[プロ野球開幕キャンペーン中!DAZN for docomoへ入会した方の中から、抽選で10,000ポイントが当たるキャンペーンを実施中!]

 大往生というには若すぎる。84歳。野村克也さんがこの世を去った。突然の訃報に、春季キャンプ真っ盛りだった日本球界は、お通夜のように湿ってしまった。

 無理もない。選手兼任監督だった南海時代に始まり、ヤクルト、阪神、社会人のシダックス、そして楽天とさまざまなチームで監督を歴任した。教え子たちは各チームに散らばっているのだ。

・今すぐ読みたい→
逃した魚は大きかった?!ドラフト「外れ1位」選手の活躍を追え!(https://cocokara-next.com/athlete_celeb/miss-1st-place-in-draft/)

「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」

 「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」

 野村さんが残した有名な明言の一つである。まさにこの言葉を地でいった野球人生だった。

 現在のプロ12球団中、実に半数の6球団の監督が野村さんの教え子にあたる。

 最も薫陶を受けたのはヤクルトを今年から率いる高津臣吾監督だろうか。新人だったヤクルト時代に鍛え上げられ、球界を代表するクローザーへと成長した。野村さんが亡くなると、すぐさまキャンプ地の沖縄県から、都内の自宅へと弔問に飛んだ。

 阪神・矢野燿大監督も野村さんに見いだされた一人だ。中日から98年に阪神へ移籍。翌99年に就任した野村監督に正捕手として重用され、捕手のイロハを叩き込まれた。

 西武・辻発彦監督は、敵として、そして愛弟子としてプレーした。西武時代は野村ヤクルト日本シリーズ名勝負を演じた。1995年戦力外通告を受けると、獲得を熱望したのが野村さんだった。好敵手だったヤクルトへ移籍。1年目からオールスターに出場を果たすなど、133安打、打率・333の好成績を残した。野村再生工場の象徴的存在となり、宮本慎也ら後進の育成にも貢献した。

 日本ハム栗山英樹監督は現役最後のシーズンとなった1990年ヤクルトで野村監督の元でプレーした。現役晩年はメニエール病や右肘痛に悩まされたが、主に控えの外野手として69試合に出場した。

東京五輪で金メダルを目指す侍ジャパンの稲葉篤紀監督も

 中日・与田剛監督も現役最後の2000年、阪神で野村さんに仕えた。その前年、日本ハム戦力外通告を受けた。阪神の春季キャンプにはテスト生として参加。野村さんにストッパー候補の一人と見いだされ、入団にこぎつけた。だが、オープン戦で腰を負傷し離脱。結局1軍のマウンドに立つことはかなわなかった。

 楽天・三木肇監督は、ヤクルトの高卒新人として3シーズン、野村監督の元でプレーした。2年目の1997年には1軍デビューを飾り、当時黄金期を迎えていた野村ヤクルトの常勝哲学を間近で吸収することができた。

 12球団の監督ではないが、日本代表である侍ジャパン稲葉篤紀監督も、ヤクルト新人時代から野村さんに育てられた一人だ。ID野球の根幹を、連日の長いミーティングで叩き込まれた。

 ペナントの覇権を争うのも、その代表選手たちを率いて東京五輪金メダル獲得を目指すのも、みんな野村さんの教え子。天国から教え子たちの戦いぶりをどんな気持ちで眺めるのだろうか。天国の野村さんにとっても、教え子たちにとっても、忘れられない2020年シーズンとなるに違いない。

[プロ野球開幕キャンペーン中!DAZN for docomoへ入会した方の中から、抽選で10,000ポイントが当たるキャンペーンを実施中!]

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

・今すぐ読みたい→
逃した魚は大きかった?!ドラフト「外れ1位」選手の活躍を追え!(https://cocokara-next.com/athlete_celeb/miss-1st-place-in-draft/)

今シーズンのプロ野球12球団中6球団の監督がノムさんの教え子!「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」の金言どおりに