プロローグ
ロシアの輸出用新規天然ガスPL概観

 2019年は、ロシアから欧州や中国向け輸出用天然ガスパイプライン建設構想が次々と実現する年になりました。

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 日系各紙もここ数日間、ロシアの輸出用天然ガスパイプライン建設構想を大きく報じていますが、中には混乱している記事も散見されます。

 ロシア側の天然ガス輸出とパイプライン輸送は世界最大のガス会社ガスプロムが担当しています。現状を整理する意味で、本稿では以下3つの幹線パイプライン建設構想を概観したいと思います。

●“トルコストリーム”(ロシアから黒海経由トルコ向け海底パイプライン)

●“ノルト・ストリーム②”(ロシアからバルト海経由ドイツ向け海底パイプライン)

●“シベリアの力①”(“東ルート”)(東シベリア・極東から中国向け陸上パイプライン)

 一方、米D.トランプ大統領(73歳)は2019年12月20日、“ノルト・ストリーム②”と“トルコストリーム”を標的とする国防権限法に署名しました。

 この法律がロシアの新規パイプライン建設にどのような影響を及ぼすのか、併せて検討したいと思います。

 付言すれば、ロシアからウクライナ経由欧州向け天然ガストランジット輸送契約更改交渉が2019年12月19日、原則合意に達しました。

 このトランジット輸送契約は上記の“トルコストリーム”と“ノルト・ストリーム②”構想と密接な関連がありますので、追加情報として概観したいと思います。

 上記のトランジット契約は2019年末に失効します。契約更改に合意しなければロシアウクライナ・EU(欧州連合)大手ガス需要家全員が被害を蒙りますので、年内合意は当然の帰結と言えましょう。

 契約年数と天然ガス供給量も合意し、年末までにロシアウクライナ間にて契約調印の運びとなりました。

“トルコ・ストリーム” 概観
2020年1月8日稼働予定

トルコストリーム”はロシアからトルコまで黒海経由2本の天然ガス海底パイプラインです。海底パイプラインの全長は930㎞、年間輸送能力は157.5億立米、2本建設したので計315億立米になります。

トルコストリーム”は既に完工しており、世界最大水深(2200m)の海底パイプラインなので、鋼管口径 32″(インチ)×肉厚39㎜の特殊サイズになります。

 トルコ黒海沿岸揚げ地では、天然ガス受入れ基地とトルコ国内180kmの陸上P/Lを建設しました。

トルコストリーム”は2019年10月15日にラインフィル(パイプラインに天然ガスを注入する作業)が始まり、11月20日にラインフィルは完了しています。

 1本目のトルコストリームトルコ市場向けで、ロシア側の天然ガス供給源は西シベリア産天然ガスです。

 ガスプロムは2020年1月8日に天然ガスをトルコ向けに供給開始予定にて、1本目のトルコストリームが稼働すると、ロシアからウクライナルーマニアブルガリア経由トルコ向け“バルカン陸上パイプライン”が不要になります。

 2本目の“トルコストリーム”は南欧・中欧市場向け故、南欧・中欧のガス需要家とガス売買契約締結が必要です。

 1本目の稼働後はバルカン陸上パイプラインが不要になるので、2本目のトルコストリームバルカン陸上パイプラインを逆走して、トルコからブルガリアセルビアハンガリー経由オーストリアのハブ基地バウムガルテンまで陸上パイプラインを新規建設する構想も検討中です。

 上記のとおり2本のトルコストリームは完工・ラインフィル済みで、2020年1月8日に稼働記念式典の予定です。すなわち、他国の干渉によりこのパイプライン建設が阻止されることはもはやありません。

“ノルト・ストリーム①②” 概観

“ノルト・ストリーム②”(口径48″)は既存の“ノルト・ストリーム”(ノルト・ストリーム②と対比の意味で、以後“ノルト・ストリーム①”と表記)に並行して建設中の海底パイプラインです。

 デンマーク政府は2019年10月30日、ガスプロムの子会社Nord Stream 2 AG” (“ノルト・ストリーム②”の操業会社)に対し、自国の排他的経済水域を通過する“ノルト・ストリーム②”の建設許可証を発給しました。              

 この建設許可証は11月28日に発効し、同社は海底パイプライン敷設作業を再開しましたが、米国の圧力(国防権限法)により、いったん作業中断に追い込まれてしまいました。

“ノルト・ストリーム①”は2本建設され、パイプライン1本の年間輸送能力は275億立米、2本で計550億立米です。1本目は2011年11月、2本目は2012年末に稼働しました。

 ただし、輸送される天然ガス全量がドイツ国内で消費されているのではなく、ドイツ経由NELパイプラインでオランダ・英国方面に、OPALパイプラインでチェコスロバキア方面に再輸出されています。

 ノルト・ストリーム①は全長1220kmの海底パイプラインを2本敷設。ノルト・ストリーム②は全長1224kmのパイプラインを2本建設中です。

 既にデンマークの排他的経済水域以外の海域においては敷設済みで、残るはデンマーク海域のみとなりました(約150km×2本)。

 当初の予定では2本の海底パイプラインは2019年末までに完工予定で、2020年1月1日からドイツ国内接続陸上パイプライン“EUGAL”(口径56″)の1本目に天然ガスを供給開始予定でした。

(参考:EUGALも2本建設し、1本目は2019年末までに、2本目は2020年末までに完工予定)

 ところが米トランプ大統領の干渉により建設中断に追い込まれましたが、筆者は、早晩作業は再開され、2020年中葉には完工・稼働するものと予測しております。

中国向け天然ガスパイプライン
“シベリアの力①”稼働(2019年12月2日)

 ロシアのサハ共和国チャヤンダ・ガス田から中国向け天然ガス供給が2019年12月2日に始まりました。

 この天然ガスパイプラインは当初、単に“東ルート”と呼ばれていましたが、後に“シベリアの力①”と命名されました。①と命名されたのは、②(西ルート)と③(極東ルート)もあるからです。

 今回完工・稼働したパイプライン(口径56″)は下記地図オレンジ色の全長2157kmです。今後、隣接するイルクーツク州“コヴィクタ・ガス田”から800kmの天然ガスパイプラインを建設して、このチャヤンダ・ガス田と接続すると、全長3千kmになります。

シベリアの力 ①”用天然ガス供給源となるサハ共和国チャヤンダ・ガス田では2019年7月に天然ガス生産が始まり、チャヤンダ・ガス田と“シベリアの力①”の接続完了後、ラインフィル(パイプラインに天然ガスを注入する作業)を開始。

 12月2日に中国向けに輸出開始しました(ピーク時年間380億立米は2025年以降の予定)。

 なお、チャヤンダ・ガス田の年間ピーク時生産量は250億立米なので、今後隣接するイルクーツク州コヴィクタ・ガス田との接続(②~③間)が必要です。

 ちなみに、コヴィクタ・ガス田の天然ガス生産開始は2022年末、ピーク時生産量年間250億立米は2025年末になる予定です。

 12月3日付け日系各紙は、この“シベリアの力①”パイプラインが稼働した記事を大きく掲載しておりますが、正しく報じているのは「日経」と「朝日」のみで、他紙は不正確な内容でした。

東京新聞」に至っては「ロシアの全長約3千kmのガスパイプライン“シベリアの力①”が完成した」と報じていますが、これは立派な誤報です。

 完成したのは2157kmの“シベリアの力①”であり、イルクーツク州コヴィクタ・ガス田からサハ共和国チャヤンダ・ガス田までのパイプラインは現状、建設構想にすぎません。パイプライン建設請負会社は未定、いつ建設開始・完工するのかも未定です。

“東ルート”は2014年5月21日に露ガスプロムと中国CNPC間でピーク時供給量年間380億立米、30年間有効の基本契約を調印。2017年7月には天然ガス売買契約を調印して、2019年12月20日から天然ガスを供給することで両者合意。

 その後、供給開始予定は12月1日に繰り上げられました(最終的には12月2日に供給開始)。

 中国向け天然ガス輸出量は初年度2020年50億立米、21年100億立米、22年150億立米、23年210億立米、24年250億立米を想定、6年目の2025年からピーク時年間380億立米の供給量に達する予定です。

ロシアから中国向け天然ガスP/Lルート

 中国領内では中露国境から内陸部に天然ガスパイプラインは一部建設済みですが、2024年末までに上海まで総延長3371kmのパイプラインが延伸され、上海にロシア産P/Lガスが供給される予定です。

ロシアからウクライナ経由欧州向け
トランジット契約交渉合意(2019年12月19日)

 現行のロシアからウクライナ(宇)経由欧州向け天然ガストランジット輸送契約は2009年1月に調印されました。当該契約は2009年1月1日から2019年12月末まで11年間有効の天然ガス長期契約で、2019年末に失効します。

 ウクライナには莫大なトランジット料金が入りますので、このトランジット輸送がなくなると、ウクライナは困ります。

トルコストリーム”と“ノルト・ストリーム②”が全面稼働すると、ウクライナ経由トランジット輸送量は激減するでしょう。これが、ウクライナが長期トランジット契約を求めているゆえんです。

 一方、ウクライナ経由欧州向け天然ガストランジットパイプラインはロシアにとり必要不可欠な輸送インフラです。

“ノルト・ストリーム②”の年内稼働が不可能となり、ロシア側は大幅譲歩を余儀なくされたことになります。これこそ米国の真の狙いでした。

 ご参考までに、契約更改交渉に臨むナフトガス・ウクライナの対露交渉条件は、①契約期間10年間、②最低年間600億立米のトランジット輸送量。一方、ガスプロムが提案した条件は単年度契約でした。

 上記に対し、2019年12月19日に合意した契約概要は以下の通りです。

●契約期間5年間

●契約総量2250億立米。(内訳)2020年650億立米、以後2021~24年まで各400億立米。

●双方は双方に対する提訴を取り下げる。検討中の訴訟も取り下げる。

●ただし、既判決分の支払いは実行する。ガスプロムはウクライナ側に2019年12月29日までにナフトガス・ウクライナに29億ドルを支払う。

 最終契約書は年内に作成され、正式調印される運びとなりました。なお天然ガスの売買価格は不明ですが、これは発表されないでしょう(商業契約ですから、公表する義務はありません)。

 ウクライナは2015年11月より露からパイプラインガス輸入を停止していますが、トランジット契約が更改されれば、ウクライナ側は元の直接輸入契約に戻るでしょう。

 ウクライナは欧州側からパイプライン逆走により天然ガスを輸入していますが、ウクライナが輸入している天然ガスは元を辿ればロシア産ガスです。

 大きく迂回することによりロシアから直接輸入するよりも25%以上高い価格で輸入しているのですから、直接輸入への回帰は当然の措置になります。

 ご参考までに、ガスプロムがウクライナ経由欧州向けトランジット輸送量は以下の通りです。

“take or pay” 条項

 パイプラインを語るとき、「パイプラインは危険だ」という、2つの(誤った)見方が紹介されることがあります。

 1つ目は、「ソ連(ロシア)からのパイプラインは危険だ。ソ連(ロシア)が元栓を締めたらどうなる」と云う指摘です。

 1960年代終わりから70年代初頭にかけ、ソ連邦西シベリアから西独向け天然ガス輸出構想が浮上したとき、西独経済界を二分する大論争が起こりました。

 それが「ソ連が元栓を締めたらどうなる」論争でした。

 結論から先に述べれば、ソ連・ロシアが政治的理由で元栓を締めたことは一度もありません。

 ソ連・ロシアにとり石油と並び貴重な外貨獲得源ですから、自ら元栓を締めることは自縄自縛行為です。

 ソ連・ロシアからドイツ(西独)やオーストリアには50年以上の長きにわたり、安定的に天然ガスが供給されています。なおガス価格は油価連動型ですから、油価に応じてガス価格も上下します。

 このように書くと必ず「ウクライナ向けを止めたではないか」との反論が出ることは百も承知ですが、ウクライナ向け停止は全く別次元の問題です。これは政治問題ではなく、経済問題です。

 2つ目は「パイプラインは危険だ。買い手がバルブを締めたらたらどうなる」という指摘です。

 これは買い手側が突然受領拒否することがあるので、供給側にとりパイプライン輸送は危険という見解です。

 これには実例があります。それはロシアから黒海経由トルコ向け“ブルー・ストリーム”です。ロシアからトルコ向けに天然ガス供給開始後、トルコ側は突然「ガス価格は高すぎる」と受領を拒否しました。

 天然ガスパイプライン建設や液化天然ガス(LNG)プラント建設には、数千億円から数兆円の莫大な費用がかかります。

 ですから、売り手と買い手は長期契約を調印します。かつ、天然ガスパイプライン契約には“take or pay”(受領せよ、さもなくば金を払え)条項をつけます。

“Take or pay”とは最低引取り量保証条項です。

 通常、契約量に対し80~85%程度の最低引取り保証量を規定し、買い手がそれを下回ると下回った分は違約金を払います。

 ただしこの違約金は没収されるのではなく、次年度の購入分に充当されます。何年分が繰り越し可能かは、契約で規定します。

 上記の“ブルー・ストリーム”にもこの“take or pay”条項が付帯していましたが、トルコ側はこの条項が発効する直前に受領拒否を宣言しました。

 ですからこの場合は契約条件の不整備により、このような事態が発生したことになります。

 パイプライン稼働と同時に同条項が発効する契約条件にすれば、このような事態は回避可能です。

シベリアの力①”にも“take or pay”条項が付帯していますので、パイプライン稼働後に中国側が天然ガス受取りを拒否する事態は発生しないでしょう。

エピローグ
パイプラインガスとLNGの競合

 パイプラインは供給側と受領側を繋ぐ重要な輸送インフラであり、原油パイプライン、石油製品パイプライン、天然ガスパイプライン等が世界中で稼働しています。

 鉄道輸送や貨車輸送と比較して輸送コストも安く、いったん建設・接続されれば双方に利益をもたらします。

 現在、欧州ガス消費量の約4割がロシア産天然ガスです。これは、ロシア産天然ガスが安定供給されていることに起因します。

アラブの春”で北アフリカから地中海経由南欧向けパイプライン輸送が停止したとき南欧は困りましたが、代替供給されたのがロシア産天然ガスでした。

 冒頭の米国によるノルト・ストリーム②阻止法案は、米国産LNGを欧州市場に拡販するための政治的道具です。エネルギーを政治の道具に使っているのは、むしろ米国だと言っても過言ではありません。

 欧州における天然ガス市場シェアは価格と安定供給が保証されるかどうかという、優れて経済的な要因です。

 パイプラインガスとLNGの公正な競合は供給側にも需要家側にもメリットがありますので、今後も欧州ガス市場を巡るシェア獲得競争はさらに激化することが予見されます。

 ロシア側が公正な経済競争に勝利するのか敗退するのか、いまこそガスプロムの鼎の軽重が問われていると言えましょう。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  日本がロシアの海軍力増強に協力か

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(露ガスプロム HP/“シベリアの力①”建設風景)https://www.gazprom.com/projects/power-of-siberia/​