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戦後の自由を楽しめた1950年代

text:Martin Buckleyマーティンバックリー)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
1950年代の英国自動車産業は、現代的な厳しい規制や義務は存在していなかった。街から一歩外に出れば最高速度の縛りはなかったし、駐車禁止の区間も限定的。人口密度は薄く、交通量も少なかった。

いまのクルマ好きが見れば、ユートピアのような姿に映るかもしれない。BBCラジオから流れることといえば、渋滞情報に環境問題ばかりなのだから。

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アームストロング・シドレー 3.4/346ベントレーMkVI

第一次世界大戦で破壊されていた国土だったが、再びの出来事に自己嫌悪的な空気はなかった。産業といえば実際に「モノ」を生み出すことが本質だと考えられていた。時代をリードする技術は、ジェットエンジンコンピューターだと予見されていた。

2019年とは大分違う世界観だが、1950年代には時代なりのフラストレーションが蓄積あったことは忘れてはいけない。英国では兵役義務を退け、大気汚染を鎮め、死刑を廃止。平穏に家族とともに過ごせるリビングを取り戻せたような頃だった。

ベレストの英国人登頂や、ロジャー・バニスターの陸上での活躍など、気持ちを高ぶらせるニュースも少なくなかった。反面、デ・ハビランド・コメット旅客機の墜落、スエズ危機(第二次中東戦争)など、良くないニュースも多かった。

戦時中のガソリンの配給制度も終了。平和を享受しながら、これまで過小評価されてきた優雅なサルーンで好きな場所へドライブすることもできるようになった。

自動車移動は仕事を進める上で不可欠な手段

自転車より快適で、英国の鉄道網より便利な自動車1950年前後の道路網の現実を考えれば、大きなサルーンはとても魅力的に思える移動手段だったはず。

その頃、英国人が移動手段として自動車を使用していた割合は30%程度。個人の足として自動車の普及が進む状況にはあったが、道路整備に回される予算は限られていた。高速道路の完成は数年後で、バイパスもない。クルマで旅行をする場合、混雑した街なかを否応なしに通過する必要があった。

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ベントレーMkVI(1946年1952年

2019年なら高速道路で数時間ほどの距離でも、1950年代は丸1日を費やす旅行になりえた。今は車道を走る自転車を交わすのに大変だが、当時は荷物満載のトラックがノロノロと行く手を阻んだ。大型バスと戦前の古いサルーンも、ペースを狂わせた。

プレミアムクルマとして、快適性と加速力を重視するという姿勢は、当時も変わらず存在していたのだ。

アームストロング・シドレーの走りは穏やかだ。ステアリングは重くスロー。車内の風通しはベントレーより良い。ノーズを飾スフィンクスマスコットには、ジェットエンジンモチーフも付いている。

コーナリングでペースを上げてはいけない。ドライバーの目の前には、エンジンルームいっぱいに、3.5Lの直列6気筒ユニットが押し込まれている。

1950年代の交通事情の中でベントレーアームストロング・シドレーは、裕福な人物が得られた通行手形のようなもの。ステータスシンボルだけでなく、経営者や重役にとっては生活必需品だった。Eメールテレビ会議もない時代、長距離移動は仕事を進める上で不可欠な手段だったのだ。

ベントレーと倍の価格差のアームストロング

運転手のリアシートで過ごすのに充分な威圧感を備えつつ、オーナーの気分次第で、自ら運転しても楽しめるクルマ1950年代の英国において、大型サルーンビジネスマンの野心を高める存在だった。

21世紀の今でもベントレーの魅力やプレステージ性は理解されているものの、アームストロングの高級車としての位置を把握することは難しい。優れた技術力と製造品質で高い評価を得ていたが、ベントレー並みの誘惑はなかった。価格もベントレーとは大きな差があった。

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アームストロング・シドレー 3.4/3461953年1959年

ベントレーMkVIは、初めてのクルー工場製のスチール・スタンダードボディを持つサルーン。合理化されたシャシーに、B60Fヘッドの直列6気筒エンジンを搭載し、新車当時の価格は4500ポンド(63万円)が付いていた。

この価格は、アームストロング・シドレーの2台分。その1台を160km/h以上のスピードが出せた、ジャガーMkVIIに交換してもお釣りが来る。アームストロングやアルヴィスなど、価格では競争できない高級自動車メーカーを追い込む存在でもあった。

ただし、ベントレー並の血筋を持っていたアームストロング・シドレーの場合、ハリアー戦闘機を生み出した、ホーカー・シドレー・エアクラフト社のグループ企業として自動車を製造していた。1960年に幕を閉じるまで利益は出していた。上流階級を思わせる雰囲気や寿命の長さなど、市場はまだあったと思う。

アームストロング・シドレーは1945年、世界大戦後に英国で初めて新型モデルを生産したメーカー。1940年代末頃までに、ランカスター16や18よりも大きく速いクルマの必要性を感じていた。

当時160km/hまで出せたクルマは6車種

新しい3.0Lエンジンの設計コンサルタントとしてW.O.ベントレーを招くと、彼はツインカムエンジンを提案。しかし顧客は中回転域のトルクと滑らかさを求めるという理由で、スポーティ過ぎるエンジンは却下される。デ・ディオン式のリアサスペンションは、ベントレーラゴンダとして設計していた2.6Lサルーンに近似していると評価された。

1952年モーターショーで、アームストロング・シドレー346は、トラディショナルなボディラインを備えて登場。最新の技術として半球状の燃焼室を備えた、スクエア・クロスフローの3.4L直列6気筒エンジンを搭載していた。

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アームストロング・シドレー 3.4/3461953年1959年

定員5名か6名のサルーンは、シングルキャブレター最高速144km/hが出た。ツイン・ストロンバーグ・キャブレターオプションを付けると最高出力は152ps。最高速度は160km/hに届き、当時としてはかなりの速さを誇った。その頃の自動車雑誌のテストでは、160km/hを出せたクルマは6車種のみだった。

シドレー346は、ボックスセクション・シャシーを持ち、W.O.ベントレーの影響を示している。サスペンションはリアがリジットアスクルにリーフプリングの組み合わせだったが、前後ともにアンチロールバーが付いているところがポイント

トランスミッションはコラム4速MTか、プリセレクターATを用意。1954年からは、英国クルーのGM社ライセンスのもとで、ロールス・ロイスハイドラマティックATが搭載される。ボディは4ライトか6ライトの自社製で、後にロングホイールベース版のサファイア・リムジンが加わっている。

続きは後半にて。


アームストロング・シドレーの記事
ベントレーMkVI/アームストロング・シドレー・サファイア346

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