1月16日よりスタートした新ドラマ『ケイジとケンジ 所轄と地検の24時』テレビ朝日系)は、タイトルの通り刑事と検事がタッグを組むバディものである。つまり、刑事・仲井戸豪太(桐谷健太)と検事・真島修平(東出昌大)が協力し合って事件を解決するドラマ……だと思っていたのだが。

少なくとも、初回はそんな内容じゃなかった。2人は協力なんかしないし、せいぜい強盗殺人の再捜査をする豪太に「とにかく物証を見つけてくれ」と修平がケツを叩いたくらいである。

2人は言い分が180度異なる。
「あなたがた刑事は捜査官、検事は法律家。捜査上のパートナーかもしれないが、あなたと僕では決定的に立場が違う」(修平)
「むかつくわ、あの上から目線。検察が上で、俺ら警察は下や言わんばかりに!」(豪太)
一国民の立場からすると、刑事と検事の関係性は意外と知らない。2人の主張は対立しているが、「検察の指示を受けて警察が捜査をする」という構図に間違いはないようだ。「警察が事件の被疑者を検察に送致してくる。それを我々検事が取り調べて、起訴する」(修平)というシステムを、やり取りの中でさりげなく説明してくれたのは勉強になった。

『ケイジとケンジ』が持つ新しさ
現在は対立している豪太と修平も、やがて共鳴するはず。役職を越え、刑事&検事が手を組む展開はバディものの新たな方向性である。2人の関係性がどのように変わっていくかは見ものだ。
何しろ、今作では事あるごとに縦社会(検察が上、警察が下)が強調される。修平の好きなみなみ(比嘉愛未)の兄に豪太がいるという関係性は、今後の肝になってくるはずだ。

もう1つ、このドラマには今までの作品になかった新機軸がある。事件の真実について口論する豪太と修平を制したのは「OKAZU-YA」女将で元裁判官・宮沢かほり(奥貫薫)の一言だった。
「もう、やめて! 神のみぞ知る。真実を知ってるのは神様だけなのよ。そこで一体何が起こったか、それは誰にもわからない。証拠がなければどうしようもない」

つまり、真実の追求がテーマではなく、「人が人を裁くとはなんぞや?」を考えさせるのが今作のコンセプトなのだ。小さな事件を強盗殺人にすることで出世の足がかりにしようとした修平が、「殺意を証明しようもない」と起訴内容を窃盗罪と住居侵入罪に切り替えた判断は、それを端的に表していたと思う。現場に空き巣の髪の毛が落ちていただけでは、窃盗犯を強盗殺人犯に仕立て上げるのには無理がある。

うざいVSうざい
それにしても豪太と修平、2人ともうざい。

豪太がうざいのは予想通りだった。しかし、修平もうざいのだ。2人の構図は肉体派VSスマート派ではない。熱すぎてうざい豪太と、インテリを気取ってうざくなる修平のW主役である。

熱血系の豪太は、暑苦しい役をやらせたら日本一の桐谷健太が演じる。顔も声もジャンパーも暑苦しいし、それが演技ではなく素に見えてくるからもはや無敵。暑苦しさが過ぎて、豪太の関西弁が横浜の夜景と全く似合っていないのには笑った。
一方、情けなさを押し出す東出の芝居もいい。『コンフィデンスマンJP』(フジテレビ系)以降、彼はコメディのセンスが開花したように思う。豪太がみなみの兄だと判明した瞬間の東出の変顔は完全に顔芸だった。容姿がいいのに残念なメンタルを持つ役柄は、彼の真骨頂である。

今季は重くて複雑なドラマが多かった。だから、コメディ色強めで気軽に観れる今作があって、救われた気持ちになったのだ。1話完結なので、初回を見逃した人は2話からでも全然OK。今季のダークホースになり得るドラマだと思う。
だからこそ、ミソがついたのがあまりにも惜しい。『ケイジとケンジ』特有の明るいテンションを、果たしてこの先もキープできるのだろうか。
(寺西ジャジューカ)

木曜ドラマ『ケイジとケンジ 所轄と地検の24時』
脚本:福田靖
音楽:ワンミュージック
主題歌:宮本浩次ハレルヤ』(ユニバーサル シグマ
チーフプロデューサー:黒田徹也(テレビ朝日
プロデューサー:服部宣之(テレビ朝日)、飯田サヤカテレビ朝日)、菊池誠(アズバーズ)、松野千鶴子(アズバーズ)、岡美鶴(アズバーズ)
演出:本橋圭太(アズバーズ)、及川拓郎
制作協力;アズバーズ
制作:テレビ朝日
※各話、放送後にビデオパスにて配信中

イラスト/たけだあや