映画『桐島、部活やめるってよ』で、主人公の神木隆之介くんが映画部の友人と一緒に「映画秘宝」を読むシーンがある。「今月の秘宝、割と頑張ってるよ」とかなんとか偉そうに言いながら、教室の隅っこでクラスメイトから隠れるようにして秘宝を読むのである。あのシーンは本当にたまらなかった。悲鳴をあげそうになったくらいである。なぜなら、あれはほぼ中学生時代のおれの姿と瓜二つだったからだ。
「映画秘宝」2019年12 月号


映画秘宝」は、半端な田舎の半端な中学生にアイデンティティを与えてくれた
おれの通っていた中学校は岐阜の田舎、しかしものすごいド田舎というわけでもない、日本全国のどこにでもあるような郊外っぽいところに建っていた。そんなところに通っているおれがまともな映画館に行こうと思ったら片道1000円近い電車賃を払って名古屋まで行くしかなく、基本的に映画はレンタルビデオ屋で借りてきて家で見るものである。それにしたところで学校帰りのルート上に個人経営のレンタルビデオ屋(ここもずいぶん前に潰れてなくなった)が一軒ある程度であり、あとは山一つ越えたところにあるTSUTAYAとか、川の向こうにある三洋堂書店とか、その程度しか選択肢がない。

ネットも普及し始めたかどうかというタイミングで、中学生のガキが気楽に触れるような状況ではなく、おまけに今のような高速回線ではないので動画を見るのは難しい。そもそもレンタルビデオ屋は文字通りビデオ、つまりVHSを店頭に並べており、プレステ2が売られ始めて「今度のプレステはDVDというものが見られるらしい」というのがぼんやりわかってきたくらいの時期である。当時の電気屋でのDVDのデモ再生は、全部見事に『マトリックス』ばかりだった。

そんな時期にそんな場所で読む「映画秘宝」は、なかなか強烈な雑誌だった。おれの友達に秘宝の常連投稿者がいて、そいつが買ってきた秘宝を毎月むさぼるように読んでいたのである。そこにはおれたちが到底行けないような東京の映画館で行われている特集上映の話も載っていたし、映画に出てくる銃とかロボットとかエイリアンとか残虐シーンとか、親や教師が見たら眉をひそめるに違いないものについてのうんちくが愛情たっぷりに綴られていた。

映画秘宝」は「映画はこういう風に見てもいいんだ」という視点を、田舎に住む鬱屈した中学生に与えてくれた雑誌である。人間の首が斬り飛ばされるシーンやかっこいいメカが大活躍するシーンに興味を持つのは、決して悪いことでも不自然なことでもありませんという、まるで性教育のようなメッセージがみっちり詰まっていた。

それと同時に、オタクにもなりきれず(中学生の頃のおれは早く寝ないと叱られるので、深夜アニメを見られなかった。どのみち山の中だったので映らなかったけど)、さりとて兵器のプラモデルスター・ウォーズのフィギュアを手放したりもできないおれに、「ボンクラ」という生き様があることを教えてくれた。これは衝撃的だった。ハタから見ればオタクだろうがマニアだろうがボンクラだろうがほぼ同じなのだが、本人からすれば大問題なのである。そうか、おれはこの雑誌を読むようなボンクラだったのか……という発見は、自らの生き方を見つけたようなものである。「ウォーター」という概念を知ったヘレン・ケラーのような、そんな衝撃があった。

また、当時は対テロ戦争真っ只中というご時世だった。ブッシュ同時多発テロの報復としてアフガンに攻め込み、アメリカ国内がベトナム戦争以来の混乱に叩き込まれた時期である。そんな中でブッシュ政権に対して中指を突き立てるようなコンテンツが多数存在することも、秘宝の誌面を通して教えてもらったように思う。日本国内どころか、アメリカの不正と混乱について、おれはバカそうなクラスの連中よりずっと詳しく知っている……。そう思いこむことで保たれる自我というのが、中学生のおれの中に確かに存在していた。

今の中学生にも、「秘宝」的なものは存在するべきなのである
ここ数年、「映画秘宝」の編集方針についてネットで否定的な声があがることも度々あった。特に「童貞」のような、今となっては扱いが難しくなってしまった概念を巡っては、現状での常識とされる考えが日夜アップデートされている。秘宝はその流れについていけてないのでは……と思うことも、正直ちょいちょいあった。実際におれもツイッターに、そんなようなことを書いた記憶もある。

ただ、90年代の終わりから00年代の初頭にかけて田舎で中学生をやっていた人間からすると、童貞とかボンクラとか首チョンパとか、そういうタームでワーワー騒ぐことで救われたことは確かにある。学校はつまんないし、さりとてものすごく勉強ができるわけでもないし、ヤンキーになって缶スプレーで塗った原付を乗り回すのなんか、ダサすぎて死んでもイヤだ……。そんなどこにも行き場がなかった中学生の心に、あの頃の「映画秘宝」は確かに寄り添ってくれたのである。

それが可能になったのは、まだギリギリ日本の出版・雑誌業界とその流通が生きていたからだとも思う。おれが中学生のころは地元にも新刊を扱う書店(TSUTAYAのようなチェーンの書店ではなく、個人経営の多少大きめの書店)がまだ生き残っていたし、学校帰りにそういった本屋に寄ることもできた。思えば、そういうインフラを通じて、秘宝は田舎の中学生にも「こういう映画があって、それはこうやって見るのだ」という手管とマインドを本気で叩き込んでくれた。「雑誌」という出版物のありようとして、案外理想的だったのかも……と思わないでもない。

今となってはそうやって叩き込まれた手法が正しかったのかわからないし、すでに古びている部分もあるとは思う。とはいえ、それによって「映画秘宝」という雑誌は、間違いなく一人の田舎の中学生を救っていた。そこには本当に感謝している。「映画秘宝」自体は休刊してしまうけど、かつてのおれのような現代の田舎の中学生にも、あの雑誌のような存在が寄り添っているといいなと、おれは思っている。
しげる