日本は江戸時代に200年以上にわたって「鎖国」を行っていたが、1853年のペリー来航をきっかけに政治体制や工業体系は急激な変化をみせ、極めて短期間で国力は大きく伸びた。

 中国の清朝でも明治維新と同時期に洋務運動という国力増強運動が行われたが、洋務運動は一般的に失敗に終わったと認識されている。中国メディアの百家号はこのほど、「近代アジアにおいてなぜ日本だけが列強となり、世界の歩みについていくことができたのか」と疑問を投げかける記事を掲載した。

 記事は、「日本は広いアジアにおいて特別な存在」であるとし、黄色人種でありながらも欧米人のような精神性を持っていると主張し、近代日本における目標が「脱亜入欧」であったことからも、日本人の精神性の違いがわかると主張。19世紀後半、アジアは西洋列強によって次々に植民地とされたが、日本は独立を維持するどころか「アジアで唯一の列強となった」と伝えた。

 続けて、日本はアヘン戦争によって清王朝が英国に侵略されたことに対して強い危機感を抱き、その後のペリー来航で国家存亡の危機を感じたと主張。それが日本の列強への成長に繋がったと主張する一方、当時の清王朝は世界的にみて大国であったが、「清王朝ですら列強になれなかったのに、なぜ日本はそれができたのか」と問いかけ、しかも清王朝は日本より早くに洋務運動を開始していたにもかかわらず、なぜ明治維新だけが成功を収めたのかと疑問を投げかけた。

 これに対し、洋務運動は「清王朝の既得権益者が封建制度の維持を前提に、西洋の技術を学ぶことが目的だった」とする一方、日本は明治維新を通じて政治や経済構造に至るまで、欧州の国を手本に根本的に変えたことが奏功したと強調し、これがすべてを決めたと主張。

 そして、日清戦争日露戦争の勝利をきっかけに、日本は西洋に認められる国になったと強調、ペリー来航から50年もかからずに一気に世界の列強にのし上がったのは驚異的と指摘した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

鎖国していた日本はなぜペリー来航から50年で列強にのし上がることができたのか=中国