(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授

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 最近、「ああ、やっぱりそうだったか」と思うニュースを読んだ。北朝鮮核実験ミサイル発射を繰り返していた2017年の秋、アメリカ政府が日韓に在住する米市民の退避を真剣に検討していたというものだ。

 今年(2020年)1月19日付のこの記事は朝日新聞デジタル版に掲載されたもので、その内容を明かしたのは、退避が検討されていた当時に在韓米軍司令官であったビンセントブルックス元陸軍大将だ。

 記事によると数十万人規模の退避計画で、「早期退避」を目的としていた。つまり、北朝鮮が攻撃を仕掛ける前に、あるいはその気配が濃厚になる前に退避させるというものだった。これに対して当時のブルックス氏は、この計画が実施に移された場合には、北朝鮮側が状況を読み間違えて戦争につながる恐れがあるとして反対したという。

梨泰院のバーで聞いた話

 特に注目に値するのは、第一義的に退避作戦の対象となったのは、韓国に在住する米軍兵士の家族や一般の米市民だったということだ。アメリカ政府はそれほどまでに、朝鮮半島が一触即発の状況にあると考えていたのである。

 そこが私には異様に腑に落ちた。変な話だが、喉元がすっきりした気分になった。というのは、当時、私もただならぬ危機感をもってソウルで暮らしていたからだ。

 北朝鮮からの挑発が続く中、多くの韓国人は「北朝鮮は絶対に韓国に攻めてこない」と信じ切っている。私が真面目にどうなのかと聞いたところで、「そんなことあるわけないじゃないですか」とほとんど相手にされない。

 ただ、私には不思議に思えることがあった。米軍ソウル駐屯地のお膝元、梨泰院(イテウォン)にあるバーでのことだった。私はそこに時々顔を出し、米軍の将校たちと話をする。ちょうど2017年の頃は、ソウル市内の米軍がどんどん縮小している時期だった。なぜ縮小していたのかというと、大きな原因は、盧武鉉政権時代に決められたソウル市内の米軍キャンプを郊外に移転するという計画が進められていたからだ。その状況のなかで私にとって不可解だったのは、単にソウルの米軍が縮小しているというだけでなく、階級の高い将校が立て続けにアメリカに帰国しているという話をバーのオーナーから聞いたからだ。

 私は在韓米軍の動向についてそんなに詳しいわけではないのだが、ソウル市内の米軍には比較的階級の高い将校が投入されているという。その彼らを韓国社会もケアするわけだが、その一環として街が作られ発展してきたのが梨泰院だ。キャンプ村と言ってしまえばわかりやすいかもしれない。梨泰院には、ソウル市内という地の利によって、米軍だけでなく韓国人や世界各国からの観光客も足を運ぶ。そういう点で、ソウル駐屯の米軍にとっては、楽しい息抜きの場であるのだが、当然ながら、そんな雰囲気は地方の米軍キャンプ周辺ではありえない。そのため、キャンプソウルから郊外に移るのを機会に、アメリカに帰国を申し出るという将校が多いと言うのだ。

 私がそんな話をオーナーから聞いたその日も、あと数週間でアメリカに帰るという将校がいた。かつて横須賀にもいたことがあり、そのときに日本が大好きになったというリップサービスも忘れないナイスガイだった。彼によると、よくその店に一緒に来ていた別の将校も、つい数日前にアメリカに帰国してしまったという。

 ソウルからの帰国者がそんなにいるのかと聞いてみると、彼は詳しいことは知らないけどと前置きをして、こう呟いた。

「うーん、確かに、最近ちょっと多いかな」

もしものとき日本人学生をどうするか?

 それにしても、不可解ではないか。北朝鮮の挑発が続く中で、どうして階級の高い人がいつもより多く帰れるのか。キャンプが郊外に移転するのであれば、そこへ移るのが任務というものなのではないだろうか。

 もちろんそれは、軍事素人の意見なのかもしれないが、やはり納得がいかない。そこで私なりに考えた説明は、もしかするとアメリカが韓国を軍事的に危険な地域だとみなしているのではないか、というものだった。つまり、なんらかの作戦が近づいていて、作戦に直接関わらない要人は避難させているのかもしれない。

 そう思い至った数日後、私は日本の姉妹校に連絡をした。私の在職する大学には、その姉妹校から1年間の短期留学で日本人学生がやって来たばかりだったからだ。連絡の細かい内容を話すのはここでは差し控えるが、私が姉妹校に念を押したのは、「韓国の状況と在韓米軍の様子などに関して危機的なことが見受けられれば、私のほうから直接すぐに連絡する」ということだった。姉妹校はそれをもとに、学生をどうするかを早期の段階から議論をすればよい。もしも軍事衝突直前という事態になれば、韓国在住の日本人の数からして帰国は至難の業となるであろう。

 だが結局、私がそうした緊急の連絡をすることはなかった。それは、今から思うと不幸中の幸いだったのかもしれない。「不幸中の」というのは、当時のアメリカ政府が、北朝鮮との軍事衝突を真剣に想定していたからだ。

まだ「戦争状態」にある韓国と北朝鮮なのに

 それにしても、韓国社会はそんな危機感をまったくもちえなかった。そうなってしまうのには、いくつかの理由があるが、その1つに「同じ民族だから攻めてこない」というものがある。

 だが、現に1950年には北が南に攻め込んで朝鮮戦争が勃発したという過去があり、この理由は何の説得力ももたない。にもかからず、それでも、この「同じ民族だから」という理由で南北間の衝突がないと多くの人が信じてしまう。それは、「同じ民族だから南北はいずれ統一されなければならない」のであって、それだからこそ、南北は「お互いを攻撃するようなことはない」という発想だ。

 その発想は論理的ではない。だが、それが現在の韓国でも意外と当たり前に受け止められている。そしてこうした発想は、韓国社会の北朝鮮への気の緩さに繋がっていると思えてならない。

 留学やワーキングホリデーで韓国に数年にわたり滞在する日本人は最近増えている。それは決して悪いことではないのだが、彼らを見ていて不安なのは、南北は休戦しているだけで、まだ国際法上は戦争状態にあるということが全く意識にないことだ。私が説明すると「え、そうなんですか?」なんて返事をされることがある。私自身も韓国に滞在している以上、南北の軍事衝突に巻き込まれれば、それは自己責任ということになるわけで、韓国に来るときにはそういう腹括りがいるということは分かってほしい。

 ただ、それでも今はそれを気楽に話せるのは、朝鮮半島が2017年の時ほど緊張状態でないからだ。

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ソウル南方の京畿道・平沢にある在韓米軍基地キャンプ・ハンフリー(写真:YONHAP NEWS/アフロ)