春を思わせる晴天の下、五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)の宝満国広最高顧問が、踏み締めるような足取りで急な階段を上り、姿を現した。静かに跪いて祈りを捧げたのは、自身もその盃を受けた山本健一初代が眠る墓だった。2月4日、山健組の創始者である山本初代の祥月命日を迎え、墓参が行われたのだ。

 午前9時すぎ、山健組直参が組員2人を伴って墓参の準備を整え、1時間後には宝満最高顧問が直参らと到着。山本家の墓所と隣接する山健組の組碑に参った。

 神戸市内にある墓所は、六代目山口組(司忍組長)と神戸山口組(井上邦雄組長)に対する特定抗争指定で警戒区域に定められており、当日も兵庫県警の捜査員が監視。例年は山健組の最高幹部らが相次いで墓参するが、区域内では組員5人以上が集まることが禁止されているため、今年は近隣の直参のみとなった。時間差で行われ、一度に集まるのは4人までと、特定抗争指定の影響を感じさせた。

 しかし、この直後、厳しい規制の中でも分裂抗争を戦い抜くという強い意思を、山健組が示したのである。

「当日に山健組の執行部会が開かれたそうで、執行部メンバーを含む大幅な新人事が発表されたんや。トップの中田組長が、三代目弘道会(竹内照明会長=愛知)の神戸拠点で起きた組員銃撃事件で実行犯として逮捕、起訴され、不在にしとるときや。組織の立て直しを図ったんと違うか。それも並みの強化人事とちゃうで」(地元関係者)

 2日前には六代目山口組・髙山清司若頭の三重県桑名市にある自宅に、山健組との関係も疑われる元組員が銃弾を撃ち込み、人事の発表当日は山本初代の命日だった。このタイミングでの大型人事には、攻勢の意味が込められているとみられたのだ。

 まず、井上組長の四代目山健組時代に與則和・與組組長が務めていたポストで、中田組長の五代目体制では空席が続いていた本部長に、武闘派で知られる物部浩久・三代目妹尾組組長が就任。6人いた旧若頭補佐陣の序列では5番目に当たり、今回の昇格は大抜擢といえた。

 さらに若頭補佐には、「幹部」から島田潔希・二代目兼昭会会長、藤岡宏文・誓仁会会長、西野雅之・二代目健國会会長、若中から西川良男・六代目健竜会会長が新たに就いた。そのサポート役となる「幹部」にも、若中の岩﨑尚介・二代目道志会会長、山本實・二代目橘会会長、田中純一・二代目中川連合会会長、松森治・三代目宮鉄組組長、川尻雄喜・誠雄会会長、鈴木修司・二代目酒井組組長、岡田渉・二代目武神会会長が就任。異例ともいえる計12名の昇格人事を打ち出したのである。

「今回の再編が分裂抗争を意識しとるのは間違いないはずで、事を起こす前触れにも感じるで」(同)

 物部本部長の本拠地である岡山では、平成28年5月に神戸山口組傘下池田組(池田孝志組長=岡山)の若頭が射殺され、直近では同じ岡山県内に本拠を置く三代目杉本組(山田一組長)が、六代目山口組の直系組織として立った。
 山健組が本拠を構える兵庫県神戸市はもちろん、小競り合いなどが散発的に起きてきた東北地方や大阪、福岡といった“危険地帯”に本部を置く直参が多く昇格しており、より臨戦態勢を強めた格好だ。

「中田組長の右腕といわれ、出身母体の健竜会を率いる西川組長も、いきなり若中から執行部入りしとるしな。それに、山健組の将来を見据えた体制いうのも垣間見える。40代の直参が若頭補佐に加わって若返りが図られ、新たな『幹部』にも若手が含まれとる。山健組ナンバー3になった物部本部長かて、まだ54歳や。抗争の長期化を見込んでの新体制やと思うで」(同)

 昨年11月には、中田組長と極秘裏に盃を交わした竹本均・百八竜会会長が舎弟として加入。神戸山口組が厳しい状況にある中、水面下では着々と体制固めが進められていたのである。

 2月6日には、兵庫県の警戒区域外に昇格者らが集結。井上組長も出席して食事会が開かれたという。

「中田組長が勾留中とあって、井上組長自身が山健組の結束強化に力を入れたのではないか。本格的な反撃に乗り出すことが予想され、非常に危険な状況だ」(業界ジャーナリスト)

 山健組には初代から「山健魂」を合言葉に、数々の修羅場を潜り抜けてきた歴史がある。井上組長もまた、現在の山口組分裂抗争の最中に、山健組全直参の前でその言葉を口にしたという。山本初代の祥月命日に発表された人事には、脈々と受け継がれる武闘派の血が色濃く表れているようだ。