クルーズダイヤモンド・プリンセス号の検疫が世界の注目を集めている。

 ニューヨークタイムズ2月10日の”Evening Briefing”のトップで「少なくとも20人のアメリカ人が横浜港に停泊中のクルーズ船の中で停留されている」と報じた。

 この件について、同紙は2月5日以降、4本の記事を配信している。

 関心を寄せるのは米国だけではない。筆者のもとには韓国や香港のメディアから取材があった。

 海外メディアが関心を寄せるのは、ダイヤモンド・プリンセス号に自国民が乗っているからだ。乗客2,666人のうち、1,385人は日本以外の55の国と地域の住民だ。韓国の記者は「14人の韓国人が乗船しており、国内の関心は高い」と言っている。

検査した492人のうち174人が感染

 彼らの関心は乗船者の健康だ。2月12日現在、174人の感染が判明している。検査した492人の35%を占める。

 当初、船内には2,666人の乗客と1,045人の乗務員がいた。そのうち13%しか検査できていないことになる。専門家からは全員の検査をすべきという意見が出ているが、菅義偉官房長官は、10日の記者会見で「(全員の検査をすることは)現状では厳しいものがある」とコメントしている。後述するように、検査体制の整備が遅れているためだ。

 私は一連の議論を聞いて、暗澹たる気持ちになった。現在、船内では新型コロナウイルスの集団感染が拡大し、インフルエンザ感染者もでている。ところが、日本では水際対策が最優先され、乗員の健康が軽視されている。

 今回の集団感染で注目すべきは、乗客の多くが年配の人であることだ。私が調べた範囲で、ダイヤモンド・プリンセス号の搭乗者の年齢は公表されていないが、クルーズ船については幾つかの先行研究が存在する。海事プレス社の「乗船客(ボイジャーアンケート)結果」によると、乗船者の86%が50歳代以上だった。19%は70歳代以上だ。この世代は多くが持病をもち、ちょっとしたストレスで体調を崩す。

「まるで監獄にいるようだ」

 2月7日にはアメリカ国籍の83歳の女性が体調不良を訴えて、救急搬送された。持病の心不全が悪化したという。ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に入港し、4日目のことだ。

 停留中の乗客は感染拡大予防のため、行動を制限される。2月6日朝日新聞の記事には、76歳の男性が「ずっと部屋の中で妻とテレビを見ている。一歩も出られない」とコメントしている。

 英国人デビッドアベルさんとサリーアベルさん夫妻は英メディアインタビューに答え、「船室の外に出られない。マスクをした乗務員が食事を持ってきて再び回収して行く。まるで監獄にいるようだ」と話している。

 船内は医療体制も脆弱だ。フォーカス台湾は2月10日の記事で、乗客の台湾人男性のインタビューを紹介している。同乗している80代の父親に咳などの呼吸器症状が出現したが、船医は発熱がないのを理由にウイルス検査を実施せず、風邪薬を与えただけだった。服用後の身体の状態に対して尋ねられることもないという。さらに、男性の父親は不眠も深刻で、睡眠薬をまもなく使い切ってしまう状況らしい。

 知人の看護師である山中弓子氏は、船内の状況を報じたテレビ報道を見て、「船内の様子を見ていると、感染させるプラントみたいになってる。食事もラップをかけずにオープンワゴンに乗せてキッチンから各居室へ配られていたし」とメッセージを送ってきた。

 乗務員はベストを尽くしているだろうが、感染対策の専門家ではない。看護師から見れば、危険な行為が横行しているのだろう。これでは感染拡大は防げない。

部屋にこもるストレスで「体重・血圧・血糖値・中性脂肪が上昇」

 高齢者が、このような状況に置かれると容易に健康を害する。我々の経験をご紹介しよう。

 我々は東日本大震災以降、福島県浜通りで診療を続け、地元住民の定期的な健康診断をサポートしている。

 2011年5月21、22日に飯舘村の村民を対象に健康診断を行った。564人が前年も健診を受けていたが、前年と比較し、体重・血圧・血糖値・中性脂肪濃度は有意に上昇していた。さらに12%がPHQ-9スコアで10点以上で、大うつ病の基準を満たした。

 被曝を恐れ、約2ヶ月間、自宅に籠もっていた被災者の健康状態は急速に悪化していた。この地域では、原発事故後、脳卒中や肺炎が激増している。

 武漢でも新型コロナウイルス感染で亡くなったのは、持病を抱える高齢者たちだった。長期間、自宅に籠もる生活のストレスにより、持病が悪化したことが影響していると考えている。

 このような状況はダイヤモンド・プリンセス号の乗船者と全く同じだ。彼らが置かれた状況が如何に危険かお分かり頂けるだろう。

健康な若年者なら船内に閉じ込めてよいのか?

 国際社会の批判を受けて、政府は持病がある人や高齢者などを下船させる方向で調整を進めているようだ。関係者の発言としてメディアが報じている。遅きに失した対応だし、健康な若年者なら船中に閉じ込めていいというなら、厚労省は今回の経験から何も学んでいないと言わざるを得ない。

 ニューヨークタイムズは「(クルーズ船は)中国以外で最も感染者が多い場所」であり、停留を続けることが感染を拡大させると指摘している。今こそ、検疫の在り方をゼロベースで見直すべきだ。

 検疫は検疫法に基づく行為だ。検疫法には以下のように記されている。

「検疫所長は外国で検疫法第2条1号・2号に掲げる感染症が発生し、その病原体が国内に侵入し、国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認めるときには、検疫法第2条1号・2号に掲げる感染症の病原体に感染したおそれのある者を停留し、また、検疫官に感染したおそれのある者を停留させることができる(検疫法第14条1項2号)」

 検疫の目的は海外の感染症を日本に流入させるのを防ぐことで、命令を下すのは検疫所長だ。

 日本で検疫が実施されるようになったのは、幕末の開国からだ。ペストやコレラなどが何度も流行した。1879年7月には「海港虎列剌病伝染予防規則」(のちに「検疫停船規則」と変更)が施行された。この規則は、戦後に検疫法に引き継がれ現在に至る(※このあたりにご興味がある方は、市川智生氏(横浜国立大学国際社会科学研究科)のレポートがお奨めだhttps://www.spf.org/opri/newsletter/172_2.html>)。

「明治以来変わらない」方法は妥当なのか?

 感染のおそれがあるものを水際で停留させるという検疫の方法は明治以来変わらないが、当時と現在では社会状況は大きく変わった。例えば、海外旅行をする人の数は激増した。2018年度の訪日外国人数は3,119万人、出国日本人は1,895万人だ。

 訪日外国人でもっとも多いのは中国人だ。2018年は838万人が来日した。2014年241万人から248%増加している。

 多くは航空機を使う。上海から羽田・成田空港までの所要時間は3時間30分、関西国際空港までは2時間30分、福岡空港なら1時間40分だ。クルーズ船を利用した場合でも、横浜から上海には2泊3日で到着する。那覇・上海間なら約40時間だ。

 感染症には潜伏期間がある。新型コロナウイルスは平均5.2日だ。最長24日間という報告もある。潜伏期間は無症状だから、検疫は素通りする。ダイヤモンド・プリンセス号のように感染者が確認されれば、乗員乗客は長期間にわたり、停留されることになるが、もしいなければ素通りだ。これでは潜伏期の患者を見落とし、何の意味もない。

新型インフルでは113人の感染を見落とし、入国を許した

 このことは2009年新型インフルエンザの流行で実証されている。この時、厚労省4月29日から検疫を開始した。メキシコからの流入を警戒したため、検疫の最前線に立ったのは成田空港だった。

 成田空港では、5月末までの空港検疫で8人の感染を確認した。ところが、これは氷山の一角だった。

 我々の研究グループは、東京大学医科学研究所の井元清哉教授たちと協力し、その14倍にあたる113人の感染を見落とし、入国を許したという研究結果を発表した。

 飛行機だろうが、船舶だろうが、潜伏期がある以上、状況は同じだ。大航海時代なら兎も角、現代の検疫には限界がある。

 社会状況が変われば、検疫の在り方も変わらねばならない。この点を知りたい方は海事代理士関家一樹氏の文章をお奨めする(http://medg.jp/mt/?p=9419)。

 関家氏によると、国際社会は検疫と人権尊重・健康の維持の両立に苦心しているそうだ。2007年に発効した国際保健規則においては、32条で「参加諸国は旅行者をその尊厳、人権及び基本的自由を尊重して扱い、且つ、かかる措置に伴う不快感や苦痛を最小限に抑えなければならない」として過剰な検疫に対しての警告を示している。

イタリアでは「12時間後に乗客は解放されている」

 今回の新型コロナウイルスの流行においては、地中海クルーズ船「コスタ・スメラルダ」(総トン数18万5,010トン)で、乗客に発症が確認され6,000人強の乗客乗員が一時足止めされるという事件が発生している。

 イタリア政府の対応は日本とは全く違った。2名の感染者について処置をした後、12時間で乗客は解放された。

 なぜ、イタリアと日本はこんなに違うのだろう。私は経験の差だと思う。

 検疫を意味するquarantineは、イタリア語ヴェネツィア方言quarantenaおよびquaranta giorni (40日間の意)を語源とする。

 1347年の黒死病(ペスト)大流行以来、疫病がオリエントから来た船より広がることに気づいたヴェネツィア共和国が、船内に感染者がいないことを確認するため、疫病の潜伏期間に等しい40日間、疑わしい船をヴェネツィアやラグーサ港外に強制的に停泊させたことに始まるらしい。

 クルーズ船は、英船舶会社P&Oが1844年にサウサンプトン発着の地中海クルーズを開始したのに始まる。大手海運会社の閑散期の経営対策として、19世紀から20世紀にかけて発達した。

 アガサ・クリスティーの『海上の悲劇』は地中海クルーズ船を舞台とし、名探偵ポワロが殺人事件を解決する。

 かくの如く、クルーズ船は西欧で発達した文化だ。これまでにも麻疹、レジオネラ菌、赤痢、髄膜炎菌、さらにノロウイルスなどの集団感染を繰り返し経験し、試行錯誤を繰り返してきた。特にイタリアからは複数の医学論文が発表されている。経験の蓄積において日本とは彼我の差がある。

ダイヤモンド・プリンセス号の検疫は史上最大

 関家氏が注目するのは、長い船舶検疫の歴史の中で、ダイヤモンド・プリンセス号の検疫は史上最大のものであることだ。ダイヤモンド・プリンセス号は総トン数11万5,875トン、戦艦大和(総トン数6万5000トン)の2倍だ。

 総トン数が10万トンを超えるクルーズ船の登場は、2000年代以降のロイヤル・カリビアン社のカリブ海クルーズの成功を受けて始まった。巨大クルーズ船の検疫については、これまでほとんど経験がない。

 そして経験に乏しい日本は、従来と同じ方法で検疫を強行してしまった。その結果が、歴史に残る集団船内感染だ。一方、イタリアは柔軟に対応し、旅行客の健康を守った。2月12日現在、イタリアでの新型コロナウイルスの流行は確認されていない。

新型インフル感染者1人が鉄道に乗ると、5日で700人に

 今回の検疫の問題は、これだけではない。私は、そもそも必要がなかったのではないかと考えている。

 それは、水際対策に意味があるのは、国内で感染が広まっていない場合に限られるからだ。もし、すでに国内で流行していたら、水際対策は意味がない。ダイヤモンド・プリンセス号船内で感染が急拡大したように、満員電車による通勤・通学が常態化している日本では、新型コロナウイルスが一気に拡がるからだ。

 国立感染症研究所感染症情報センターの研究者たちは、2008年に鉄道を介した新型インフルエンザの拡散をシミュレーションしている。

 首都圏の鉄道に1人の新型インフルエンザ感染者が乗れば、5日目に700人、10日目には12万人に拡大すると予想している。こうなると水際対策など何の意味もない。

1月に日本を旅行したタイ人夫婦が感染していた

 では、日本に新型コロナウイルスは入っていたのだろうか。状況証拠は真っ黒だ。

 12月の中旬には中国武漢でヒト・ヒト感染が起こっていたことが確認されている。日本で水際対策が強化されたのは1月中旬だから、約1ヶ月間、無防備な状態であったことになる。感染者が入国していた可能性は高い。

 2月4日、タイ保健省は、1月下旬に日本を旅行した夫婦が新型コロナウイルスに感染していたと報告した。日本滞在中に体調が悪くなったらしい。この夫婦の存在から日本国内で新型コロナウイルスが流行していることが懸念される。極めて重要な情報だが、日本ではほとんど報じられなかった。

 様々な状況を考慮すれば、日本国内で新型コロナウイルスの流行が始まっていると考えるのが妥当だ。

 厚労省も流石に検疫に意味のないことはわかっているようだ。厚労省関係者は「中国に対して渡航・入国禁止等の厳しい措置をとれない政府、与党に対する批判から目をそらす役割で隔離や消毒をパフォーマンスしているようにも思われます」という。これではクルーズ船内で感染した人たちは堪らない。

では、厚労省がすべきこととは?

 では、厚労省は何をすべきだろうか。それは中国への渡航歴や濃厚接触に関わらず、希望者すべてにウイルス検査を受ける機会を提供することだ。正確に診断することができれば、効果が期待されるエイズ治療薬などを服用することができる。

 厚労省が最優先すべきは、検査体制の整備だ。既にウイルス検査のシステムは、スイスの製薬企業ロシュや米疾病予防管理センター(CDC)が確立し、海外にも導出している。その気になれば、すぐに国内に導入できる。

 ところが、安倍政権は国立感染症研究所で検査体制が整備されるのを待つと表明している。

 国立感染症研究所は厚生労働省が所管する研究所だ。本務は研究であり、大量の臨床サンプルを処理することではない。そもそも、国立感染症研究所にそんなキャパシティはなく、ダイヤモンド・プリンセス号の乗船者約3,000人の検査を求められた菅官房長官が「現状では厳しいものがある」と答えざるをえなかったのも当然だ。

民間の検査会社は「毎日20万件以上の検査を受託している」

 大量のサンプルを検査するのは、本来、民間の検査会社の仕事だ。国内受託検査事業の大手であるエスアールエルは、毎日20万件以上の検査を全国の医療機関から受託している。

 RT-PCR法を用いたウイルスの遺伝子検査は肝炎ウイルスHIVなどで臨床応用されており、ありふれた技術だ。厚労省新型コロナウイルスの遺伝子検査を保険承認すれば、数日で検査の体制を立ち上げるだろう。なぜ、厚労省が民間に委託しないか理解に苦しむ。

 私は厚労省と国立感染症研究所の内輪の都合が優先されていると考えている。

 今回の新型コロナウイルスの流行では、検査だけでなく、治療薬やワクチンの開発も国立感染症研究所が担当するそうだ。巨額の税金が研究開発費として投じられるだろう。

 長期的な視野に立つ基礎研究ならともかく、早急な臨床応用が求められる創薬や検査の開発は、メガファーマや検査会社の仕事だ。「研究所」では彼らと競争できない。なぜ、安倍政権は、民間に競争させず、国立の研究機関に独占的に業務を委託したか、「国民の命より、官僚の都合を優先した」と言われても仕方ないのではないか。

 私は、新型コロナウイルス対策の迷走の責任は厚生労働省にあると考えている。多くの官僚は真面目に業務に励んでいる。ただ、その方向性が間違っており、利権も絡む。

「停留は正しかったのか」検証を

 ダイヤモンド・プリンセス号に停留を命じているのは横浜検疫所長だ。現在、その任にあるのは医系技官の北澤潤氏だ。検疫所長は、感染者の人権を制限する絶大な権限を有する。権限は責任を伴う。ところが、北澤氏が停留の必要性について公に説明したことはない。

 記者会見に応じるのは加藤勝信厚労大臣や厚労官僚たちだ。日本銀行の政策を財務大臣が説明するようなものだが、このことを問題視する人はいない。

 こんな状況では誰もが無責任になる。ダイヤモンド・プリンセス号の検疫失敗は、医学の歴史に残る事件だ。世界に大きく報じられ、日本のイメージを悪化させた。東京五輪の開催にもマイナスの影響を与えただろう。

 ダイヤモンド・プリンセス号の検疫は人類が経験したことがない大仕事だ。ところが、厚労省は、十分な情報を収集せず、大した覚悟もないまま停留を指示してしまった。今回の泥沼の事態は当然の帰結だ。今後、このような悲劇を繰り返さないためには、騒動が一段落した段階で、冷静に検証する必要がある。

(上 昌広)

当初、乗客・乗員3700名以上が乗っていたダイヤモンド・プリンセス号。2月12日現在で174名の感染が確認された。その動向を海外メディアも注目している ©AFLO