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007の原作者、イアン・フレミングの愛車

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Olgun Kordal(オルガンコーダル)
translationKenji Nakajima(中嶋健治)

 
1964年に銀幕の世界へアストン マーティンDB5がデビューしてからというもの、アストン マーティンジェームズ・ボンドは切っても切れない関係となった。DB5は映画と自動車というカルチャーを結びつけるのに一役買った。

ロンドンの北にあるアストン マーティン創業の地、ニューポート・パグネルとジェームズ・ボンドとの結びつきはもう少し長い。007イアン・フレミングの小説の世界だった時代にまで遡る。

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アストン マーティンDB MkIII1957年1959年

ジェームズ・ボンドが登場する最も初期の作品、カジノ・ロワイヤルが出版されたのは1953年。フレミングが描いた主人公は、執筆者の人生を映し出してもいた。

ロンドン西部、イートンの町で士官学校時代を過ごし、第二次大戦中は英国海軍の情報部に所属。自動車への深い造詣も歳を重ねる中で培った。その知識は、1930年ベントレー41/2リッター「ブロワー」の登場にも表れている。

ジェームズ・ボンドの移動手段として、本格的に自動車が描かれるようになったのは、1959年のゴールドフィンガーとなる。この小説が映画化され1964年に公開されると、ボンドが駆ったアストン マーティンはスター級の扱いを受けた。

小説の出版と映画の公開までには5年間の時間があったが、生みの親、イアン・フレミングがその頃に手に入れたクルマが興味深い。

主役級の注目を集めたアストン DB MkIII

自身の経験や知識をもとに、よりきらびやかで刺激的な世界として文章化したフレミングポルトガルの街、エストリルにあったカジノや、彼が愛したゴルフの表現などは良い例だろう。

ゴールドフィンガーの中でフレミングは、ロイヤル・セント・ジョージ・ゴルフクラブを描き、不朽の名場面を作り上げた。悪役、オーリック・ゴールドフィンガージェームズ・ボンドとの対決のシーンだ。

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アストン マーティンDB MkIII1957年1959年

ちなみにゴールドフィンガーという名前は、当時の建築家、エルノ・ゴールドフィンガーから来ている。フレミングは彼の建築をかなり嫌っていたのだ。

ゴールドフィンガーの中で、フレミングジェームズ・ボンドに乗らせたのは、アストン マーティンDB MkIIIなのはご存知の通り。ところが作品発表の数年後、イアン・フレミング自身は当時最も直接的なライバルだったといえる、ACアシーカをガレージに収めた。

DB MkIIIよりアシーカの方が登場は早かったが、アストン マーティンの血統をさかのぼれば、フランク・フィーリーがデザインした1950年のDB2へとたどり着く。実業家デヴィッドブラウンが経営者となった時代の、初めての市販車だ。

アストン マーティンDB2は、フレミングがゴールドフィンガーの執筆を始めた時点で変更を受けていた。1953年に登場したDB2/4は実用的な4シーターになり、エンジンもヴァンテージ版へと変更されている。

アヒル口のフロントグリルを獲得

1955年になるとDB2/4はMk2となり、ボディには小さなテールフィンが追加。テールライトも新しくなり、フロントフェンダーのデザインもより魅力的なものになっている。そして1957年に、映画で主役級の扱いを受けるDM MkIIIへと進化した。

ほかにも、DB2からDB2/4へアップデートされた際の内容は大きい。ルーフラインは高くなり、リアのクロスブレースは、定員を2名増やすために取り除かれた。リアウインドウは再設計を受け、大きな荷室へのアクセスも容易になっている。

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アストン マーティンDB MkIII1957年1959年

DB MkIIIへの進化で最も特徴的なのはアヒル口のフロントグリル。DB3Sレーサーのイメージに大きく影響を受けた形状で、それ以来すべてのアストン マーティンへと展開される、トレードマークといっていい。

アルミニウム製のボディを支えるのは頑丈なシャシー。エンジンはウォルター・オーウェン・ベントレーが設計したDB2/4の直列6気筒に、大幅な改良を加えている。エンジニアのタデク・マレックがエンジンブロッククランクシャフト、給排気系を設計し直している。

最高出力は142psから164psへと向上。今回試乗したツインエグゾースト仕様の場合、180psにまで引き上げられた。ガーリング社製のディスクブレーキは後に標準装備となっている。

インテリアもすべて新しくリ・デザイン。計器類はこの代になって初めて、ドライバーの正面にレイアウトされた。

わずか8台のみのラッドスピード社製

一方のACアシーカの起源は、1953年のACエースにまで遡る。オープントップのスポーツカーで、フェラーリ166バルケッタに影響を受けたクルマだ。

軽量なチューブラーフレームのシャシーの上に、アルミニウム製のボデイパネルと、木製フレームのドアが取り付けられている。アシーカのボデイは、アストン マーティンと同じハッチバック・スタイル。

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アストン マーティンDB MkIII1957年1959年

モデルライフは9年間に及んだが、その中で注目するべき変化はパワートレインだろう。初期のアシーカには既に年季の入った2.0L OHC直列6気筒エンジンが搭載されていたが、1956年のクルマからはブリストル製の121psの直列6気筒へとスイッチし、パワーアップ。

1961年になると、フォードゼファーに搭載されていた2.6Lエンジンへと変更。ラッドスピード社によって手が加えられ、5段階のチューニングから選択できた。

エントリーグレードのアシーカには、軽く手が加えられた鋳鉄製エンジンヘッドを備える。トップグレードのエンジンは更なるチューニングが与えられ、172psを獲得。トリプル・ウェーバーキャブに、レイモンドメイズの手によるアルミニウム製ヘッドが載っている。

同時期、ACエースはキャロル・シェルビーからの注目も高く、コブラへの対応に追われる中で、ラッドスピードが手掛けたアシーカは8台のみ。イアン・フレミングが手に入れたACアシーカのシャシーナンバーはRS5506。1967年8月のモデルだった。

続きは後編にて。


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