1990年から続いてきた大学入試センター試験も、今年で最後を迎えます。来年からは「大学入学共通テスト」に衣替えとなりますが、改革の目玉だった英語民間試験の活用と国語・数学の記述式問題が見送られ、見送りに至った問題点の検証と今後の大学入試の在り方を議論する検討会議が、1月15日に始まりました。共通テストに対する批判の高まりとともに、「センター試験に戻せ」という意見も根強くあります。

 改めてセンター試験の30年を振り返っておきましょう。

良問を出題、私大にも影響力

 センター試験の前身である共通第1次学力試験(共通1次、1979~89年)は、原則として国公立大学だけが対象でした。難問や奇問を排した良質な問題は高校側にも歓迎されましたが、私立大学が参加しなかったため、入試改革の効果は限定的でした。また、2次試験との組み合わせによる多様な選抜を目指したはずが、5教科7科目(1987年度からは5科目)の画一的な実施のため、偏差値による大学の序列化が進んでしまったのも事実でした。

 そこで、臨時教育審議会(中曽根康弘首相=当時=の諮問機関)での論議などを受けて、センター試験が導入されることになりました。共通1次の成果を引き継ぎつつ、私立大学も含めて自由に利用教科・科目を選択できる「アラカルト方式」を採用。大学入試の個性化・多様化に貢献しようという狙いでした。

 今や、センター試験は毎年50万人規模の受験者がおり、高校卒業者の半数近くが受ける試験となりました。私大の多くも、センター試験の成績で合否が決まる「センター入試」がすっかり定着しています。

肥大化する試験、変質した受験生

 このように好評を得たセンター試験ですが、時代とともに機能にはほころびも見え始めました。2012年に起こった問題冊子の配布ミス続出が典型です。全国で700を超える試験会場で、分厚いマニュアルに基づく試験監督の下、50万人規模の受験生に対して同時刻一斉に同じ試験を実施するというのは、実は相当な努力が求められることです。

 受験生集団の質が変化したことも見逃せません。ちょうどセンター試験の始まる頃、18歳人口がピークを迎えるとともに大学の数と入学定員が増えていき、今や、えり好みしなければどこかの大学に入れる実質的な「大学全入時代」が到来しています。浪人が当たり前だった時代と比べ、受験によって勉強意欲を促すことが難しくなってきました。

 良問を出題しているはずのセンター試験も、受ける側の姿勢によっては台無しになることがあります。高校の進路指導担当者からは近年、「そこそこの点数さえ取れればいいという生徒が多くなった」という嘆きがよく聞かれます。

 もっと深刻な調査結果もあります。白水始・東京大学教授らの研究グループが、過去にセンター試験で出題された問題を受験者がどう解いているか調べたところ、小説の全文を最初に読まず、設問を見ながら本文を参照して解く者が少なくなかったといいます。

「男女の関係性の変化を捉えてほしい」という出題意図にもかかわらず、「登場人物が男性か女性か」さえ意識せずに正答した人すらいました。消去法キーワードによって一つの正解を探す「テクニック」に頼る傾向を、センター試験が助長した側面も否めません。

思考力重視の共通テスト

 共通テストも、目玉の2つが見送りとなったからといって、センター試験に戻るわけではありません。思考力・判断力・表現力を測ることを重視する方向で出題方法がガラッと変わるからです。さらに、個別大学の入学者選抜では、(1)知識・技能(2)思考力・判断力・表現力(3)主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度――の「学力の3要素」すべてを評価することが求められます。

 もっと言えば、個別入試も含めた今回の大学入試改革は、高校教育や大学教育の改革と一体になった「高大接続改革」を目指すものです。その中での入試改革も、もともとは「入試によって教育を変えよう」というより、「入試に教育の質を保証させる機能までを負わせた過剰な在り方を見直そう」という発想でした。

 キーワードだけで問題を解くなら、人工知能(AI)でもできることです。国立情報学研究所の「東ロボくん」プロジェクトでは、AIが模試で一定の合格可能性をたたき出しました。問題文の意味を十分に理解しないで解こうとするような姿勢では、AIに仕事を奪われても文句は言えないでしょう。

 センター試験30年の「功罪」をきちんと踏まえた上で、その良さを継承しつつ、現在と将来にふさわしいテストや選抜の在り方を模索したいものです。

教育ジャーナリスト 渡辺敦司

昨年の大学入試センター試験(2019年1月、時事)