(柳原 三佳・ノンフィクション作家)

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 クリスマスも終わり、まもなく令和初のお正月を迎えます。帰省をしたり、旅行に出かけたり、家族で楽しい計画を立てている方も多いことでしょう。

 でも、家族と過ごす当たり前の時間を、国によって何十年間も理不尽に奪われ、暖房もない部屋でたったひとり年末年始を過ごさなければならなかった人たちがいることに思いを馳せたことがあるでしょうか。

事故や病気が真の原因なのに・・・

 12月16日、大阪で『SBS/AHT被害を考える家族の会』が開かれました。わが子や孫への虐待を疑われ、長期間にわたって子どもと引き離された経験を持つ保護者とその家族がメーリングリストで語り合うほか、定期的に集まって情報交換したり、励まし合ったりしている会です。

 中には、逮捕、起訴され、刑事裁判にかけられた方もおられますが、ここに集う人は例外なく無実を訴え、つい先日も会のメンバーの一人が大阪高裁で逆転無罪の判決を勝ち取ったばかりです。

 会の名前にある「SBS」とは、『乳幼児揺さぶられ症候群(Shaken Baby Syndrome)』の略、「AHT」は『乳幼児の虐待による頭部外傷(AHT=Abusive Head Trauma)』の略です。

 赤ちゃんの脳に硬膜下血腫、眼底出血、脳浮腫などの異常が見られたとき、今の日本ではその3つの症状から、まず「虐待」の疑いが持たれます。そして医療機関は念のため、警察や児童相談所に通報し、そこから親子分離や家宅捜索などが始まるのです。

 そんな中、多くの保護者は「つかまり立ちから転倒しました」「ベッドから転落しました」また、「お昼寝をしていたら突然容体が急変したんです」と説明し、「私は決して虐待などしていません!」と一貫して否定します。つまり、事故や病気が原因であるはずだという主張です。

 しかし、警察や児童相談所は、「虐待をした親が素直に真実を話すはずがない」と疑いの目を向け、親子は引き離されたまま捜査は進行。そして、否認したまま「傷害」や「殺人未遂」という罪名で刑事訴追される人が後を絶たないのです。

 子どもがケガや病気で苦しんでいたら、一番心を痛めるのは保護者でしょう。愛情をもって大切に育ててきたのに、一方的に虐待を疑われてしまう・・・。

 私はこれまで何人もの方々に話を聞いてきましたが、その状況はあまりに辛く、過酷なものでした。

娘への放火殺人を疑われる過酷な体験

 そんな彼らを励まそうと、この日、一人の女性が応援に駆け付け、自身の体験を語りました。

 青木惠子さん(55)。「わが子を手にかけた」として殺人罪に問われ、無期懲役の判決を受けながらも、再審請求で完全な無罪を勝ち取った冤罪被害者です。

 青木さんは逮捕時から否認していたそうですが、自白を強要され、2016年に再審請求が認められるまで、20年以上もの間、拘置所刑務所に収監され、自由を奪われていたのです。

 通称「東住吉事件」、記憶している方もおられるでしょう。

 1995年7月22日大阪市東住吉区にある当時の青木さんの住居のシャッター付き駐車場で火災が発生。惠子さん(当時31歳)と内縁の夫のAさん(同29歳)、長男(同8歳)はすぐに屋外に脱出して無事でしたが、火元となった駐車場に隣接する浴室で入浴中だった長女(11歳)が焼死したのです。

 捜査機関は、「青木さんと内縁の夫が長女の死亡保険金を搾取する目的で、ガレージに駐車していた車の燃料タンクから手動式ポンプでガソリンを吸引して駐車場の床に散布し、ライターで着火。結果的に住宅を全焼させ、入浴中の長女を殺害した」と推定。その後、拷問に近い取り調べを行い、二人はそのストーリーに整合する供述をさせられたのです。

「娘を救えなかったのは殺したのと同じこと」強要された自白

 青木さんはときおり涙声になりながら、当時を振り返りました。

「逮捕後は、朝の9時から夜中の12時まで取り調べが続きました。背もたれのない丸椅子なので、座っているだけでしんどいんです。でも、私はやっていないので調書なんて書けないわけです。あるとき、椅子から崩れ落ちたこともありました。そうすると刑事は、『娘はもっとつらい思いをしたんや! なんで助けなかったんや!』と言うんです。あれは私にとって、一番つらい質問でした。答えられるわけがないんですよね。そのうち、頭がおかしくなっていくんです」

 しかし、刑事の追及は続きました。もうろうとする青木さんに、ときおり優しい口調で語りかけたと言います。

「ある日、刑事はこう言いました。『認めたくない気持ちはわかるよ、でもね、娘に悪いと思ったら、謝らなあかんよ・・・』。私の心の中は、『助けてあげられなくてごめんね』という気持ちでいっぱいでした。すると刑事はこうも言うのです。『助けられなかったことは、殺したことと同じやぞ』と。そのうち、私自身が、『やはり私が殺したことになるんだ、殺してごめんね・・・』という気持ちになり、事実ではない調書が作られてしまったのです」

 子どもを愛するがゆえに、親は「子ども守ってやれなかった自分」を責める傾向があります。そうした親心を逆手にとって、自白を強要しようとする捜査機関の態度には憤りを禁じえませんでした。

わが子や孫へ贖罪の念

 自白を強要されたことによって、31歳からの20年を獄中で過ごすことになった青木さん。この日、『SBS/AHT被害を考える家族の会』の出席者は皆、神妙な面持ちで彼女の話に聞き入っていました。

 青木さんほど長い年月にわたって拘置所刑務所に入れられた人はいませんでしたが、一方的で理不尽な取り調べや、子どもとの長期間にわたる親子分離などはその場にいたほとんどの人が経験してきたことです。

 11月8日に大阪高裁で逆転勝訴が確定した山内泰子さん(69)もそのひとりです。

 お昼寝中に突然、脳出血を起こし容体が急変した生後2カ月の孫への虐待を疑われ、傷害致死罪で逮捕、起訴され、一審の大阪地裁では懲役5年半の実刑判決を受けたのです。

「孫が生きがい」と語る彼女にとって、生後間もない赤ちゃん(次女の娘)を強く揺さぶって虐待することなど、自分でも想像もできないことでした。一貫して無実を訴えましたが、結果的に彼女の供述も受け入れられることはなく、留置場での取り調べの後、保釈されるまで大阪拘置所に入れられたのです。

(関連記事)虐待裁判で逆転無罪、無実の祖母を犯人視した専門家
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 生きがいである孫たちを抱くこともできず、何もしていないのに孫への傷害致死罪に問われ・・・。高齢の彼女にとって、冷房も暖房もないその場所での1年3カ月は、いかに過酷な時間だったことでしょうか。

 山内さんは拘置所の中で、何度も死んでしまいたいと思ったそうです。家族はそんな山内さんを励ますため、拘置所へひんぱんに面会に赴きました。

 そして、弁護団は控訴審で徹底的に闘い、亡くなった赤ちゃんの死因は虐待によるものではなく、病気の可能性が高いことを立証したのです。

「本当に、あきらめないでよかったですね・・・」

 青木さんは、この日、無罪確定の報告をおこなった山内さんにお祝いの言葉をかけました。そして、二人は手を取り合いながら、喜びを分かち合っていました。

 しかし、無罪を勝ち取った後も、かわいがっていた孫が突然亡くなった悲しみは、山内さんの心から消えることはないのです。

冤罪被害者を救済するために闘い続ける

 青木さんには、亡くなった長女の他に、当時8歳の長男がいましたが、逮捕以来、一人残された息子と暮らすことはもちろん、クリスマスお正月を一緒に祝うことも叶いませんでした。

 ようやく刑務所から出てきたとき、彼は29歳の立派な大人になっていました。息子さんとのかけがえのない時間は、二度と取り戻すことはできないのです。

 何もしていないのに、わが子や孫への殺人罪や傷害罪に問われてしまった人々。『冤罪』の中でも、これほど受け入れがたい仕打ちがあるでしょうか。

 この会には、現在進行形で刑事裁判の被告人となっている人が複数参加しており、すでに一審で有罪になり、現在高裁判決待ちの人もいます。

 そんな苦しい状況に身を置く人たちに、青木さんは優しく、しかしきっぱりとした口調でこう語りかけました。

「20年も拘置所刑務所に閉じ込められ、いきなり社会に出た私は、雨が降ったら傘をさすということすらわからなくなっていました。高速道路で車に乗せてもらったときには、どうして料金を払わないの? と聞きました。ETCが何だかわからなかったんです。無罪を勝ち取って社会に出て、自由になるのは嬉しいですが、これからどうやって生きていけばいいのか不安もあります。

 それだけに、今は『冤罪』に対して怒りしかわいてきません。それで、こんな思いをする人をこれ以上生んではいけないと思って、『冤罪犠牲者の会」に参加し、私にできる範囲で冤罪に苦しむ方を助けていきたいと思っています。やっていないのなら、絶対にあきらめないでください。心から応援しています」

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