約1万年前に最後の氷河期が終わり地球の温暖化が進むと、自然環境が大きく変化したため、新人は地域ごとの多様な環境に適応しなければならなくなりました。

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 人類が環境に適応するなかでもっとも重要な出来事とは、約9000年前に西アジアで、麦の栽培とヤギ・羊・牛などの飼育が始まったことでした。なぜなら、農耕・牧畜が開始されたからです。

 これにより、人類は積極的に自然環境を改変する能力を身につけ、食料を生産する生活を営みはじめたのです。人類は、狩猟採集から農耕牧畜による生産経済に移るという重大な変革をとげたのです。その結果、人口は飛躍的に増え、文明発展の基礎が築かれたとされます。

 しかし文明が発達したことで、人類の生活水準は上昇したと言えるのでしょうか? 実は、文明が発達し始めてからかなりの長期間、人類の生活水準は狩猟採集時代よりも低下していたと考えられているのです。

 にもかかわらず、人類の労働時間は増大したのです。明らかに人類が勤勉になったのは、農耕牧畜生活をはじめた時のことだったのです。

 人類がなぜ定住するようになり、さらには農業を営むようになったのか、決定的な答えはまだ出ていません。それは大きな謎なのです。

増加した労働時間

『「本当の豊かさ」はブッシュマンが知っている』(NHK出版、2019年)の著者のジェイムズ・スーズマン氏によれば、アフリカブッシュマン(南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族)は、栄養に必要なものを確保するのに1週間に15時間しかかかけておらず、それで十分に豊かな暮らしをしているといいます。

 ブッシュマンの労働時間と比較するなら、われわれはあまりに長く働いていると言えます。

 労働時間の増加は、定住し、農耕生活を選んだ必然的結果でした。農業とは、毎日たくさん働かなければならない産業なのです。

 狩猟・最採集時代の人々は、野生の動植物の狩猟や採集をするために、あちこちを移動しますが、食料を確保したならそれ以上働く必要はありません。それで食料が不足することは、ほとんどありませんでした。

 一方、農耕社会は、安定的に食物を得られそうなイメージですが、自然災害などのために十分な食料が確保できないことも決して珍しくはないのです。

貧しくなかった狩猟生活

 人類は、その歴史のほとんどを、狩猟採集によって生きてきました。農作物を生産するようになったのは、1万年ほど前のことにすぎません。

 かつて、狩猟採集生活の生活水準は低く、人々の平均寿命も短いと考えられていました。というのも、食料を育てることはできず、貯蔵されるものは少なく、毎日新しい食料を見つけて飢えをしのがなければいけないと思われていたからです。

 このような悲惨の状況から逃れるために、世界中で植物の栽培と動物の家畜化がはじまった、と言われてきました。それは、定住し、品種改良をした植物を栽培したなら、たくさんの食料がとれ、飢えから逃れられると考えられていたからです。

 しかし、これはどうやら間違った考えのようなのです。

 たとえばすでに述べたように、ブッシュマンには十分な余暇の時間があり、あまり働いていません。現代でも狩猟採集生活を送っているブッシュマンの一日の摂取カロリーは2140キロカロリー程度であり、十分な栄養を摂取しています。彼ら狩猟採集民が餓死するということは到底考えられません。そしておそらくそれは1万年前の狩猟採集民にも当てはまったはずです。

 考古学の遺跡から見つかる骨格からも、驚くべき事実がわかってきています。

 ギリシアトルコで発見された骨格を調べたところ、氷河期末期の1万年前の狩猟採集民の平均身長は、男性が5.9フィート、女性が5.5フィートであるのに対し、紀元前3000年の農民は、それぞれ5.3フィートと5フィートでした。つまり、狩猟採集民の方がむしろ身長が高いことが判明したのです。ここから推測できるのは、狩猟採集民の方が栄養状態が良かったということです。

 狩猟採集民の栄養状態が良かったことは、アメリカで発見された骨格からも裏付けられています。狩猟採集民と比較すると、農民は、栄養不足によるエナメル質欠損が50パーセントも多かったのです。

 さらに、この地域の骨格を調べたところ、農業が始まる前の人々の平均寿命が26歳だったのに対し、農業が登場してからは19歳へと大きく下がってしまうのです。これも、農耕民の方が栄養状態が悪く、そのため生き延びるのが難しかったということを示していると言えるでしょう。

 つまり、農耕生活により明らかに人々の生活水準は低下したのです。

農耕生活の問題点

 では、なぜ農耕生活を送る人々の栄養状態は、以前の狩猟採集生活時代よりも悪くなったのでしょうか。

 考えられる第一の理由は、狩猟採集民の食料が多様だったのに対し、初期の農民が入手できる食料は一種類か二種類に限られていたうえに、それらはカロリー数も少なかったということです。

 第二の理由は、非常に限られた数の作物に依存していたため、もし作物が育たなかったら、たちまち飢餓に見舞われる危険性があったと考えられています。これは、穀物を栽培する地域では、麦やコメなど、特定の穀物を栽培することが多かったことからも推測できるでしょう。

 第三には、農業によって人々が密集して住むようになり、また他地域の人々と商品を交換するようになると、寄生虫伝染病が広まることになったためと考えられます。たとえば、結核は農業が始まる前には存在せず、はしかと腺ペストは、大都市が誕生するまでは発生しませんでした。これらが発生したのは、人間が移動することによって病原菌が撒き散らされたからです。要するに人類は農業生活を始めることによって新たな病気を作り出してしまったのです。

 農業が招いた悲劇はこれにとどまりませんでした。農業社会は、人々の階級格差を作り出しました。狩猟採集民は、食料を貯蔵する必要性はほとんどなく、近くにあるものを採集すれば、それで十分な栄養を摂取できました。

 ところが農業が始まると、人々は食料を備蓄するようになります。そこで持つ者と持たざる者の間に大きな差ができるようになりました。さらにそれが進むと、領主(王)が誕生し、一般の農民よりもはるかに豊かな生活を送るようになります。現代社会の不平等性の原点はこのころにあるのです。

 さらに農業は性による格差を生み出した、と言えるかもしれません。農耕民の女性は、絶えず活動している狩猟採集民の女性よりも妊娠しやすく、子どもの世話により多くの時間を費やさなければなりませんでした。さらに、女性は男性よりも伝染病にかかりやすかったのです。農耕社会が男性優位の社会になるのは必然でした。

 一方で農耕生活は、狩猟採集生活よりも多くの人々を扶養することができました。狩猟採集生活を送った初期の人々の人口密度は、10平方マイルあたり1人を超えることはほとんどありませんでした。それに対し農耕民の場合は平均してその百倍の人口がいたようです。それでも、ここまで見てきたように、初期の農耕生活の生活水準は決して高くはありませんでした。

 では、それだけの人口を養うためになにが必要だったか。それは、人々の労働時間の増大です。農耕生活を選択した人々は、たくさん働かざるをえなかったのです。

農業を選んだ結果は

 野山や草原を駆け巡る狩猟採集民が都市を築き、文明を作り上げる姿はなかなか想像しにくいものです。

 しかし農耕民はそれを成し遂げました。

 農耕民は、これまでに長い長い年月をかけて、農業の生産性を上げ、栄養状態を向上させる術も学び、ようやく狩猟採集民には手が届かない生活水準を手に入れたのでした。ただし、そこまでに数千年の年月を費やしたのです。

 われわれの遠い祖先の多くは、狩猟採集ではなく、農耕生活を選択しました。それは同時に、人口増大の道を歩み始めたということでもあります。

「人類が勤勉になった」と確実に言えるのは、このときだけです。必ずしも、工業化社会になって人間が勤勉になったとは言えないのです。

 長い長い農耕生活の中で、われわれの遺伝子には、「勤勉遺伝子」が埋め込まれたと考えてよいかも知れません。ただ、それが人類を幸福にしたかどうか。答えは簡単に見つかりそうにはありません。

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