『みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史――史上最大のITプロジェクト「3度目の正直」』(日経コンピュータ著、日経BP)という書籍が注目を集めている。発売前の予約時点ですでにAmazonのランキングに入り、発売日には「書籍総合第1位」に躍り出た。社内や関係者だけではない幅広い人たちの関心を集めたということだ。19年間、みずほのシステムを追い続けた雑誌編集部でしか作れなかった力作である。

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「システム統合の苦闘」とはどういうものか、なぜそうなってしまったのかを前掲書(以下『苦闘の19年史』と略)の内容に沿って紹介する。そして最後に、無事統合が完了したみずほ銀行の新システムに残る不安材料について触れる。

「3度目の正直」とは何か

 書名のサブタイトルにある「3度目の正直」とは何か。それは2度の大規模システムダウンを経て、ようやく古いシステムを根本から刷新できたということを指す。

 1回目のシステムダウンは、第一勧業銀行富士銀行日本興業銀行が合併し、みずほ銀行みずほコーポレート銀行が発足した初日の2002年4月1日。旧富士銀行キャッシュカードが旧富士銀行店舗のATMでしか使えなくなったほか、口座振替処理の遅れが約20日続いた。

 2回目は東日本大震災が起こった2011年3月。大量の義援金の振り込みが集中したことをきっかけに、口座振替処理が間に合わなくなり、ついにはATMが数日間にわたって停止した。

 その後、みずほ銀行は古くなったシステムの再構築に取りかかり、2019年7月に新システムが全面稼働した。旧3行のシステム統合プロジェクトが、みずほホールディングス設立の2000年9月以来19年経ってようやく完了したのだ。半年経った2020年2月現在、大がかりなシステムダウンは起こっておらず、ひとまず「3度目は起きなかった」と言える状態になっている。

 だが、喜んでいるだけではいけないのではないか、ということは記事最後で指摘する。

 日経コンピュータは主に企業情報システムを対象としたIT専門誌だ。1回目、2回目のシステムダウンの際にも『システム障害はなぜ起きたか』『システム障害はなぜ二度起きたか』という書籍を発行している。ただ、今回の『苦闘の19年史』はこれら2冊の抜粋も収録しているので、この一冊で過去の経緯も含めてほぼわかるようになっている。

『苦闘の19年史』は統合が完了した「第1部 IT業界のサグラダファミリア、ついに完成す」、2回目のシステムダウンを取り上げた「第2部 震災直後、「またか」の大規模障害」、1回目のシステムダウンを取り上げた「第3部 合併直後、「まさか」の大規模障害」という構成になっている。

 第1部は「システムが統合できた!」という新しい情報なので最初にあるのは仕方ないが、全体像をとらえるには時系列に並べた方がわかりやすいので、第3部、第2部、第1部という順で19年間の経緯を簡単に紹介する。

システム統合の明確な戦略を作れなかった

 今回取り上げる「システム」とは勘定系システムを指す。勘定系システムとは、銀行における預金や融資、振り込みなどの業務を支える、銀行にとって最も重要な情報システムである。勘定系システムが止まると銀行業務はすべてが止まる。

 3行を経営統合するにあたり、それぞれがそれまで使っていた勘定系システムをどうするかが大きな課題だった。いずれも1980年代に構築して老朽化したシステムだったためだ。大幅な紆余曲折を経て決まったのは、当初は古い勘定系システムを残したままにして、「リレーコンピューター」と呼ぶ仕組みでつなぐ、というものだった。

 ところが新銀行発足の4月1日早朝までに切り替え処理が終わらず、前日分の口座振替処理が残ってしまった。結局口座振替処理の終了を待たずに勘定系システム全体を稼働させたことで、ATMなどのオンラインシステムが障害を起こし、口座振替処理のトラブル収束にも20日弱を要した。主要な原因は、複数の条件が重なった状況までを想定したプログラムのテストが不足していたことだった。

 だが『苦闘の19年史』は「最大の問題は明確な経営戦略とビジネスの仕組みを作れなかったことだろう」と指摘している。

 新銀行発足の3年前、1999年8月に合併を発表した会見では日経コンピュータの記者がシステム統合についての質問をしたが、満足のいく回答が得られなかった。

「このやり取りの結果、日経コンピュータは、みずほフィナンシャルグループの情報化戦略に決定的な問題があると判断した。口では「戦略的なIT活用」というものの、それを実現する体制を作る考えが三頭取にまったくないことが判明したからである」

 非常に手厳しい表現だ。詳細な経緯を読むと、明らかに優位な銀行がない状態での合併だったことに一因があるように思われる。旧3行による主導権争いをだれも抑えられず、システムの統合方法が堂々巡りを繰り返した。結局時間切れとなり、問題を先送りする「リレーコンピューター」という小手先で対応せざるを得なかったのだ。

 その後、みずほ銀行は勘定系システムの一本化作業を進め、2004年12月、2年8カ月がかりで情報システムの一本化を終えた。

背景にある最大の問題は経営陣の意識

 ところが東日本大震災の3日後の2011年3月14日。2回目の大規模システムダウンが起こった。

 きっかけは、テレビ局が呼びかけた義援金の振り込みが一つの口座に殺到し、勘定系システムの「取引明細」の件数が一日分の上限値を超えてしまったこと。この対処に時間がかかり、翌朝9時の店舗の開店にシステムの準備が間に合わなかった。

 しかもそのあとの対処が後手後手に回り、振込処理の滞留と二重振り込みの発生、ATMの全面停止などに発展。とうとう3月19日から21日(春分の日)の3日間、システムを全面的に停止し復旧にあたることになった。振込処理の積み残しが解消したのは24日だった。

 ここまで障害が大規模化した要因は、30もの不手際が重なったためだ。それを次の図に示す。

※記事配信先でお読みの方は、図をhttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59411でご覧いただけます。

『苦闘の19年史』はその不手際を、(1)システムの仕様や設定、(2)システム運用、(3)リスク管理、(4)緊急態勢、の4種類に分類している。そのうえで、次のように強い言葉で指摘している。

「四種類の不手際の背景にある問題をさらに整理すると、二つの経営問題にたどり着く。「システム刷新を先送りした」という点と、「組織としての基本動作を誤った」という点である」

みずほ銀行が勘定系システムの刷新を見送ってきたのは、みずほ銀行みずほフィナンシャルグループの歴代の経営陣が、大規模なシステム刷新を決断できなかったからである」

 そして次のように締めくくっている。

みずほ銀行の二度のシステム障害は、どちらも経営陣のIT軽視、IT理解不足に原因がある。この、根本原因を見逃した結果、みずほは失敗を繰り返してしまった」

「技術の詳細について分かっていないということではない。経営陣として、自社の情報システムとそれを支えるシステム部門の強みや弱み、課題などを把握していない、知ろうとしていないのである」(この部分のみ『システム障害はなぜ二度起きたか』から引用)

 なお、システムがダウンする仕組みについて知りたくなったら、『システムはなぜダウンするのか』が詳しく解説しているので参照してほしい。類書があまり見当たらない貴重な資料である。

二度の延期を経てようやく全面稼働

 その後の2011年6月、みずほフィナンシャルグループは勘定系システムの刷新プロジェクトを本格的に開始した。システムを新しくするだけでなく、みずほ銀行みずほコーポレート銀行、みずほ信託銀行が別々に運用していた勘定系システムを一つに統合することを目指した。

 実は、2004年に勘定系システムの一本化作業が終わったあと、改めて次期システム開発を仕切り直し、2011年度までに新しい勘定系システムに刷新する計画を立てていた。その作業が遅れている間に2回目のシステムダウンが起きてしまったのだ。したがって、2011年からのプロジェクトは、その再挑戦と言える。

 そして2019年7月に新しい勘定系システム「MINORI」への移行が完了し、全面稼働した。開発規模は35万人月。日経コンピュータは開発費を4200億円程度と推定している。

 実は、1990年代以降で勘定系システムを一から作り直したメガバンクみずほしかない。合併時にはどちらかの銀行のシステムに全面移行(「片寄せ」と呼ぶ)したこと、その後も24時間稼働などのこまめな機能拡張を行っていたことなどで、みずほほど追い詰められていなかったからだ。

なにより完成したことを評価しよう

 このような作り直しをしたおかげで、MINORIには新しい技術が組み込まれた。最大のものが設計思想SOA(サービス指向アーキテクチャ)を取り入れたことだ。システムを複数のコンポーネント(サービス)に分けて独立性を高め、コンポーネント間の結びつきをゆるくする(疎結合にする)ことで、障害時の対策や機能改善がしやすくなる。

 もう一つ画期的だったことは、プログラムコードを自動生成する開発ツールを全面的に採用したことだ。そしてツールが生成したコードを手で直すことを禁止した。これがプログラムの統制と開発の省力化につながった。

 そのほかにも改善点があるが、どちらかというと以前の古い設計のままだった部分を解消したというものが多いし、全部が解消したとは言い切れない部分もある。それでも全面刷新したおかげで、銀行の勘定系システムとしては“最先端”になったか、少なくとも先頭集団に追いついたと言える。

『苦闘の19年史』はそのほか、プロジェクトの推進体制にも多くのページを割いて説明している。一次、二次、三次委託先(以前の言葉なら下請け)をあわせて約1000社。これをどのように統率するかは非常に重大な課題だ。さらにテストやリスクチェックなどの体制作りにも踏み込んでいる。

 さらにシステムの移行の際には、9回のATM停止、システムやデータの移行作業、新システム利用方法の研修など相当の準備と実施の体制が必要だったが、これらについても触れている。

 ちょっときれいごとな記述ではないか。もっと現場では大変がことが起こっていたのではないか。経営陣に対する厳しい指摘をした過去2回のシステムダウンのときに比べると、ちょっと切り込みが鈍いのではないか。第2部、第3部のあとに第1部を読むとそう感じるかもしれない。

 だが今回はシステムダウンではなく、システムが完成したという話だ。なので、このような(情報システムの)大規模プロジェクトの全体像が外部に示されたことを評価した方がいい。こういう情報はあまり公開されていない。情報システムに限らず、大規模プロジェクトを進める場合の一つのヒントになるだろう。

 記事が肯定的なニュアンスを持つのは、現場で作業を行っていた人たちがみな(あるいは大部分)きちんと職務を果たしていた、ということでもある。そうでなければこんな大規模なプロジェクトは永久に完了しない。

 とはいえMINORIプロジェクトは予定通りには進まず、二度システム開発完了時期の延期を発表した。なかなか完成しないので「IT業界のサグラダファミリア」と呼ばれたりもした。サグラダファミリアは、建築の専門家でない多くの人にも「すごい」「きれいだ」と言ってもらえる。しかしみずほ銀行のシステムは外から見えるものではないし、一般の人がほめることはない。存在すら意識していないだろう。とすれば、せめてIT業界内だけでも、その労力をたたえてもいいのではないか。

みずほ銀行はMINORIで生き残れるのか

『苦闘の19年史』は第1部の一つの章を割いて、MINORIおよびみずほ銀行の今後の課題を考察している。その中で、銀行全体がデジタルの大波にさらされていることも書かれている。FinTech(フィンテック)の台頭、異業種からの金融業務の参入、デジタル化の推進やAIの採用など、既存の銀行を取り巻く環境はかなり厳しい。それに対してみずほ銀行がどのように対処していくか、という記述もあるのだが、それを戦略や展望と言うには小粒すぎる印象だ。

 MINORI稼働後のインタビューでみずほフィナンシャルグループの坂井辰史社長は、MINORIの利点として「事務が効率的になり、営業店も次世代型にどんどん転換していきます」ということを挙げている。現在見えている利点がこれだけだとするなら、ちょっとさみしいのではないか。

 坂井社長は「三度目の大障害は起こりませんか」という質問に対し「あってはなりません」と答えている。これもちょっと心配材料だ。これでは2002年、2011年の経営陣と大差ないのではないだろうか。「あってはならない」と思っていながら起こったのが二度のシステムダウンではなかったのか。できればインタビュー時にこの点を突っ込んでほしかった。

 そもそもシステムダウンが絶対に起こらない、などと断言することはできない。システムダウンは起こり得る。ただ、それが起こったときにも影響や被害が少なくて済み、適切に対処できるようになった、というのがMINORIの価値なのではないだろうか。

銀行の勘定系システムに未来はあるか

 システムダウンよりも心配な点は、MINORIやほかの銀行も含めた勘定系システムが世の中から取り残されないだろうか、ということだ。

 20世紀後半のIT業界で、巨大銀行の勘定系システムというのは花形だった。技術的に最先端であり、最高性能のコンピュータを要求するものであり、多くの人が携わり、また動向が注目されるものであった。

 しかし、2020年の現在、IT分野でホットな技術はAIやクラウドだ。金融分野であればブロックチェーンなども重要である。現在優秀なエンジニアの多くはそっちの分野に興味を持っているだろう。MINORIは勘定系システムとしては“最先端”かもしれないが、IT全体で見ると「久しぶりにITの世界のレースに復帰できたが、周回遅れ」と感じる。

 MINORIが採用したSOAの考え方は1990年代に注目を集めた。その思想は現在広がってきているが、逆に一般的になってきたために「SOA」という言葉はもうほとんど聞かれない。そもそも勘定系システムのような企業の「基幹情報システム」は“先端”どころか“レガシー”(過去の遺産)として捉えられるようになってきている。

 さらに言えばメガバンクの業務自体が現状で周回遅れと言えるかもしれない。勘定系システムは技術的に先端かどうかとはかかわりなく、銀行のすべての業務を滞りなく遂行できなければならない。銀行業務の中には一時期脚光を浴びたが今は注目されなくなった金融商品や仕組みも多い。しかし契約者が残っている以上、それを処理する機能はシステムに必要になる。過去の遺物を残したままで、勘定系システムを抜本的に新しい技術で作り替えることができるのだろうか。

 果たしてMINORIは周回遅れを挽回できるのか。どのようにしてITの新潮流に追いつくつもりなのか。MINORIあるいは銀行の勘定系システムに未来はあるのか。『苦闘の19年史』で惜しいと思うのは、そのような将来展望にあまり触れられていないことだ。

 その点を著者の日経コンピュータはどう考えているのか。著者の一人であり、この19年間、みずほ銀行の情報システムを取材し続けてきた、日経コンピュータ大和田尚孝編集長にインタビューを行ったので、次稿でそれをお伝えする。

みずほシステム統合、追い続けたIT誌編集長の評価
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59412

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