(舛添 要一:国際政治学者)

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 12月11日に行われたイギリス総選挙(下院定数650議席)は、予想通り、ボリス・ジョンソン首相に率いられる保守党が47議席増の365議席と、定数650の過半数を制した。サッチャー首相当時の1987年6月総選挙357議席)以来の大勝である。労働党は、203議席と59議席も減らした。スコットランド民族党は48議席、自由民主党は11議席を獲得したが、ともにEU残留派である。

 ジョンソン首相にとっては、総選挙で単独過半数を確保し、EUとの間で自らがとりまとめた離脱案に沿って1月末までに離脱を実行するという戦略が成功したのである。

労働党の敗因は「Brexitを争点にできなかったこと」

 労働党の敗因は、党内がEU残留派と独立派に二分されており、いずれにするかを明確にできなかったことにある。

 労働党は、EU離脱問題よりも、国民健康保険制度を守ることを争点に掲げた。EU離脱後に、アメリカとのFTAを締結するために、ジョンソン首相がアメリカに譲歩して医療の民営化をさらに進め、それが医療費の増大をもたらすと批判した。しかし、最大の争点はBrexitであり、その戦略も功を奏さなかったようである。

「とにかく、どのような形であれ、一日も早く決着してほしい」という有権者が、離脱に関する姿勢が曖昧な労働党を忌避して、明確な方針を打ち出した保守党に投票したのである。

 2016年6月23日に行われた国民投票でEUからの離脱が決まってから3年半もの間、イギリスの政治は離脱問題で翻弄されてきた。当時のキャメロン首相は、離脱が多数派となることは絶対にないという確信の下で国民投票という選択をしたし、離脱に票を投じた有権者も、ほぼ同じ思いであり、いわば「遊び半分」のつもりで「面白いから、離脱に票を投じてみよう」という考えであった。それだけに、離脱が決まったら、どのような手続きで実行に移すかなど念頭にもなかったのである。

 そのツケは大きく、第一に、日本を含む外国の企業のみならず、英国の企業も去って行くなど、イギリス経済に大きな打撃を与えている。それは、EUについても同様で、Brexit対策のコストは大きなものとなっている。

あまりに損失が大きい3年半にも及ぶ迷走

 政治的にも、この3年半の離脱騒動で、イギリスもEUも国際社会における存在感を大きく減じてきた。1975年フランスのランブイエで始まった先進国サミット(G7)は、国連とは異なる先進国の枠組みで世界の政治を動かしてきた。それは、日米欧の3極で世界を動かす仕組みである。サミットのおかげで、日本の国際的地位も向上し、日本とヨーロッパが共同してアメリカの専横を牽制することもできるようになった。

 しかし、90年代初頭にバブルがはじけると日本の地位は相対的に低下していった。EUは、米ソ冷戦後に加盟国を増やし、日本とは逆に、世界に対する発言権を増していったのである。

 ところが、Brexitによって、EUもまた、その重みに陰りが見えてきたのである。EU単一市場からイギリスが離脱し、アメリカや日本と個別にFTAを結んでいけば、EUと競合するブロックが生まれることになる。Brexitは、イギリスにもEUにも、政治的にも経済的にも大きなマイナスとなっている。

 二次にわたる世界大戦の発端となったヨーロッパは、戦争のない世界を作るためにEUを結成したが、移民排斥などの排外主義的勢力が力を増している。イギリスのEU離脱の背景には、ポーランドをはじめとする東欧諸国からの移民の流入があり、低賃金で働く彼らがイギリス人の職を奪っているという不満がある。

 国境なき世界こそ戦争阻止につながるという理想は、移民の流入がもたらす諸問題を前にして潰え去ってしまった。EUから離脱するイギリスは、EUからの移民を締め出す権利を手に入れる。内向きなヨーロッパでは、第二次大戦前夜のような反ユダヤ主義をはじめとする人種差別が横行するようになっている。

 BrexitとともにEUの理想まで失われようとしている。

 第二は、イギリスの政党政治の伝統的な枠組みが崩壊したことである。従来は、保守党労働党という二大政党が、単純化して言えば、「小さな政府」と「大きな政府」という政策の選択肢で競ってきた。ところが、EU離脱か残留かで、保守党労働党も二分されてしまった。旗幟を鮮明にしているのは、残留派の、自由民主党スコットランド民族党、離脱派のBrexit党である。

 選挙の予測が立てにくいのは、たとえば伝統的な労働党支持者が離脱を主張する保守党に投票するというようなケースや、その逆に保守基盤で残留を掲げる労働党候補が優勢になるケースが多々あるからである。多くの国民は、3年以上も続く離脱騒動に辟易しており、一刻も早く明確な形で結論を出してほしいと思っている。それが、今回の保守党の勝利をもたらしたのである。

 因みに、EU側もイギリスの「決められない政治」にうんざりしており、今回の総選挙の結果、1月末に離脱が決まることに安堵の思いである。

遠心力が強まる北アイルランドとスコットランド

 第三は、北アイルランドに対する措置が問題を孕んだものになっており、アイルランド紛争の再燃が懸念されることである。アイルランド島は12世紀にイギリスの支配下に入ったが、1937年には南部26州がアイルランド共和国として独立した。北部6州は英領にとどまったが、住民はアイルランド派とイギリス派に分かれ対立している。主たる理由は宗教であり、カトリックアイルランド共和国への併合を主張するナショナリスト(共和派)でEU残留、プロテスタントが英国統治の継続を求めるユニオニスト(英国派)でEU離脱である。政党は、前者がシン・フェイン党、後者が民主統一党(DUP)である。

 1969年に紛争が始まり、1998年ベルファスト合意で両派により構成される自治政府が成立し和平に至ったが、それまでに約3500人が死亡している。カトリック系のアイルランド共和国軍(IRA)のテロ活動はよく知られている。そして、2017年1月には再び両派が対立し、自治政府は機能を停止している。

 ジョンソン首相のEU離脱案だと、英本国と北アイルランドとの間で新たな関税手続きが必要となる。また、EUから離脱すれば、EUからの農業助成金も打ち切られる。ユニオニストであっても、諸手をあげてBrexit賛成というわけにはいかないのである。ナショナリストアイルランド共和国との併合にさらに熱心になっていくであろう。

 北アイルランドの両派とも、英本国に裏切られたという思いが強く、それは連合王国(United Kingdom)の解体への一歩となるかもしれない。

 遠心力は、スコットランドも同様である。2014年9月18日の住民投票では、スコットランド独立は否定されたが、EU残留派が多数であり、EU離脱が決まれば、再度住民投票を行って、独立を目指すことは当然考えられる。

 そうなると、イングランドとウエールズのみのUKとなってしまう。

 Brexit騒動は、以上のような問題を生み、イギリス社会を分断させてしまった。軽はずみに国民投票を決めたキャメロン元首相の歴史的責任は重い。連合王国の解体をはじめ、大きな負の遺産をもたらすことになるかもしれない。

 離脱後1年間は、移行期間として、離脱をスムーズに進めるための様々な措置がとられるが、その過程でまた新たな問題に直面することになるであろう。離脱というハードルを乗り越えて、今よりも強い、そして今よりも豊かなイギリスを見ることができる日がいつ来るのであろうか。「ポピュリズムのツケがいかに大きいかを世界に知らせただけでもBrexitは価値があった」とでも自虐的に言うしかない。

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