お笑い芸人を目指す場合、現在は各事務所が開く芸人養成所に通うのが一般的であるが、かつては弟子入りがもっともオーソドックスな方法だった。今でも伝統的な落語家では師匠に弟子入りする必要がある。寄席の終わりに師匠を「出待ち」し、志願するのが一般的だが、最初は断られるのが当たり前で、そこで諦めず、自宅に行き何回か志願することで本気度が試されるようだ。

 同じような光景が80年代ビートたけしの周りでも繰り広げられていた。たけしへの「弟子入り志願」でよく行われていたのが、レギュラーを持っていた深夜ラジオ番組『ビートたけしオールナイトニッポン』(ニッポン放送系)の放送局前に駆け付け、出待ちをして弟子志願をする方法である。中には土下座をする者もいたという。当然、その場では断られる。そのため、たけしが打ち上げに向かう焼肉屋まで追い掛ける者もいた。ラッシャー板前は、雑誌に載っていたたけしのマンションの写真から執念で現場を探し当て、自宅マンションまで駆け付けたようだ。

 この弟子志願には、ある特徴的な現象があった。2月から3月に掛けては、受験や就職に失敗した人間が、たけし軍団に志願しに現れ、最盛期には100人近い人数が集まっていたようだ。
 この有象無象の中の一人であったのが、浅草キッド水道橋博士である。博士は約7か月間通いつめた末、弟子入りを許される。その前には、たけしにネタを書いたノートを渡し、褒められたこともあったようだ。文筆家としての才能の片鱗を当時から覗かせていたと言えるだろう。博士と同時に、その日たまたま現場に来ていた人間も弟子入りを許された。弟子への道のりが開けるかどうかは、「完全に運」の要素が強かったと言えるだろう。

 芸人の世界では、欽ちゃんこ萩本欽一が「芸人には運が必要」と常々述べているが、それはたけしも同じ思いを抱いていたのかもしれない。さらに、志願者から選んだ弟子を取って行くのは、昔気質の芸人の気質や伝統を引き継いでいたとも言えそうだ。

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