(山田敏弘:国際ジャーナリスト)

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 AI(人工知能)と監視カメラのテクノロジーとを融合させた「顔認証システム」が、いま世界で急速に広がっている。

 監視カメラなどに映った不特定多数の顔の映像から個人を識別するこの技術は、世界各国の警察が有効なテクノロジーとして導入を進めている。犯罪捜査や犯罪抑止の点からは著しい効果が出ている。

 その一方で、今アメリカでは、顔認証システムを巡って集団訴訟が提起され、物議を呼んでいる。顔認証システムが「危険」だと見られているのだ。

 これから5G(第5世代移動通信システム)やIoT(モノのインターネット)、そしてAIの技術がますます発展していく時代に、日本でも本格的に導入される可能性がある顔認証システムについて、一体何が問題となっているのか考察してみたい。

都市部の「天網工程」と地方の「雪亮工程」

 そもそも顔認証システムとは、監視カメラなどで拾われてパソコンなどに入力された人物の写真を、データベースに大量の顔写真を蓄積しているAIのシステムに照会することで、個人を特定するテクノロジーだ。2021年までに世界中に10億台の監視カメラが設置されると言われているが、それには顔認証システムが一緒に使われることになる。使途は主に、強権国家による監視、本人確認業務の自動化、そして警察の捜査である。

 監視のための顔認証はすでに世界各地で導入されている。有名なのは中国である。中国には今、国内に3億5000万台の監視カメラが設置されている。実に国民4人に対して1台の計算になる。さらに2020年のうちに、その数は6億台以上にまで増設される計画だという。

 これらのカメラを駆使し中国政府は、都市部を徹底的に監視する大規模監視システムである「天網工程」や、地方を網羅するシステムの「雪亮工程」を導入している。顔認証技術を提供しているのは、香港が拠点の商湯科技開発(センスタイム)だ。さらに監視カメラの世界シェアでトップクラスを誇る杭州海康威視数字技術(ハイクビジョン)や浙江大華技術(ダーファ)といったメーカーも顔認証プログラムを提供している。

 中国は政府も国民も、西側諸国に比べて人権感覚が希薄なため、パスポートや免許など公的な書類の写真から、街中で集められる監視カメラ映像などまで、プライバシーなどお構いなしに、徹底して顔写真を集めている。そして皮肉なことに、それによって顔認証システムの精度がどんどん上がっており、世界をリードするようなテクノロジーの進化をもたらしている。プライバシーを尊重する欧米諸国ではできない芸当だ。

 今世界で混乱を巻き起こしている新型コロナウイルスでも、この監視システムは「有効活用」されている。住民が武漢を訪問したあとに別の地域に移動すると、顔認証や車のナンバーなどから個人が特定され、当局から突然連絡を受けるというケースが報告されている。特定された個人は、当局から「外出を控えるように」と命じられているのだという。さらに今回は、中国製のスマホアプリなども駆使され、個人がさまざまに紐づけられてウイルス対策に使われている。

 中国はご自慢のこの顔認証システムを、わかっているだけで少なくとも18カ国に輸出している。ウクライナアルメニアUAEシンガポールマレーシアパキスタンスリランカケニアなどだ。こうした国々も、中国のように国民を顔認証システムで管理していると言っていいだろう。

SNSから無断で顔写真を集めまくった米企業

 顔認証には監視活動とは別の使途もある。本人確認作業などの自動化だ。日本では、空港で顔認証システムが導入されているところもあるし、2020年東京五輪でもNECの顔認証システムが本人確認で使われることになる。欧州でも、2019年の欧州サミットでフランスが顔認証システムを活用しているし、ドイツでも導入が進められている。オーストラリアニュージーランドカナダなども取り入れており、導入する国は増え続けている。

 また最近ではスマートフォンなどにも顔認証システムは使われている。インドでは、NECの顔認証システムを導入して、全国民にID(識別番号)を与えるための証明として使われている。それによって、これまでインドでは常識になっていた賄賂や搾取などの汚職が減少している。

 そして今、冒頭で触れたようにアメリカで問題になっているのは、もう一つの用途である警察の捜査についてである。

 2020年2月14日、イリノイ州シカゴの住民が、顔認証システムを提供している企業「クリアビューAI」を訴える集団訴訟を起こした。この企業、一般的な知名度はないが、治安当局にはよく知られた企業だった。というのも、実に全米で600の法執行機関にシステムを提供しており、犯人などを追跡するのに非常に効果的だと評判になっていたからだ。その正確度も、98%以上だと言われている。

 ところが問題は、同社の顔認証システムは、インターネット上のありとあらゆるサイトから、人の顔写真を拾い集めていたことだった。

 現代では、一般のビジネスパーソンであっても会議や社内イベントの写真もどんどんアップされるし、メディアでの露出がある人もいる。さらにフェイスブックやYouTube、インスタグラム、ツイッターなどSNSでは、多くの人たちがプライベートな旅行やイベント、飲み会など様々な写真を公開している。しかも、タグ付けなどで写真におさまっている人たちの名前がわかる場合も少なくない。同社のシステムでは、そうした写真を勝手に30億枚も収集・蓄積し、写真を使ってAIですぐに個人を検索できるようになっていた。言うなれば、「顔のネット検索」を可能としていたのだ。

 この顔認証システムは、捜査当局にはかなり重宝されている。例えば、インディアナ州では2019年2月にこんなケースがあった。

 2人の男性が駐車場で喧嘩になり、一方が拳銃を持ち出して相手の腹部に向かって発砲。目撃者がその様子を写真に収めており、警察はその写真から発砲した男の顔を把握した。警察はその顔写真をクリアビューAIのシステムに取り込み、検索をかけると、瞬く間に同一人物と思われる男が見つかった。誰かが以前にSNSで公開していた動画の中に、該当する男が写っていたことから、男が特定できたのだ。しかもこの男、前科もないし運転免許証も持っておらず、政府には一切顔写真などのデータは存在していなかった。クリアビューAIのスステムがなければ、容易に逮捕はできなかったはずだ。

 だが、このシステムが使えたことで、犯行が起きてからわずか20分以内に事件は解決したというのだ。

 他にも事件解決に至ったケースは数多くある。児童への性的虐待が疑われた人物が、別の人がインターネットに公開したジムの写真の鏡に写っている人物とマッチしたために逮捕に至った、郵便物を盗んでいた犯人や路上で死んでいた身元のわからない男性もすぐに個人が特定された、監視カメラに映っていた泥棒のタトゥーを検索して犯人が判明した——などだ。

犯罪捜査に役立つことは間違いないが

 確かに当局には便利なものだろうが、問題はその情報収集の仕方にあった。フェイスブックやツイッターなどから勝手に写真を集めるのは使用規約に違反している。そんなグレーな部分があることを承知していたから、システムを導入している当局もその事実を積極的には公表していなかった。しかし、昨年末ごろからクリアビューAIについての記事がメディアで多く見られるようになり、それに伴って、シカゴのように訴訟にまで発展したというわけだ。

 また、そもそも顔認証システムにはプライバシーの問題があるなどとして、警察による導入を禁止している自治体もある。米カリフォルニア州サンフランシスコ市が2019年5月に警察による顔認証システムの使用を禁じると、同州オークランド市も後に続いた。マサチューセッツサマービル市も同様の決定を下している。さらに、有色人種を誤認しやすいという報告も出ており、人権問題にもつながるという指摘もある。また欧州でも同じような動きは見られ、欧州委員会も顔認証システムの禁止を検討しており、議論になっている。

 こうした動きもあり、アメリカでは、2月12日に上院が規制や規範を作るまで警察による顔認証技術の使用を停止することを命じる法案を提出したし、ツイッターやグーグル、YouTubeは、クリアビューAIに対して写真の使用停止を求める文書を送っている。

 一方で、顔認証による捜査は、世界でも導入検討が着々と進んでいるのが実態だ。フランスドイツイギリスオランダなどが導入予定であり、今後もその利用は広がる可能性が高い。すでに述べた通り、中国は米当局よりも大々的に、人権への配慮もなくどんどん顔認証データを集め、そのシステムを拡大させながら技術を高めている。

 顔認証システムが導入されることで治安が良くなることは間違いない。犯罪は劇的に減るだろう。中国の顔認証システムを導入しているケニアでは犯罪率が46%も減少したとの話もあるし、インドでは顔認証システムで2930人の行方不明児が発見されているという。

 プライバシーを重視するか、犯罪率の減少を求めるか——どちらを優先するかは、その国家の体制や、国民の価値観によるだろう。まだ日本では、顔認証システムが警察に導入されていないが、今後、そういう議論は確実に高まってくる。その時までに、先んじて導入している国々で起きている議論などは注目しておいた方がよい。

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