(PanAsiaNews:大塚 智彦)

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 インドネシアの東端、パプアニューギニア島の西半分を占めるインドネシアパプア州での騒乱は現在も継続中だ。増派された軍、警察などの治安部隊と、独立武装組織「自由パプア運動(OPM)」や軍が一方的にその存在を主張する「武装犯罪者集団(KKB)」などとの武力衝突が続いているのだ。

 その騒乱は今後、もしかすると一段と悪化するかも知れない。ある象徴的な事件が起きたからだ。

治安部隊が銃殺したのは12歳の男の子

 2月20日パプア州インタンジャヤ県ガルンガマ村で、軍・警察部隊と地元民の間で銃撃戦が発生、その後、軍兵士が現場で2人の男性の遺体と女性2人の負傷者を発見した。これが事態悪化のきっかけとなりかねない事件となった。というのも、遺体となって発見された一人が、小学生の男の子であるということが判明したからだ。

 射殺されていたのはメルキ・ティパガウ君(12)とカユス・サニ氏(51)の2人であることを、2人の出身であるモニス族地区を統括するキリスト教のユスティン・ラハンギア神父が米政府系放送局「ラジオ・フリー・アジア(RFA)」系のメディア「ブナ―ル・ニュース」に明らかにした。

 メルキ君の遺体が安置されている自宅を訪問したユスティン神父によると、メルキ君は小柄だが、小学校6年生の12歳であると確認。「彼は小学校6年生である。自分の教区の信者であり間違いない」と証言。メルキ君が通う小学校の校長も「6年生に在籍している」と確認し、ブナ―ル・ニュースが独自に確認した生徒名簿にはメルキ君は「2008年2月14日生まれ」、つまり12歳であることが明記されているという。

 ところが銃撃戦でメルキ君を射殺した軍は、「彼は18歳で独立武装組織OPMのメンバーであり、武器を所持していた」と発表、射殺の正当性を主張するという事態になっている。

 もっとも軍の主張はかなりあいまいだ。18歳とする根拠やOPMのメンバーであることを裏付ける証拠もなければ、さらにメルキ君が所持していたとする武器についても「銃」とするだけで詳細な説明をしていない。

 単に「メルキ君が所属する部族長から18歳と聞いている」という伝聞情報だけを根拠に18歳、つまり「成人のゲリラ」であると主張しているのだ。

 さらに現場で負傷した女性2人のうちの14歳の女性に関しても、軍は「OPM側の発砲による跳弾が負傷の原因」と主張している。

 射殺したメルキ君は未成年ではなく、少女の負傷もOPM側の発砲によるものと、証拠もないまま、全てが軍にとって都合がいい主張を繰り返しているのだ。

軍の主張を裏付ける証拠なし

 インドネシアの軍や警察という治安組織は、往々にして過剰暴力、過剰反応で人権侵害の疑いがある事案を起こし、国際社会や国内人権団体から幾度となく手厳しい批判を浴びている。

 今回の少年殺害に関しても同様の疑いがある。軍による「18歳である」「武器を所持していた」「武装組織のメンバーである」という主張を客観的に裏付ける証拠は何もないからだ。

 これまでJBpressでも何度か報じてきたが、パプア州、西パプア州には2019年8月にジャワ島東ジャワ州スラバヤで起きたパプア人大学生に対する差別発言に端を発したパプア人による反政府デモの鎮圧と治安維持のために、多くの兵士、警察官が増派されている。彼らは、OPMKKBの掃討作戦と称して、各地で住民に対する脅迫、取り調べ、拘束、暴行、そして殺害が続いているという。

(参考記事)インドネシア、「パプア人差別」の禁忌犯し暴動発生
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57428

 これが世界で大々的に報じられないのは、インドネシア当局が「安全を確保できない」という理由で、海外のメディアはもちろんのこと、インドネシアの独立系メディアに対してもパプアでの自由な取材を厳しく制限しているためだ。そのため、実際に現地で何が起きているのかがなかなかタイムリーに伝わってこない。

 それでも、パプア人による人権団体やキリスト教関係者などによって断片的に伝えられる現地からの情報によれば、治安当局によるパプア人への容赦ない弾圧と人権侵害は絶えず発生している模様だ。

人権状況報告書を「ゴミ」と表現する閣僚

 そうした中、弾圧を受けているパプア人側からひとつのアクションがあった。

 2月10日オーストラリアを訪問中のジョコ・ウィドド大統領に対し、現地でパプア人支援団体関係者がパプアに置ける憂慮される人権状況のデータなどを記した文書を直接手渡すという“直訴”があったのだ。

 文書はパプアの人権問題を専門にしている弁護士フェロニカ・コマンさんらがまとめたもの。コマンさんは、2019年9月にインドネシア治安当局からパプアでの反政府デモの拡大を受けて「偽情報の拡散と扇動容疑で指名手配」されているため、現在はインドネシアを脱出してオーストラリアパプア支援の活動を続けている。

 コマンさんや人権団体関係者は、人権問題にも配慮する姿勢を示しているジョコ・ウィドド大統領に直接訴え、事態の改善に結びつけようとしたのだ。

 ところがこの文書を、主要閣僚でもある元憲法裁判所長官のマーフッド政治法務治安担当調整相は、内容の精査も待たずに「ゴミである」と切り捨て、一顧だにしない姿勢を即座に示した。ここに、現在のインドネシア政府のパプア問題に対する非情で冷徹、そして差別的な取り組み方が象徴されていると言えるだろう。

 しかしさすがにその後、この「ゴミ発言」には国内から大きな批判が起こった。するとマーフッド調整相は、「オーストラリアでは大統領に多くの人が手紙や文書を手渡した。その中に当該の報告書があったようだが、まだ中身はよくわからない。そうしたもろもろの文書をゴミといったまでだ」と苦しい弁解に追われた。

 このように、パプア人に対する差別意識は非パプアインドネシア人のDNAに刷り込まれたもので、どんなに表面的に「インドネシアは一つ」「パプアインドネシアの仲間」などと唱えたところで、心底に潜む拭い難い差別意識、裏返せば優越感は否定できないとも言われている。

 それはジョコ・ウィドド大統領が率先して現地パプアを何度も訪問しては「融和と友好ムード」をアピールせざるを得ない現状からもうかがい知ることができよう。

インドネシア人権団体も実態把握に動く

 冒頭で紹介したメルキ君射殺事件に関しては、OPMの武装部門である西パプア解放軍報道官やパプア先住民評議会などは「死傷したのは全て普通の住民である」「射殺されたのは地元村長、メルキ君とその母親(31)と11歳の4人である」と、軍の発表と大きく異なる主張を現在も続けている。

 このため先住民評議会は、インドネシアの「国家人権委員会(コムナスハム)」に対して専従チームを作って真相解明を進めるよう進言するとしている。コムナスハムは、人権問題を扱う国家機関でインドネシアでは数少ない中立公正な機関として、「人権問題の最後の砦」ともいわれている。

 そのコムナスハムは2月17日に、2014年12月8日パプア州パニアイ県のエナロタリで発生した、反政府デモに参加していた地元高校生4人(17歳が3人、18歳が1人)の殺害事件に関する最終調査報告書を発表している。

 その報告書の中で、発砲して4人を殺害した軍兵士の行為を「重大な人権侵害である」と断罪。その上で治安組織による人権侵害を「繰り返されるこうしたパプア人への蔓延した組織的犯罪行為である」と厳しく批判している。

 殺害された高校生の父親の1人はメディアに対して「発砲した兵士に関しては目撃者も多いがその兵士はすでにパプアを去っている。とはいえこうした報告書がでた以上は殺害の犯人として法の裁きを受けるべきだ」と公正な裁判を求めているという。

パプアはインドネシアの人権ブラックホール

 コムナスハムはこの報告書を2月11日に最高検察庁にも提出、ジョコ・ウィドド大統領に対して「直ちに真相解明に向けた調査開始を検事総長に指示するべきだ」としている。

 パプア問題に対しては偏見がなくパプア人の人権問題に対しても真剣に考えているといわれているジョコ・ウィドド大統領が、この件についてどう対応するかが注目されている。

 もっとも政権内からは、この調査報告書に対してもすぐに否定的な反応が出ている。

 大統領の右腕とされるムルドコ大統領首席補佐官が2月17日に、「事件は重大な人権侵害などではない。当時軍に発砲命令など出ておらず構造的、組織的な事案でなくあくまで現場での突発事案。人権問題では断じてない。兵士は暴徒に襲われて反応しただけであり、間違った結論を導いてはいけない」と内容を全面的に否定する見解を示して、ジョコ・ウィドド大統領の捜査指揮に向けた判断に影響を与えようとしている。

 ただ、このムルドコ首席補佐官は事件発生当時の2014年には国軍司令官の立場にあった人物。そのことを考えれば、当然の反論とも言える。

 ジョコ・ウィドド大統領は、閣内にこうした元軍司令官や元国家警察長官、元軍・警察高級幹部などを複数抱えている。治安対策、テロ問題など差し迫った治安問題への対処で必要な人選、あるいは政党からの断り切れない推薦などを背景にした起用とされている。

 こうした元軍人、元警察官の閣僚は、過去そして現在の治安部隊による人権侵害事件への真相解明にはことごとく反対し、否定的見解を示し、さらには捜査妨害とされるような挙に及ぶなど障害となっているという実態がある。人権問題重視のジョコ・ウィドド大統領にとっては、実に頭の痛い問題となっている。

 国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルが2018年7月に出した報告書の中でパプアの状況に関して「パプアは人権問題におけるインドネシアブラックホール(深い闇)である。パプアでは治安部隊は何年にも渡って、パプア人の無抵抗の女性、男性、子供を殺害することが許されている」と糾弾していることからもわかるように、パプア問題は、昨年10月から始まったジョコ・ウィドド大統領第2期政権の大きな課題になっている。

 国内治安対策と表裏一体となっている人権侵害問題は、国際社会や人権団体などからの手厳しい批判を受けているジョコ・ウィドド政権が避けて通ることのできない重要課題の一つとなっていることは、ジョコ大統領自身もよく認識している。

 その上、人権侵害問題というくくりで見れば、パプア問題のような少数民族問題に加えて、LGBTなどの性的少数者の問題、そして圧倒的多数(人口約2億6000万人の約88%)を占めるイスラム教徒によるキリスト教徒、ヒンズー教徒、仏教徒など宗教的少数者への差別、迫害問題も表面化している。国内のこうした分断をいかになくしていくのか。ジョコ・ウィドド大統領は、長い間、国民感情に根差してきた偏見・価値観の変更をいかに達成させるかという難問に直面している。

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2月10日、訪問先オーストラリアの議会で演説するインドネシアのジョコ・ウィドド大統領。このオーストラリア訪問中に、人権団体から”直訴”を受けた(写真:AP/アフロ)