(舛添 要一:国際政治学者)

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 アメリカでは、上院で弾劾裁判が始まり、トランプ大統領リーダーとしての資質が問われている。トランプの評価を巡る国論の分裂には癒やしがたいものがあり、ポピュリズム民主主義を支配するようになったときの代償の大きさを感じざるをえない。

 そのアメリカに比べたら、日本の政治には活気がない。通常国会が始まったが、「桜を見る会」の焼き直しやIR汚職容疑、二閣僚の辞任など自民党議員の不祥事に焦点が当たるばかりで、この国の今後をどうするのかといった議論が深まることはない。政権交代の展望など皆無であり、国民はしらけきっている。

新型肺炎の感染拡大は中国政府の失敗

 国民の関心は、中国の武漢から始まった新型コロナウイルスによる肺炎に集中している。今週末から春節の休みで、のべ30億人の中国人が移動するが、そのうち約70万人が観光などで訪日する。ウイルスに感染しても発症するまでに1週間以上かかることもあり、空港などでの検疫で食い止めるのは不可能である。

 新型肺炎が急速に拡大したのは、初期対応の遅れ、とりわけ武漢市当局任せで、国家レベルで中国政府が対応しなかったことにある。2009年、厚労大臣として新型インフルエンザに対応した私の経験では、大臣自らが状況を国民に説明することが、発出される情報の信頼性を高め、国民のパニックを防止する。その意味で、今回の新型肺炎の拡大は、中国政府の失敗でもある。

 安倍政権については、直近の世論調査によると、内閣支持率・不支持率は、読売新聞で52(+4)%・37(-3)%、毎日新聞で41(-1)%・37(+2)%と、安泰である。政党支持率でも、自民党立憲民主党では、読売で41(+4)%・7(-1)%、毎日で34(-2)%・8(±0)%であり、野党第一党が政権交代を狙える状態ではない。

 しかも、立憲民主党国民民主党は国会召集前の合流を実現させることができなかった。これでは、どんな不祥事が起ころうとも、安倍政権が揺るぐことはなく、長期政権の奢りと役人の忖度は続いていくだろう。

権力への意志見られぬ立憲民主党と国民民主党

 2009年夏の総選挙民主党が勝利し、政権に就いてから10年が経つ。私は麻生内閣の閣僚として政権の座から追われ、悔しい思いをしたが、自公政権が蓄積してきた宿痾を克服する絶好のチャンスだとも思った。厚労行政を指揮し、様々な改革を断行する過程で、与党の自民党公明党の抵抗の激しさに辟易してきただけに、その思いは強かったのである。

 自民党公明党の連立政権について、公明党は「踏まれても蹴られてもついていきます下駄の雪」と揶揄されたが、選挙の現場を見ると、「下駄の雪」になったのはむしろ自民党ではないかと思わされることが多かった。「人気大臣」として、選挙の応援に数限りなく動員されたが、公明党候補優先で、同僚の自民党候補から苦情が出たくらいである。

 小選挙区制になってから、創価学会公明党の支援を得なければ当選が覚束ないほどに、自民党の足腰は弱っているのである。それだけに、政策の面でも公明党に妥協せざるをえなくなっている。公明党は、閣僚は1人しか出していないが、この国の行方に大きな決定権を持つまでになっているのである。

 その点では、複数の小政党が合従連衡を繰り返しながら連立政権を維持しているオランダベルギーのようなヨーロッパとは違う。連立が決まるまでに半年もかかるという弊害はあるが、長期政権の持つ腐敗からは自由である。

 政治家として、また同時に政治学者として、2009年の政権交代を以上のような思いで迎えたが、私の期待に反して、民主党政権はわずか3年3カ月で権力の座から追放されてしまった。せめて、2期8年くらい続いていれば、世の中は変わって、政権交代も悪くないという合意が定着したかもしれない。しかし、民主党政権の失敗は、政権交代などもうこりごりだという念を有権者に定着させてしまった。

 それに、民主党は権力に対する執着が自民党ほどなく、その点では民主党出身の政治家自民党を真似る必要がある。細川護熙首相や鳩山由紀夫首相に対する自民党の猛烈な攻撃、しかも政策では無くスキャンダルを探し出して爆発させる手法は凄まじく、両首相を辞任に追い込んだ。そして、社会党党首の村山富市を首班にしてでも政権に返り咲こうとする執念があり、1994年6月30日には自民党社会党・さきがけの連立政権を発足させている。

 合流すらできない立憲民主党国民民主党は、この自民党の爪の垢でも煎じて飲んだ方が良い。権力への意志が全く感じられないのである。

欧州で左翼政党はどのようにして政権を獲得したのか

 ベルリンの壁が崩壊する前の米ソ冷戦時代に、保守陣営の西側で左翼の社会党社会民主党がどのようにして、政権を獲得したか、分裂したままの日本の野党の参考のために記しておく。

 西ドイツ社会民主党SPD)は、1950年代まではマルクス主義の強い影響下にあり、ドイツ再統一をスローガンに、西欧統合策(欧州石炭鉄鋼共同体NATO)を拒否し、再軍備に反対してきた。しかし、そのような政策の非現実性を悟ると、SPDは政策転換を図り、1959年11月にバート・ゴーデスベルクで党大会を開き、新しい綱領を採択する。

 新綱領は、国防軍を認め、カトリック教会とも和解し、また、マーケットメカニズムを肯定したのである。綱領は、「社会民主党は、労働者階級政党から国民政党になった」とうたっている。外交政策も西側への統合を推進する方向へ転換し、1966年にはキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と大連立を組み、政権に参加する。そして、1969年には、自由民主党(FDP)を自己の主導する連立に取り込み、ブラント政権を発足させる。バート・ゴーデスベルク綱領から10年後のことである。

 この西ドイツの例は、保守のCDU/CSUと大連立を組んで、いわば先輩の胸を借りて政権の予行演習を行ったようなものである。対立政党と連立を組むという点では、自・社・さ政権で社会党と組んだ自民党と同じである。そして、力をつければ敵を切り捨てるという点でも、自民党と同じである。

 ただ、この西ドイツの例は、今の日本の野党が採用するわけにはいくまい。

 フランスの学生たちによる1968年の5月革命は、ドゴールの長期政権に対する不満の爆発でもあったが、既成の左翼政党はそのエネルギーを吸収できず、国民会議選挙ではゴーリスト(ドゴール主義者)に第5共和制下で初の単独過半数を与えるという失態を演じてしまう。

 しかしその失敗は、非共産主義的左翼を結集させ、1971年、エピネィの党大会で、社会党は政策を現実化させ、新社会党を結成する。このような再結集の動きができないことは、日本の今の立憲民主党国民民主党の責任放棄である。

 フランスでは、1年後の1972年には社会党共産党の間で「共同政権綱領」が採択され、1973年の国民議会選挙、74年の大統領、78年の国民議会選挙と社共は躍進する。そして、遂に1981年にはミッテラン政権が誕生するのである。西ドイツSPDと同様に、それまでにやはり10年かかっている。

10年計画を立てて政権を奪え

 このフランスの例は日本の野党に参考になる。まずは、共産党とどう連携するかという点である。10年前の民主党政権は、非自民・非共産であったが、野党が弱体化した今日、共産党まで包含しなければ政権は獲得できないであろう。したがって、共産党との政権綱領が必要である。

 因みに、昨年の11月24日に行われた高知県知事選挙では、共産党の松本顕治が野党統一候補として自公が推す浜田省司と戦ったが、111,397票(39.1%)対173,758票(60.9%)で敗れている。このような現場での積み上げは意味があるが、有権者の間でなお強い共産党への拒否感をどう克服するのか、それも大きな課題である。

 以上説明した西ドイツフランスも、社会民主党社会党が政策を変更し、政権を目指してから10年後に、夢は実現している。日本の野党も、10年計画を立てて政権へのシナリオを描くべきである。

 小選挙区制の今、安倍一強の自民党で、かつての中選挙区制下の自民党のように、派閥間の競争が新しいリーダーを生み、政策を変更させると期待するのは無理である。そこで、政治の変革の為には、政権交代に期待するしかない。しかし、その夢を実現させるには、今の野党はあまりにも非力であり、自己中心的に過ぎる。「日暮れて道遠し」の思いである。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  立憲民主党と国民民主党が一つにまとまれない理由

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