3月6日(金)に全国公開される映画「Fukushima 50」に出演する佐藤浩市渡辺謙が、若松節朗監督と1月22日、23日に福島県内を巡る福島キャンペーンを実施した。

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本作は、東日本大震災、そして福島第一原発事故をもとに、ジャーナリストの門田隆将(かどたりゅうしょう)のノンフィクション作品「死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発」(角川文庫刊)を映画化した真実の物語。

主役となる福島第一原発1、2号機当直長・伊崎利夫役を佐藤、福島第一原発所長・吉田昌郎役を渡辺が務める。

■ 佐藤「決して遠い過去ではない」

まず1月22日に佐藤、若松監督らが福島・富岡町役場に訪れ、宮本皓一町長に本作の完成を報告。

若松監督は、「撮影前の取材も含めまして、富岡町の方々には本当にお世話になりました。ぜひ皆さまにも見ていただいて『この映画は世界に発信していくべき映画だ』と発信していっていただきたいと思っています」と感謝とともに、力強く作品をアピールした。

そして佐藤は、「(事故から)決して遠い過去ではなくて、ふと振り返ると昨日のことのように思い出される方もたくさんいらっしゃると思います。思い出されたくない方々もたくさんいるかと思いますが、この事故を風化させてはいけないためには、どうしても映像の力も必要であり、痛みをともなうけど、この事実を後世に伝えていくためにもこの映画は必要だと踏まえて見ていただけるとありがたいと思います」と静かに語った。

本作では、富岡町の「夜ノ森公園」(※現在は帰還困難区域で立ち入り禁止)での撮影も行ったことについて若松監督は「劇中でも重要な“桜のシーン”の撮影をさせていただいたのですが、桜は美しいが、この桜を誰も見ることができないと思うと非常に複雑でした」と吐露。

佐藤も「彼(自身が演じた主人公・伊崎)がどんな心境でこの桜を見ているのかという複雑な心をどこまで表現できたかは分かりませんが、桜の美しさとはかなさ、この事故を絶対に繰り返してはいけないという思いが交錯して、見る方々に届いてくれればいいなと思います」と述べた。

宮本町長は富岡町での撮影について、「この映画を私たちが生き証人として後世に伝えていくために、撮影許可を出すというよりはこちらからお願いしたいという気持ちでいっぱいでした。今まで富岡町をロケーションとして撮影したことなどなかったと思うので、町としてもみんなに見ていただけるようにPRしていきたいと思います」と改めて語った。

■ 渡辺「この作品を発信できることを誇りに思う」

表敬訪問翌日の1月23日には、福島県郡山市の劇場・郡山テアトルにて舞台あいさつが実施された。

「まずは、福島の方々に本作を見ていただきたい」という思いから、一般の方へ初お披露目となった。

佐藤、渡辺、若松監督が登壇し、地元福島の方々へ本作への思いを語った。佐藤は福島の観客を前に、「やっとここまで来れたという思いでいっぱいです。決して、楽しんでくださいと言える作品ではないです。見るには苦しすぎるシーンもあるかと思いますが、どうか最後まで見ていってください」とあいさつした。

渡辺も「今現在、福島に帰れない方々、この事故で人生を変えられてしまった人がたくさんいます。その思いを僕らがすべて背負うことはできないけど、その人達の思いを少しでもくみ取ってこの映画にぶつけていきましょうと、作品がクランクインした際にお話させていただきました。そこから作品が完成し、この地を皮切りにこの作品を発信できることを僕は誇りに思っています。この作品は必ず未来につながる何かを感じていただけるんじゃないかなと思っています」と力強く語った。

若松監督は「5年前からこの映画のプロジェクトが始動しまして、ようやく完成しました。それも福島から、この映画を発信できるということを誇りに思います。誠実にこの映画を作ったつもりです」と福島の方々へ語りかけた。

■ 佐藤「少しだけかたちを変えた遺産に変えましょう」

さらに佐藤は、「客席を見渡しただけでも、こみ上げるものがある方がたくさんいらっしゃる。本当にここからスタートして、日本全国をまわりながらもう一度考え直し、未来につなげるということをここからスタートさせていただきます。応援してやってください」と深々と頭を下げた。

そして渡辺は、「正直申し上げますと、ちょっとドキドキしています。あの震災と事故を経験した多くの方々がいらっしゃるこの地で、こうして試写会をするということで、果たしてどう受け止めていただけるかと不安もありました。でもこの作品の中には、良い人間ドラマがあると思っています。私達は一生懸命に撮ってきたつもりですので、深い映画だなと思っていただけるのではと思っています」と改めて作品について語った。

また、若松監督は佐藤、渡辺について「この2人がいなかったら、この作品は作り上げることはできなかったです。現場のスタッフは、この2人の背中をずっと見ながら撮影に臨んでいました。とてつもなく熱い芝居を繰り広げています」と2人の存在感を観客へアピール。

そして、復興について質問された佐藤は「去年撮影をして、本当に復興は始まっているのかと思いました。この地の現状を、他の方々はどれぐらい知っているのか。それをもう一度皆さんに感じてもらいたい。皆さんがこの作品を見てどう思われるかは分かりませんが、復興を始めるためには人間の力が必要で、それを進めていかなければならないことを各都道府県の方に伝えていきたいと思います」と訴えた。

一方、渡辺は「復興というのは、それぞれ違う状況やバックグラウンドがあるので、一つの答えはないと思います。ただ、海も山も里もおいしい食べ物がたくさんあるすてきな県が、もっと誇りを持って若い方たちが『福島出身なんだ!』と自信を持って言えるよう、戻ってほしいなと思います」と切実に願った。

最後に佐藤が、「負の遺産を少しだけかたちを変えた遺産に変えましょう」と力強く語りかけると、渡辺は「僕の中で、今まで福島を支えていくということができていなかったと思います。ただ、いちばん自分ができる最大の仕事で、福島の皆さまにお届けすることができたなと思っています。どうか受け取ってください」と締めくくった。

■ 「Fukushima 50」あらすじ

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大深度7という、日本の観測史上最大の東日本大震災が発生した。

太平洋から到達した想定外の大津波は、福島第一原発(イチエフ)を襲う。内部に残り戦い続けたのは地元出身の作業員たち。外部と遮断されたイチエフ内では、制御不能となった原発の暴走を止めるため、いまだ人類が経験したことのない、世界初となる作戦が準備されていた。それは人の手でやるしかない命がけの作業。

同じ頃、官邸内では東日本壊滅のシミュレーションが行われていた。福島第一原発を放棄した場合、被害範囲は東京を含む半径250km。避難対象人口は約5,000万人。それは東日本壊滅を意味していた。

避難所に残した家族を思いながら、作業員たちは戦いへと突き進む――。(ザテレビジョン

3月6日(金)に全国公開される映画「Fukushima 50」の若松節朗監督、佐藤浩市、渡辺謙(写真左から)