タイのバンコクで開催中のU-23アジア選手権もベスト4が出揃い、準決勝の組み合わせは韓国対サウジアラビアオーストラリアウズベキスタンと、日本をのぞけば順当な顔合わせとなった。グループリーグ敗退から約1週間が過ぎ、ようやく森保監督の責任を問う声も沈静化したようである。

さて今回は、あまり紹介されることのなかった前回の2018年大会を振り返ってみたい。18年1月に中国で開催された大会は、森保監督が指揮を執り、日本はU-21世代で大会に臨んだ。

森保監督が日本代表とU-23日本代表の監督に、正式に就任したのは18年のロシアW杯後である。しかし、その半年前に東京五輪世代の監督に就任し、主力となるであろうU-21日本を立ち上げたのは、すでにロシアW杯後の代表監督兼任が“規定路線”であったことがうかがえる。

大会に参加したメンバーも、GK小島亨介(当時は早稲田大)、DF立田悠悟(清水)、古賀太陽(柏)、MF森島司(広島)、遠藤渓太(横浜F・M)、FW旗手怜央(順天堂大)、田川亨介(鳥栖)らは2年後の大会にも招集された。

恐らく誤算だったのは、中国大会に参加した板倉滉(当時仙台)、三好康児(当時札幌)、前田大然(当時松本。大会前に離脱)らが海外移籍したため今大会に招集できなかったことだろう。

それでも中国での大会では、パレスチナ、タイ、北朝鮮とのグループリーグを3戦全勝と余裕で突破してベスト8に進出した。

残念ながら準々決勝で優勝したウズベキスタンに0-4で完敗したが、ウズベキスタンは準決勝でも延長戦ながら韓国を4-1と圧倒し、決勝戦も延長戦に入ったもののベトナムを2-1で下して初優勝を遂げた。当時の年代では“最強”を印象づけた躍進でもあった。

ちなみに得点王は6ゴールをあげてカタールの3位に貢献した、スーダン生まれのFWアリモエズ・アリである。1年後のアジアカップ決勝では日本戦で1ゴールを決め、通算9ゴールと大会新記録で得点王とMVPを獲得した。アジアカップでの活躍を記憶している読者も多いのではないだろうか。

あれから2年が過ぎ、日本も含めてメンバーは入れ替わった。今大会でベスト4に進出したオーストラリアサウジアラビアに加え、ベスト8のシリアとタイもグループリーグで敗退している。年齢制限があるがためのチーム作りの難しさに加え、五輪の出場権がかかっていないため、参加国の姿勢に温度差があったことも波乱の一因だろう。

とはいえ、日本は2年後を見据えてアンダーカテゴリーの強化を重ねてきた。久保建英はともかく、安部裕葵らが海外移籍して招集できなかったのは誤算だっただろう。それでも森保ジャパンはグループリーグ突破という最低限のノルマさえ達成できなかった。ここらあたりの検証を、技術委員会にはしっかりとして欲しいものである。



【六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
サムネイル画像