1月17日三重県の津地方裁判所で、再婚相手の娘(当時14)と性交したとして監護者性交等罪に問われた義父(45)の判決が下されました。

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 田中伸一裁判長は「動機や経緯に酌むべき事情は全くなく、常習性もうかがえる」として懲役7年(求刑懲役8年)を言い渡しています。

 ここで、どうしても思い出さずにいられないのは、昨年3月28日に隣の愛知県名古屋地裁岡崎支部で下された「無罪判決」です。

 鵜飼祐充裁判長は、娘が中学2年生の頃から「同意していなかった」にもかかわらず、暴力を振るわれ性行為を強要されていた事実を「抵抗が可能だった」として無罪判決を下し、大きな波紋が広がりました。

 ここで素朴に疑問に思う人がいると思います。中学2年、13~14歳の娘と性交することそれ自体が、とんでもないことなのではないか?

相手が13歳以上ならOK!

 この素朴な疑問に、日本の現行法は、やや驚くべき「正義」の答えを提供します。刑法第177条を確認してみましょう。

刑法 第177条

十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。

十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。

 これはいかなることか・・・?

 後半は、12歳以下、つまり「小学生」以下を対象として、何らかの性的な行為があれば、無条件に「罪」となることを主張しています。幼稚園児とか保育園児、乳児であっても同様です。

「子供」と性交してはいけない。

 では前半は何なのか?

 13歳よりも上の年齢なら、つまり中学生以上であれば、合意の上での性交は法の処罰の対象とならないことを主張しているわけです。そこに、2人の関係性は何も規定されていない。

 つまり、父親が娘と交わろうが、母親が息子を犯そうが、合意の上での行為であれば、それらは罰せられることがない。

「岡崎判決」が主張するのは、この「無罪」であると思われます。

 つまり2020年時点での「性の成人」は13歳なんですね。驚くべきことかもしれないし、何も驚く必要のないことかもしれない。

 皆さん、ご自分のティーンの時代を振り返ってみてください。どのような「ウヰタ・セクスアリス森鴎外)」、蒼い記憶をお持ちでしょうか?

 青春時代ですから、疾風怒濤の記憶が胸に残る方もいるでしょう。

 日本国の現行刑法は、主体性をもって臨んでいる限り、13歳以上つまり性の成人に達した個人の行為であれば、たとえ親子の間であろうと、罰せられることはない、と主張している。

 前回稿(「性の成人式」と女帝問題の接点=https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59017)にも記した通り、日本古来の「成人」は今でいう中学生、つまり第2次性徴の顕れる時期に設定されていました。

 武士などであれば「元服」、庶民にも男子は「フンドシ祝」などと称され、古くは母親、あるいは母方の叔母たちなど、血縁の年長女性たちから、性の手ほどきを受けて、男女の別なく様々な「夜這い」の風習が地方地方に存在していた。

 2020年の日本でも、親子の間に合意がある限り 13歳以上の子供に、親が「性の手ほどき」をしても、それは違法行為ということにはならない・・・。

 そういう「にっぽんの根っこ」が厳然と存在していることに、ここでは注目しておく必要があると思います。

 こうした事実はしばしばタブーとされ、記録にも残らず人々も口をつぐんできましたが、ちょっとしたきっかけがあると、かなり近年まで残っていたことがはっきり記されることがあります。

 一例として、横溝正史の小説「八つ墓村」などのモデルとなった「津山30人殺し」大量殺人事件を振り返ってみましょう。

昭和中期まで夜這いが当たり前

 1938年、昭和5月21日の未明、現在の岡山県津山市内にある集落で、たった2時間ほどの間に28人が殺害される「津山30人殺し」の殺人事件が発生します。

 この事件をきちんと取り上げると、それだけでいくら紙幅があっても足りませんので、ここでは、犯人のT(1917-38)がこのような行動(大量殺人ののち自殺)を取った動機、背景に絞って確認してみます。

 1937年、満20歳となったTは徴兵検査を受けますが、結果は「丙種合格」ABC評価でいうならCで、実質的に不合格となってしまいました。

 理由は、小学校卒業頃に肋膜炎を患ってから体調を壊し、さらに結核に罹患してしまったことでした。

 ここからが問題になります。

 Tが丙種合格、つまり実質C評定の不合格となると、それまで肉体関係を持ってくれていた、村の女たちから「丙種合格」や「結核」を理由に、性的な接触を断られるようになった・・・というのです。

 これと並行して、閉鎖的な村の中で心ない噂などが立てられるようになり、Tはだんだんと孤立、山の中で猟銃の練習などに励むようになります。

 最終的に11軒の家を襲撃、3軒は一家全滅、4軒は生存者1人のみ、合計28人が即死し、重傷だった2人が落命して犠牲者は30人という、途方もない事件となりました。

 さらに加えて言うなら、この時期の当該集落は23世帯111人の人口とのことで、全世帯のほぼ半分が襲われ、人口の4分の1が非常に深い恨みを持って命を奪われたことになります。

 そして、その背景にあった集落内の夜這いの関係が、捜査の過程で明らかになったというものです。

「八つ墓村」は過去の記憶か?
内田春菊の1970年代

 津山事件が起きたのは昭和13年、いまから82年前のことで、逆に言えばいま82歳以上の人は事件があったとき、すでにこの世に生まれていたことになります。

 こののち日本は第2次世界大戦に突入、多くの成年男子は兵役に取られ、戦地で命を失うものも多かった。

 戦争が終わる1945年は、事件から8年後になりますが、さて、たった8年程度で、長年の村の風習が変わるというようなことがあるでしょうか?

 82年の年月が経過した今、岡山県津山市内で夜這いの風習があるとは、あまり思われません。また、全く関係ないことですが、私の母方の郷里も津山にほかなりません。

 親から子へ、と伝えられる生活習慣のようなものは、そんなに簡単に変わるものではないように思うのです。

 善くも悪しくも私は「夜這い」の風習がある共同体で育つことはありませんでしたが、生活習慣の基本は大正生まれの両親から「三つ子の魂」で植えつけられてしまったので、1920年代の常識が2020年を生きる私の中にも永続しています。

 そういう意味では、1938年、あるいは戦後の1950年代あたりにも、ごく普通に残存していた地域があったのではないか?

 冒頭に記した津の事件、結婚相手の娘と関係を持った「養父」は45歳とあります。2019年に45歳とすれば1974年頃の生まれと思われます。

 また岡崎で無罪判決を受けた「実父」は、2017年時点で19歳だった娘の父親ですから、20代で子供を作ったと考えれば2020年時点で40~50代と思われます。

 であるとするなら、生年は1960~70年代の範囲に収まり、津の事件の「養父」と世代的には重なります。

 これと「津山30人殺し」のあった1938年との間には30数年のタイムラグがあります。ざっと一世代ということになる。

 これはつまり、津山の「夜這い」が当たり前と思う世代の子供(例えば1940年代生まれ=戦後のベビーブーマーを含む)が、夜這いの風習を環境遺伝的に温存し、それがさらに1970年代生まれ(第2次ベビーブーマー)まで引き継がれた可能性を考えると、きれいに理解できてしまうかもしれません。

 今日、多くの人は非難するでしょう。「親がティーンの娘に何ということをするんだ!」と。

 しかし「実父や養父が娘の処女を奪って<使い物>になるように仕込んでから外に出す」のが当たり前という本音を、どこかに隠し持っていた日本人は、ほんの少し前まで少なくとも地方には確実に存在していたと考えられます。

 長崎県長崎市出身のマンガ家小説家、内田春菊さん(1959-)は、養父から虐待を受けたサバイバーとして1970年代長崎での現実を赤裸々に証言しています。

 内田さんの小説「ダンシング・マザー」は彼女のお母さんをモデルとしています。

 それによればお母さんの生年は昭和10年1935年津山30人殺しに先立つこと3年、いまだ日本の性が、古来の共同体に「開かれていた」時期に九州で生を受け、24歳で産んだ自分の娘(内田さん)がティーンの時期(1970年代)、養父に暴行されるのを結果的に容認していた様子が描かれています。

 日本の本音は、まだまだ非常に原始的なところにあるのではないか?

 それはそもそも、古代に日本皇室からして、如実な実例が豊富にみられることからも、否みがたい事実であるように思われます。

(つづく)

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  「性の成人式」と女帝問題の接点

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