日本の古代史には「悲劇の皇子」が多数登場する。本書『皇子たちの悲劇――皇位継承の日本古代史』(角川選書)は彼らを軸に古代史を読み直したものだ。なぜ天皇(大王)になれなかったのか。結局どうなったのか。記紀の伝承時代から、律令制成立期、律令制下、さらには平安時代の摂関期から院政期にかけてまでを振り返り、敗者となった皇子たちの理由と政治的背景を探る。

非業の死を遂げた皇子が多い

 日本の古代史についての本を読むと、天皇の座をめぐって権謀術数が渦巻き、非業の死を遂げた皇子が多いことに驚く。中学や高校の歴史の教科書では、淡々とした記述が続き、まるで平和裏に新政権が誕生したり、遷都が行われたりしたかのような感じがあるが、実際には陰謀が渦巻き、ときに壮絶な死闘が繰り広げられていた。

 本書は下記の各章に分けて、順にその姿を活写する。

 序章  伝承時代の王子  第一章 倭王権の成立と王子  第二章 律令制成立期の王子(皇子)  第三章 律令国家と皇子  第四章 平安朝の確立と皇子  第五章 期摂関政治と皇子  第六章 摂関政治全盛期の皇子  第七章 院政と皇子

 著者の倉本一宏さんは1958年生まれ。国際日本文化研究センター教授。専門は日本古代政治史、古記録学。『平安朝 皇位継承の闇』(角川選書)、『蘇我氏』『藤原氏』『公家源氏』(中公新書)、『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』『藤原行成「権記」全現代語訳』(講談社学術文庫)、『藤原道長の日常生活』『内戦の日本古代史』(講談社現代新書)など著書多数。BOOKウォッチでも『戦争の日本古代史』『戦乱と民衆』(講談社現代新書)を紹介している。近年の日本史ブームをけん引する学者の一人だ。

黒枠の皇子だらけ

 本書には時代ごとに多数の系図が掲載され、不慮の死を遂げた「皇子(王子)」は黒い太枠で囲まれている。嫡流なのに天皇になり損ねたケースが少なくない。「悲劇」が多発していたことが一目瞭然だ。

 例えば16代とされる仁徳が亡くなり、21代の雄略に行き着くまでの3世代で、10人が黒枠で囲まれている。讒言を信じて大草香王子を殺した穴穂王子(のちの20代・安康)はその後、大草香王子の遺児である眉輪王に殺される。この後、大暴れするのが大泊瀬稚武王子(のちの雄略)だ。逃げた眉輪王を探して焼き殺す。このほか、兄たちを次々殺す。穴を掘って立ったまま生き埋めにするなど残酷だ。同世代の王族5人を殺して即位している。著者は「とても本当の話とは思えない物語であるが、これも異母兄弟間の王位継承をめぐる争いを説話化したものであろう」と書いている。

 雄略は『宋書』に登場する「倭王・武」だと言われている。稲荷山古墳出土の鉄剣などに名前が刻まれ、実在したと見られている。

 著者は、呼称に厳格だ。「大王」(おおきみ)という君主号の成立は雄略の時代で、「天皇」という君主号の成立は天武朝と考えている。大王という地位を血縁的に継承する「大王家」という血盟集団も、6世紀の欽明の世代までは形成されておらず、天皇家の系図にあたる「皇統譜」の成立も7世紀も末に入ってからと見ている。したがって本書では、雄略から天武即位前の君主は大王としている。また、天武即位以前の大王の男子を王子、女子を王女とし、天武以後でも大宝律令制定以前の天皇の子を、男子は皇子、女子は皇女としている。大宝律令以降の天皇の子については男子を親王、女子は内親王と表記している。

血で血を洗う抗争

 6世紀前半、血盟集団としての大王家が成立するころ、蘇我氏の勢力が次第に増大していた。当時の欽明は、何人もの妻を持っていたが、うち二人は蘇我稲目の娘だった。後継争いは、蘇我系王族と非蘇我系王族、それぞれの嫡流と非嫡流を軸として繰り広げられた。数十年の間に7人が黒枠で囲まれている。

 厩戸王子(聖徳太子)はこの時期の人だ。帝位継承の有力候補だったが、推古天皇が長生きしたこともあり、即位できなかった。その後、厩戸の子の山背大兄王が候補の一人になったが、蘇我入鹿らに討滅された。その入鹿は、大化の改新中大兄皇子らに殺され、入鹿が擁立しようとしていた古人大兄王子ものちに殺される。

 BOOKウォッチで紹介した『持統天皇――壬申の乱の「真の勝者」』(中公新書)は、この時期から壬申の乱を経て天武、持統が王権を確立するまでの動乱の時代を活写している。有間王子、大津皇子、長屋王など8世紀前半にかけて、黒枠が続く。飛鳥から奈良時代には、皇族と重臣たちが入り乱れ、血で血を洗う密議と謀反が繰り返されたことはよく知られている。

 同書によると、天智の弟、天武には"汚名"が付きまとったという。いったん出家し皇位継承者の資格を捨てたにもかかわらず、天智の子の大友皇子を倒して即位したからだ。端的に言って皇位の簒奪者だった。ゆえに、天武の妻だった持統は、この天武を「神」として祭り上げることですべてを帳消しにした、と同書の著者の瀧浪貞子さんは指摘していた。この時期に記紀の編纂が始まり、古代天皇制がほぼ完成したとされている。

大半の皇子は天皇になれなかった

 本書で勉強になったのは、「男大迹王(26代・継体)」についての記述だ。王位継承で空白ができて、応神(15代)の5世の子孫「男大迹王」を越前から呼び寄せたという。その不自然さから、かねて「王朝交替説」がささやかれてきた。

 本書では、むしろ「婿入り」ということに注目している。男大迹王は、手白香皇女(24代・仁賢の王女、25代・武烈の姉)と婚姻している。すでに王子二人がいたが、彼らも同様に仁賢の王女と結婚している。「一族ごと倭王権に婿入り」というわけだ。王子たちは、男大迹王に世継ぎができなかった場合のスペアではないかと。

 「継体」を語るとき、とかく出自の不確かさが問題になるが、「婿入り」ということに視点を変えると、わかりやすいと思った。継体は即位後もなかなか政権の中心地、大和の地に入れなかったという。この「婿入り」という形式が一因だったのかもしれない。

 本書によると、継体から後鳥羽天皇までに生まれた304人の皇子(王子)のうち即位できたのは、わずか44人。率にすると、約14%。7人に6人は即位できなかった。この間の男子天皇48人の側から見ると、皇子(王子)を即位させることができたのは26人。半分強にとどまっている。皇位継承の大変さを改めて知ることができる。

  • 書名:  皇子たちの悲劇
  • サブタイトル: 皇位継承の日本古代史
  • 監修・編集・著者名: 倉本一宏 著
  • 出版社名: 株式会社KADOKAWA
  • 出版年月日: 2020年1月27日
  • 定価: 本体1800円+税
  • 判型・ページ数: 四六変形判・272ページ
  • ISBN: 9784047036826

BOOKウォッチ編集部
継体天皇は「婿入り」だった!