徳岡孝夫さんと中野翠さんが合計40本のエッセイを寄せた『名文見本帖 泣ける話、笑える話』(文春新書、2012年刊)より、心揺さぶられる「泣ける話」を特別公開。今回は中野翠さんの「貧乏派と金持ち派」です。

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 以前、週刊誌の連載エッセーに書いたことがある話なのだけれど、それからもう25年も経っているし、私にとっては忘れ難い話なので、ここでまた書かせてもらうことにしよう。

 それは、高校時代から最も親しくしている友人K子の話だ。

 どんな話のはずみだったか、K子の昔の貧乏話を聞くことになって、私はしんそこ驚いた。K子が物ごころついた頃、お父さんが事業に失敗して、上野の親類の家の4畳半に親子4人で暮らすことになったという。家具がなく、ミカン箱が机代わり。壁はボロボロだったという。

 私がK子と知り合ったのは高校時代だけれど、その数年前に公団住宅が当たってホッと一息という時だったらしい。いつもキチンとアイロンのきいた制服を着ていて、ブラウスの袖にはお母さんが刺繍したというシャレたイニシャルがあったりして。K子には貧乏たらしい匂いはまったくなかった。だから話を聞くまではそんな少女時代を送っていたとは全然気がつかなかったのだ。

 K子はケラケラ笑いながら話し出した。「小6の時、仲よしでお金持のA子ちゃんが遊びに来て、ウチを見てビックリしちゃってね。あとで他の友だちに“K子ちゃん家(ち)って何もないのよ”って言ったんだって。さすがに私、ムッとなって、A子ちゃんとは口をきかなくなったの。それが伏線としてあってね、そのあと通信簿事件というのがあったのよ。私、オール5だったんだけど、ある時突然、理科だけ4になったのよ」。

「エーッ、オール5!」と口惜しがる私。

「時を同じくしてA子ちゃんの理科が5になったの。わかる? 昔の通信簿は相対評価じゃない? 5はクラスで3人だけとか。A子ちゃんは私立のお嬢さん中学に進学希望だったから、先生があんばいしたんじゃないかという……。それがなぜかみんなの知るところとなって、クラスが私派とA子ちゃん派と二分されちゃったのよ。貧乏派と金持ち派と」

「階級的対立が生まれたわけだ」

「そうなのよ。ドッジボールの時なんか、もう大変。みんな燃えちゃって。殺気すらはらんじゃって」

すごいのねー」

すごいのよー」

「樋口一葉の『たけくらべ』の横町組と表町組のケンカみたいだね。場所も上野で近いしね」

 などと言い合いながら、私とK子は鼻水垂らして笑い泣き。

 貧乏の子は親の人生をもろにかぶる。ドッジボールが殺気を帯びてしまったのは、それぞれが自分と自分の親への誇りを賭けてしまうような気持になったからではないか。大げさに言えば「代理戦争」みたいに。

 私は高校までずうっと公立だったから、さまざまな階層の子がいたはずだけれど、そんなにハッキリと格差を実感したことはなかった。金持とも貧乏とも言い難い、ほんとうに平均的な標準的な家の子が多かったせいかもしれない。

 それでも、たまに貧乏感はウスウスと感じてはいた。崩れかかった古い小さな家に住み、何人かの弟妹がいて、背中に赤ん坊を背負い、校庭で私たちが遊ぶのを遠くから眺めていたTさん。実は給食費(子ども心にも安いと思っていた)が払えないというので私を驚かせたカズコちゃん。みんなが革のランドセルを背負っている中で、一人だけ手作り感いっぱいの布のショルダーバッグを肩に掛けていたU君。でも私は鈍感だったのかなあ、「かわいそう」と思うよりも単純に「変わっているなあ」という気持のほうが強かった。

 K子とA子ちゃんはその後仲直りして、今でも年賀状のやりとりをしているという。

「そんな騒ぎもあったけれど、私、ほんとうのところ貧乏が身にしみてなかったみたい。ある日、先生がクラスのみんなに言ったの。『幸せだと思う人、手をあげて』って。私は迷わず手をあげたわね。ふと気がついたら、手をあげたのは私一人だった。あんなに貧乏だったのに幸せって思ってたのよ、なぜか」とK子。

 それで私たちはまたゲラゲラと笑い、激しくティッシュで鼻をかんだのだった。

(中野 翠)

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