森羅万象に善もなく悪もなく

 世の中には知識においても技術においても、体系化されて発展し後世に残されるものと、そうならずに消滅してしまうものとがある。

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 古代から中世にかけて日本においてもヨーロッパにおいても、占いは予報であり、呪術は医療といったように、見えない世界を知り、その世界に働きかけて結果を現すことは科学と同類とみなされてきた。

 そのため、人が何らかの目的を達成するため、人知の及ばぬ世界に働きかけ、様々な現象を起こそうとしてきた。

 人間というのは欲深い存在であり、その欲望ゆえに人間である。

 その欲を満たすため、あるいは抑えるために宗教、占い、妖術は、その役目を負っている。

 中でも古代エジプトでは、病気治療や長寿、家族の安全、恋愛成就、立身出世や家の存続、敵を退けるなどの目的のため、魔術や呪術は多岐にわたり盛んに執り行われた。

 そして願望を実現させるため様々な祈祷の方法、道具などが編み出され、占星術、錬金術、心霊術など、当時、科学とされた秘術が体系化された。

 古代ギリシャ古代ローマで変遷を繰り返し、いま欧米各地に現存する多くの魔術の源流がそこにある。

 呪術は見えない世界と深く関係している。

 それは日本においても魑魅魍魎が棲む見えない闇の世界として人々から畏怖された反面、身近で日常的な領域でもあった。

 藤原京から平城京に遷都された理由は諸説ある。

 藤原京で疫病が蔓延した、唐の都造りを参考にしていた朝廷が天皇の住まう御所の位置が長安の皇帝の宮殿と異なり縁起が悪かったなどの説がある。

 都が遷された当時、悪霊を祓うための道具を埋め土地を鎮めたり、禍や病気を退かせるために人形を川に流して穢れを祓ったりするなど、人々は見えない世界に潜む神や霊が、現実の世界に大きな影響を与えていると考えていた。

 妬みや嫉み、恨み、辛みは人類の有史以前から、人が集団で暮らせば生じるもので、恨みは積り積もれば、いつしか呪いにその形を変える。

 呪術が生まれた背景は、太古の昔、人の集団が形成され、やがてさらに大きな社会となった段階のいまだ裁判制度や法律がない時代、個人間や親族の争いの中で相手の処罰を目的として呪いをかけたのが、始まりといわれている。

 呪術に「見立て」という言葉がある。

 子供が人形を友だちに見立てて話しかける場合には、人形は人形を超えた人格が生じる。

 平城京から出土した15センチほどの人形には、両目と心臓に大きな杭が撃ち込まれたものや表面には呪詛、裏面に重病受死と墨書された板など数多く存在している。

 人形や板を憎き相手に見立てる・・・。

 このように相手を何かに見立て、恨みを晴らさんとする手法は世界各地で、いまなお存在している。

修験道と呪術

 山中で修行をする修験道の行者を山伏という。

 山伏は、修験者とも呼ばれ、奈良県の吉野山の金峯山寺をはじめ鳥取県の大山、山形県の羽黒山など霊山と呼ばれる山に分け入り、そこを修行の場とし、神秘の力「験力(ほうりき)」を得て、衆生の救済を目指す。

 山はそれ自体が聖なる場であるとともに、魔性や獣といったものが横溢する。

 そのため、山伏は、それらを避けるため超自然的力である験力によって身を守らなければならない。

 森羅万象を神の化身とする神奈備(かむなび)、神霊が宿るとされる岩を信仰の対象とする磐座(いわくら)。

 日本古来の山岳信仰と大陸から伝わった仏教が融合し、深山幽谷に入り過酷な修行を行う修験道は、呪術的側面の強い密教と通底し、地域の様々な呪術的信仰である神道、陰陽道、道教、仙道、鬼道、蠱道(こどう)などが収斂し発達した。

 修験者は山神、天狗、鬼、眷属、動物霊など見えない世界に潜む霊的な存在を動かす修法に通じる必要があり、それがあるから呪いを操ることもでき、また、薬の知識にも長けている者もいる。

 江戸時代に修験道は非常に盛んになり、釈迦岳、地蔵岳、薬師岳などの山名は、その名残である。

 明治の神仏分離により各地の修験の霊場は消滅しかけたが、現在は復興の兆しがある。

 日本には「言葉」の一つひとつに生命が宿り、霊が宿る言霊という思想、また「草木ものをいう」という観念がある。

 これは生物、無機物を問わず、すべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿る精霊信仰に基づいている。

 生物や、無機物すべてのものの中に霊が宿るとしたならば、念も森羅万象の一部といえる。

 森羅万象に善や悪はない。

 念という力の作用自体にも善も悪もなく、その効果や威力が左右されることはない。

 つまり、念は刃物など道具と同様、正義も悪もなく、使い方次第で善術にも悪術にもなり、また同様に効果が現れる。

 呪いの言葉である呪文や、神が発する言葉とされる真言は、言霊以上に強い威力があるとされ、念は使い方によって、人にダメージを与えることもできる反面、世の中全体、多くの人々を幸せにすることもできる両刃の剣である。

 それが、密教においても修験道においても、すべての修法の基礎となっている。

 なぜ、基礎か。

 それは、呪詛にかかった人、呪いをかけられた人を救済するためである。

「毒をもって毒を制す」が如く、呪詛をかけられた人を救うには呪詛を知り、呪法を身につけ、敵対勢力に対抗できる強い念を飛ばせる力がなければ、呪いを受けた人を救うことはできない。

 私の家は、もともと室町時代から500年以上続く修験の行者の家計で、先祖は薩摩に対抗していた肝属氏より肝属城敷地内に山伏城を与えられた肝属城付の修験行者であった。

 かつて山伏・行者たちはよく喧嘩をすると呪い合い、標的とする相手に霊的な手法で攻撃を仕かけた。

 だが、相手が強力な結界を張るか、呪詛返しの法で念を相手に跳ね返せば、今度は念を飛ばした方に呪詛が戻る。

 人を呪えば呪った側にも禍は跳ね返る。

 また、調伏(悪霊や怨敵を下す祈祷)は禍や流血を好む鬼神や悪霊が惹かれて集まって来るため、法をうまく扱えないと念をかけた側が先に倒れてしまう。

 呪術にまつわる暗く、陰湿なイメージは、こうした死の匂いがする攻撃性により定着した。

 修験道の修法が密教と決定的に異なるのは、修験道の修法の根拠は経典ではなく、修験者自身の才能と能力自体が根拠である。

 それは難解な経典とは無縁の衆生が、自身の願望を実現してくれる念を自在に操れる修験者こそが「神」という生き神さま信仰に通じる。

 だが、その生き神さまが亡くなれば、その秘術は途絶える傾向にある。

 特に見えない世界、人知の及ばぬ世界にかかわることは、知識と技術が体系化されていなければ、その力の継承は難しく、消滅してしまうものが多い。

 人間は欲深く、その願望が尽きることはない。だからこそ、その願いを実現させるべく、世界各地で様々な秘術が体系化されてきた。

 そして、その欲を満たす要訣の多くは、人智の及ばぬ世界に潜んでいる。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  日本で育った密教、いよいよ中国に帰る

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