大化の改新、蒸し米(むしごめ、645年)で祝う。そう覚えたのは小学生のころだった。ただ、何がどう改新されたのか、当時の筆者には分からなかった。
▼「日本という国号と、我が国初の元号・大化が定められた」と先生が言っていたことは、おぼろげに覚えている。とめどもなく思い出したので、つい書いてしまったが、大化の改新を今日の主題にする予定ではない。
大化の改新で中心的役割を担った人物は中臣鎌足(なかとみのかまたり)。のちの藤原氏の始祖となる。その鎌足の子である藤原不比等(ふじわらのふひと)に4人の男子があった。字数に限りがあるので個々の名を挙げるのは控えるが、藤原四兄弟と呼ばれる。
▼四兄弟が朝廷を掌握して、藤原氏の専制政権となった。ところが、大化の改新から約90年が過ぎた737年、天然痘により、藤原四兄弟の全員が死ぬ。以後、藤原氏の力は一気に衰え、四兄弟の政敵であった橘諸兄(たちばなのもろえ)が国政を執ることになる。
▼日本の奈良時代のことを書いて何になるのかと思いながら書いてしまったが、要するに、恐るべき感染力をもった病というのは、一国の中枢にいる政治家も逃さず全滅させ得る、ということだ。
▼病禍の苦難が続く中、すでに多くの心ある中国人が、自らの命を懸けて発言している。仮に、この新型肺炎が収束したとしても、その間に露呈した中共政権の欺瞞性と卑劣さは、決して消すことができない。改新の時、至れり。中国共産党の命運は尽きようとしている。悪事をはたらいた者どもには、天が必ず、その報いを与えるであろう。