私たちは、家電やパソコンなどを購入する際、かならず保証書が添付されるものを買い求める。
だが、ご利益があるか否かについて保証が全くないにもかかわらず、初詣に参ったり、手相などの占いを頼りにしたり、運気が向くように験(げん)を担いだり、お守りを身に着けたりする。
科学の進歩により、かつては神秘的といわれた現象も実はまやかしだったことが、昨今数多く実証されている。
たとえ祈祷の効力を宗是としてきた真言宗の僧侶であったとしても「神秘の力などあり得るのか」と祈りの力を疑い、その威力を信じない者も実際に数多く存在している。
しかし、祈りのプロである真言行者が、悩みや苦しみを抱えた祈願者に対して、加持祈祷*1を修する際に、「効果があるのだろうか」とか「ひょっとしたら8割くらいなら頑張って効果があるかもしれない」と思って祈っているとしたら、それは問題である。
*1=一般に、病気・災難などをはらうために行う祈祷、または、その儀式。印を結び、真言を唱え、いくつかの象徴的器具を用いて行う=大辞泉。
なぜなら、祈りの効験(効きめ)を信じ切れていないことになるからだ。
家電メーカーの社員が、自社で作った洗濯機を「ひょっとしたら8割くらいなら頑張って綺麗に洗い落とせるかもしれない」などと思うがずはない。
自社製品に誇りと愛着がなくて、どうしてユーザーに自信を持って製品を届けることができようか。
だが、実際に真言行者が、悩みや苦しみを抱えた祈願者に相対し、加持祈祷を修する場合、本気で、全身全霊で、その効験を信じ切って祈らならなければ、その効果は顕れにくい。
医者に見放され、余命幾許もないと宣告された祈願者に加持を依頼された場合、「100%、絶対に効果がある」と祈りの力の効果を信じ切るのは、その場に直面したら難しいかもしれない。
だが、もし自分が修する祈りの効果に疑問を抱いていたとすれば、その自己限定的な思いから抜け出すことができない。
そして、その不安は現実を引き寄せることになる。
それでは、1200年以上施されてきた弘法大師空海より伝わる拝み方、祈り方に対する思いや姿勢が完全に間違っているということになる。
脳科学評論家である澤口俊之先生は、「人間の脳は共鳴する」と仰っている。
それは、ある一人の過去の失敗体験により、その人の脳が「これはできない」と観念が固定化されれば、その周辺の人々の観念までもが影響を受け、共鳴するということである。
真言宗の僧侶が、もし「これはできない」「頑張っても無理!」と祈りの効果、念の威力を疑えば、その疑念は脳内における普遍的な基盤である潜在意識に神秘の力は存在しない、とプログラムされる。
祈りに対する否定的な考え方は、高度経済成長が始まった約半世紀ほどの間に真言宗の僧侶内でも蔓延し、かつて隆盛を誇った密教の強力な祈りは、「そんなものは存在するか」といった脳の共鳴により、もはや風前のともし火となってしまった。
私は大いに憂うのである。
真言行者は秘密瑜伽(秘密瑜伽については第1回をご覧ください=https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58796)の観法をするものであり、そのプロセスとなるカギであり、土台となるのが事相(祈祷・呪術)の実践、つまり行法*2である。
*2=仏語:仏道を修行すること。また、その方法。特に、密教の修法をいう=大辞泉
しかし、昨今では過酷な行法に挑む者は非常に稀な存在というが現実がある。
だが、真言行者でありながら行法をしないのは、浄土真宗や浄土宗などの念仏を唱えることが金看板の宗派が念仏を廃止し、臨済宗や曹洞宗といった禅宗の坊さんが座禅をやめるのと同じことだ。
これでは、自らの本分を放棄していることにほかならない。
本領を捨ててしまった者は栄えないというのは、世の常である。
祈りとは「普段の生活だけでは感じられない直観」や「人知を超えた力」、さらには大いなる何か、神と呼ばれるものの存在とのつながりを感じるものである。
人間は、誰でも、それを心の奥底で知覚し、感得している。
だからこそ、人が生活する場所、足を踏み入れる処には、必ずと言っていいほど「祈りの場所」が存在する。
世界各地、いかなる辺境の場所においても、人が居る場所・居た場所には祈りの場がある。
それは、日本国内だけを見回しても、寺院や神社、お地蔵さんなど、手を合わせて祈る場は、国内すべてのコンビニエンスストアを合わせた数よりはるかに、圧倒的に多いという現実がある。
人は春分、秋分、盆暮れには、墓参りに行ったり、厄年には厄払いをしたり縁起を担ぐ。
時代が変わっても、人の心の奥底には謙虚さが宿り、目に見えないことを懼れ、畏敬の念を抱いている。
祈りは家電製品と違い、保証書がなくとも、人の心に安寧をもたらす効果は確実に存在するのである。
世の中には目に見えない法則が存在している。そして、その目に見えない法則に支配されている。
まじめに努力していても報われない場合もあれば、さぼっているようで実は大成功を収める人が数多くいる。
昔から世の中を動かしているのは権力者や法律、学問などといったものだけではない。
目に見えないコトや目に見えないモノが影響し合って世界の歴史を動かしてきた。
もし嘘だと思うなら、世の中を注意深く観察してみてほしい。
言葉では説明のつかないような不可思議な出来事が、いまもあふれていることに気がつくはずだ。
[もっと知りたい!続けてお読みください →] 願いを叶えられる人と叶えられない人
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