昨年の春、私は新著刊行を機に、販売促進のため遅ればせながらTwitterを開設した。ユーザー歴は1年ほどである。そのため使用方法や、SNS空間特有の作法を十分にわきまえておらず、いつか「炎上」を引き起こしてしまうのではないかと内心怯えながら、日々の徒然を呟きはじめたのである。 

 そして暮れも押し迫った2019年12月17日、ついにその日が訪れてしまった。事の発端は、以下の私のツイートである。 

“以前担当した「民俗学」の講義で、受講生から「いつになったら妖怪が出て来るんですか?」と言われて絶句しました。「シラバス読んだでしょ?」と答えるしかありませんでしたが、民俗学へのイメージに「妖怪」と「夜這い」を代表させた言説を検証したい。僕にとって、かかる先入観は「風評被害」です。”


 これは、私が今まで出講した大学で何度も経験した出来事である。あらかじめ講義計画で示した内容とあまりにズレた質問をする学生と度々出会うにつけ、私の中で、「なぜ世間では民俗学に『妖怪』や『夜這い』といったエキセントリックイメージが付着しているのだろう」という疑問が芽生えていった。そのことを何気なく呟いたのだが、今では言わでものことだったと後悔している。 

 当初、このツイートにはさしたる反応はなかったが、数時間後、妖怪研究を専門とするある民俗学者がリツイートしたのをきっかけに、にわかに大量のリツイートがはじまり、件数はわずかの時間で1000以上に急上昇、一気に炎上状態となった。 

 これに呼応するように、私への批判的なリプライが相次いだ。いずれも匿名のユーザー曰く「(学生の質問は)あなたの講義がつまらないという意思表示では?」、「(私の講義が)ここまで妖怪ハンター無しとは失望した。お前らの間違った民俗学観はまだ間違い足りないようである」等々。はじめて自分の身に起きた事態に、私は恐怖を感じ、ただ呆然として推移を見守るしかなかった。   

「民俗=醇風美俗」と捉える危険性 

 確認しておくが、私は前述のツイートで、妖怪も妖怪研究者も批判していない。「風評被害」という言葉は穏やかではなかったかもしれないが、それは巷間で「民俗学=妖怪研究」というイメージが根強いことを私が実感しており、その厄介さを吐露したに過ぎないのである。 

 にもかかわらず、なぜ件のツイートに怒りをおぼえる人が続出したのだろうか? 

 民俗とは、平たくいえば私たちの日常にある習慣/慣習といった伝承的知識の総体である。ただし、「民俗」という語感から想起されるものは、そのうち「古き良き時代」を幻視できる文化財的な価値観ではなかろうか。

 妖怪も、少なくとも悪いものではないだろうから、そのような表象の拘束下にあるとみてよい。私の不用意なツイートに反感を示した人たちは、「古き良き日本」を象徴し、自らが愛好するキャラクターまでも批判されたと受け取ったのかもしれない。あるいは、妖怪を「夜這い」と並記したことに、えもいわれぬ屈辱感を抱いたのだろうか。 

 だが、民俗を総じて良いもの=「醇風美俗」のように捉えるのは危険である。 

 たとえば、件の「夜這い」や「嫁盗み」などの民俗慣行にしても、かつて日本各地で広く行なわれていたものだが、今日の感覚では刑法犯罪ともとられかねない事象である。しかし、これが民俗学的言説にかかると「昔の日本人の性は開放的で、大らかだった」というようなポジティブな物言いにすり替わってしまうのである。 

 とくに「夜這い」については、仕掛けられる女性の側に諾否の権利があったのかどうか疑わしい点も多く、その実態は「自由恋愛」などといった近代的なイメージとはほど遠く、私の感覚では開放的というよりも陰惨であり、加えてその伝承の語り口は、多分に男性目線的である。 

 このように、民俗の細部にある矛盾や差別を十分に検証しないまま、これを民俗学者が明るく語ることへの批判は、比較文学者の小谷野敦氏らからも出されている(小谷野『改訂新版 江戸幻想批判-「江戸の性愛」礼讃論を撃つ』新曜社)。しかし、民俗学内部の反応は皆無に等しく、むしろ似たような価値観の人たちのみが結集する「親密圏」へと没入しているかのように私には映る。 

同調圧力を認めてしまいかねない言説も

 また、民俗的価値観同調圧力を惹起し、弱者をさらに苦しめる可能性もある。 

『仏教民俗学』(講談社学術文庫)などの著書があり、国立歴史民俗博物館教授も務めた宗教学者の山折哲雄氏は、会社内でハラスメントを受けた被害者が内部告発することを、日本的美風に反した「裏切り行為」だとして批判している(山折「正義の名による『裏切り行為』である」『中央公論』117巻6号)。要するに、組織や社会の秩序維持のためには、たとえ不当な扱いを受けても、内々での解決を目指すことが、民俗的価値観に照らして正しい態度だというわけだ。 

 こうした主張は、つい先日、自らの性被害を公表して裁判に臨み、一審勝訴の判決を獲得した伊藤詩織さんに対する世間の過剰なバッシングと同根といえるのではないか。つまり民俗学的言説には、そうした風潮にお墨付きを与えかねない危うさが含まれているのである。 

り出された「親密圏」 

 一連の炎上騒動を観察する中で、私が興味深いと感じたのは、インターネット空間では、大学の教壇にも立つような妖怪研究者と妖怪マニアとが一種の「親密圏」を形成しており、妖怪を直接批判しなくても、ネガティブな文脈で語っただけで、あたかも「自分たちが否定された」かのように即断し、共通の敵に対しては猛然と反撃に出る人々と環境とが、常に存在するらしいということである。  

 問題は、正当な学問を修めたであろう研究者が、およそ研究者らしからぬ幼稚な言辞を弄してマニアを煽ったり、進んでその旗振り役を担ってしまう構造が存在する点である。このことは、民俗学には研究とマニアとの線引きができていない「主客未分化」の研究者が存在することを意味しており、学術としての民俗学にとって、ゆゆしき事態だといえる。 

 たとえば、織田信長明智光秀に討たれた「本能寺の変」は、徳川家康が黒幕だったとする陰謀論がある。1996年に放送されたNHK大河ドラマ『秀吉』(竹中直人主演)では、この家康黒幕説が採用され、信長死亡までの経緯が描かれていた。「本能寺の変」のように、真相がわからない重大事件は、常に後世の人々の好奇心を刺激してきたのだろう。しかし残念ながら、いかなる黒幕説も史料的裏付けを欠いており、歴史学では到底承認されない珍説である。 

 一方で、その種の陰謀論は歴史マニアの中に根強い信奉者が存在するのも事実である。最近では『応仁の乱』(中公新書)の著者で歴史学者の呉座勇一氏と、そうした珍説を主張するメディア文化人との間で熾烈な論争が交わされたが、このような論争を行なうことで、歴史学は学術としての正当性を世に発揚できるのだ。 

チンギス・ハーン源義経」という珍説を学者が支持したら

 だが、もし歴史学者が、荒唐無稽な巷説を奉じる歴史マニアと「親密圏」を形成し、徒党を組んで陰謀論や「チンギス・ハーン源義経である」などの妄説を展開しはじめたらどうなるだろうか。その人の学術的信用は確実に失墜するであろう。 

 民俗学の困難は、こうした学問の正当性を賭した厳しい議論が起こりにくいことである。なぜなら、研究者自身が、研究対象としての「民俗」への愛情が先行するあまり「主客未分化」に陥り、学問が当然もつべき峻厳さが忘れられがちだからである。このことは、民俗とは常に愛惜の情感が向けられ、保護・顕彰されるのが当然であるという印象のみを広め、その負の部分に対して言及することへのタブーさえ醸し出しているといえる。 

日本民俗学の創始者・柳田国男が指摘したこと

 日本民俗学の創始者・柳田国男(1875-1962)は、民俗が、時に人間の尊厳や自由を抑圧する可能性があることを指摘し、その現状把握のために民俗学の体系化を企図したとみられる。そして人々に対しては、民俗の良し悪しを自分の頭で考え、その改廃を含め自ら判断することを求めた。この点、柳田の学問構想には啓蒙主義的な面があったといえるが、後学の私たちは、民俗=伝承的知識に基づく価値観を全的に肯定し、これにすべてを預けてしまうのではなく、個々の民俗が本当に良いものなのかどうかを不断に検証していくべきなのだ。 

 そうした実践のありようを敢えて表象するならば、権威や権力、伝統や前例に無条件にひれ伏してしまう「事大主義」に対して「反・事大主義」 とするのが正確であり、少なくとも私はこの立場である。 

 ところが、現行の民俗学では、民俗の良い面ばかりが注目され、それが民俗学全体のイメージ形成に寄与し、さらにはマニアや愛好家たちをも巻き込んで「親密圏」が広がっている。

 そして民俗=良いものという前提が存在しているがために、そのイメージに異論を差し挟み、「風評被害」という強い表現でこれを評した私に対して、「親密圏」の成員たちが感情的反発を示したのが、件の炎上騒動の本質であったと思う。とくにマニアにとって、妖怪を云々することが「学問」であるということ自体が、自らの嗜好を高尚なものへと引き上げ、その自尊心を満たしてくれるステイタスシンボルだろうし、「親密圏」の中心に研究者がいることは、何よりも心強かろう。  

 なお、柳田国男の生涯最後となった講演は「日本民俗学の頽廃を悲しむ」という衝撃的な演題であったが、そこには、「珍談、奇談」を弄ぶばかりで現実政治や社会的な問題に無関心な民俗学者に対する、柳田の苛立ちと絶望が込められていた。その点では、ネット空間の「親密圏」に閉じこもる研究者が「民俗学=柳田国男というイメージこそ『風評被害』」だと述べたことは、確かに一理ある。 

(室井 康成)

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