったはずの官僚機構の諸氏・・・。

 さらにその先で繰り返される無見識な閣僚失言・・・。

 それを塗り固めるために乱発される閣議決定・・・。

 まともな国政と言いがたいのは、どれだけのシンパが見ても(やってる本人たちだって)分かっていることでしょう。

 あまつさえ、国家の基本法典たる憲法に手をつけるなど、ただ単にあり得ない仕儀とのみ言っておきたいと思います。

 紙幅も尽きましたので、團藤重光先生の遺訓としても、まず普通の内容を勉強してから、法律がどうした、といったことについては、発言した方がいいでしょう。

 まして憲法です。水準に達しない「壊憲」は問題にもなりません。

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