虐待を受けた子どもなどを、緊急の避難先として保護する「一時保護所」という施設がある。その名の通り、あくまで一時的に保護を行う施設であり、滞在できるのは原則2カ月まで。その間に、親元に帰す、児童養護施設へ預ける、などの判断が下される。

しかし、2019年に実態調査を行った東京都の第三者委員が、子どもを管理するルールが「過剰な規制で人権侵害にあたる」と指摘した。

一時保護所の課題とは何か。一時保護所に入所していた経験があるNPO法人「OAC(社会的養護で育つ子どもたちの地位向上ネットワーク)」の安田和喜さん(25歳)に話を聞いた。(ジャーナリスト・肥沼和之)

●父からの暴力「チェーンソーで足を切られそうになった」

―― 安田さんはいつ頃、どういった経緯で一時保護所に入ったのですか。

父親の虐待が原因で、14歳の頃、都内の一時保護所に入りました。父は造園会社を経営していたのですが、僕が小学校3年のころに倒産し、そのあたりから日常的に虐待が始まりました。うちは父子家庭で、助けてくれる家族はいませんでした。

暴力は当たり前で、チェーンソーで足を切られそうになったこともあります。家にお金が全然なく、近所の畑の無人販売所から野菜を盗んで来いとか、叔母さんや友達のお母さんからお金を借りてこい、と言われたこともあります。

中学2年のとき警察に逃げ込み、「虐待されている、助けてください」と訴えたのですが、父を呼ばれて家に帰され、めちゃくちゃ殴られましたね。次の日も同じ警察署に行き、殴られた痕を見せて、ようやく一時保護所に連れていってもらいました。

●「女子を見る」「女子と喋る」は禁止

――安田さんが入った一時保護所には、何人くらいの子どもたちがいましたか。

約50人です。小学生が約10人、残りは中学生です。僕は6人部屋に入れられました。男女比は男6割・女4割くらいだったのですが、施設内では女子と喋ることも、見ることさえも禁止なんです。

生活空間は一緒なのですが、床に男女を隔てる赤い線があって、そこを越えるとペナルティを与えられます。今思うと、性的な事故を未然に防ぐためだったのかもしれません。

――ものすごく徹底していますね。一日のスケジュールはどのような感じなのでしょう。

朝6時に起床して、まずトイレや床などの掃除をします。終わったら廊下に整列して、担当の職員にチェックしてもらい、7時から朝食。おしゃべりは禁止です。職員からの評価がいい子だけ、おかわりができました。

食後に歯を磨くのですが、「いいよ」と言われるまで磨き続けないといけません。止めてしまった子がいると、連帯責任でもう一回最初から。口をゆすぐときも、手を挙げて許可を取るんです。トイレも勝手に行けませんでした。

衣食住は確保されているのですが、基本的にすべての行動が制約されていましたね。私物も持ち込めないので、服も下着もすべて施設に用意され、番号が振られたものを着ていました。

――学校には行けるのですか。

いえ。学校には行けず、社会からは隔離された生活でした。

といっても、勉強はします。朝9時から教室に集まり、施設にある教科書で好きな科目を勉強しました。学校の元教員や、ボランティアの学生が教えに来てくれていました。終わったら体育の授業で、1週500メートルのグラウンドを8周、計4キロ走りました。靴紐がほどけると、さらに一周追加です。

昼食を食べて、午後はまた勉強。夕方にお風呂に入るのですが、入れるのは週に3回だけ。入浴時間は10分で、使えるシャンプーの量も決まっています。自由時間はありますが、騒いだらダメなので、テレビを見たり漫画を読んだり、ボードゲームをしたりするくらい。その後、読書と黙祷の時間があって、21時に消灯です。

―― 一時保護所に入られて、一番つらかったことは。

私語禁止です。職員にバレると「個別」といって、他の子と違うスケジュールで行動させられます。みんなが自由時間のとき、壁に向かって一人で反省文を書かされるとか。ハリー・ポッターの本の書き写しをさせられたことも。それが1~2週間くらい続きましたね。

一番つらい思い出は、土日に社会科見学があるのですが、少年院の前に連れていかれて、「お前たちもいずれはここに入るから、よく見てろ」と職員から言われたことです。

僕がいた施設は5人の職員(女性2人、男性3人)がいました。公務員なので、ジョブローテーションの一環で、たまたま担当になっただけなのかなと。少なくとも、虐待を受けた子をどう支えるべきか、など専門性は持っていないように感じました。

「何でここにいるのか分かるか? お前が悪いからだ!」と、胸ぐらをつかまれて怒鳴られた子もいます。

●「虐待を受けた子」と「非行に走った子」が一緒になる弊害

――どのような課題があると思われますか? 

僕が入っていたのは約10年前ですから、今は変わっている部分もあると思います。現在、一時保護所で働いている友人に聞くと、その施設は私語禁止もなく女子とも話せるそうです。

ただ、最近まで入所していた子どもに話を聞くと、怒りを持っていることが多い。「一時保護所、死ねばいい」と言っている子もいるので、まだ課題は多いのだと思います。

また、大きな問題として、一時保護所は「虐待を受けた子」と「非行に走った子」が一緒に入っているんです。厳しい統制は、非行の子どもを管理するために必要なのかもしれませんが、虐待を受けた子には逆効果になる可能性もあります。

「虐待を受けた子」といっても様々です。虐待を受け続けて「やっと救われる」と入ってきた子もいれば、よくわからないままソーシャルワーカーに連れていかれ「自分が悪い子だから親に捨てられたんだ」と思い込む子もいます。

そういう子が一時保護所で厳しくされると、児童養護施設に移っても荒れますし、自立にも影響が出ることが多い。虐待を受けてきた子どもは、一時保護所ではなく、最初から児童養護施設が保護すべきだと僕は思います。

できないなら、一時保護所で手厚くケアすべきですし、できないならせめて傷つけないよう、そっとしておいて欲しいです。一時保護所は、中学生など高齢児童が多い。すると、虐待された期間が10年近くになることもあります。

でも、養護施設にいられるのは数年だけなので、ケアの期間として全然足りないんです。一時保護の段階から施設に慣れ、職員との関係をつくっていく必要がある。今は子どもの数に対し、職員の数が少ないので、難しいのかもしれませんが。

――安田さんは「OAC」の職員として、施設に入った子どもたちのために活動していますが、その背景には、ご自身の経験があったのですね。

私は今、NPO法人「OAC(社会的養護で育つ子どもたちの地位向上ネットワーク)」の職員として、児童養護施設で暮らす子どもたちの就労・就学支援を行っています。児童養護施設は、さまざまな事情で親と暮らせない子どもが入る場所で、基本的に18歳になったら出なくてはなりません。

家族の支援を受けられない子がほとんどなので、出所後は就労も就学も難しいのが実情です。お金に困って、悪い道へ進んでしまう子や、風俗で働かざるを得ない子もいます。

そこで、僕らは専門学校と提携し、保育士や介護士など、子どもたちが安定して働ける資格の取得支援などを行い、社会に送り出しています。(以上、安田さん)

●声を上げていくことが、子どもたちの未来につながる

安田さんの話を聞き、一時保護所には想像以上に多くの課題が残されていると感じた。

一時保護所は全国に139か所(H31年・厚労省)あり、年間2万3276人(虐待1万1607人、非行3536人など)の児童が保護された。一時保護所によって救われた児童や家族は多く、社会に必要な存在であることは間違いないだろう。

人権侵害とまで言われる厳しい統制も、理由がないわけではない。粗暴な子どもを管理するためや、保護に反発して連れ戻しに来る両親から守るため、などだ。安田さん自身も入所中、父親に居所を知られてしまい、乗り込まれそうになったとき、守ってくれたのは一時保護所だったという。

一方で、一時保護所での生活や職員の対応により、心の傷をより深めてしまう児童もいる。一人ひとりに合わせたきめ細かなケアが行わればベストなのだろうが、職員不足などの理由で実現できていないようだ。

一時保護所の本来の目的を見つめなおし、そのあり方について考え、声を上げていくことが、子どもたちの未来につながる。取材を終え、改めてそう感じた。

【著者プロフィール】 肥沼和之。1980年東京都生まれ。ジャーナリスト、ライター。ビジネス系やルポルタージュを主に手掛ける。東京・新宿ゴールデン街のプチ文壇バー「月に吠える」のマスターという顔ももつ。

私語禁止、壁に向かって反省文、職員のモラハラ…虐待から逃れた子どもが「一時保護所」で直面するリアル