職場、飲み会、友だち、知り合い、SNS……ありとあらゆるコミュニティで最低ひとり存在するのが、「ふてぶてしい女」。

そこまで親しい間柄でなかったとしても、一度目につけば良くも悪くも気になる人物となりやすい。そして、彼女たちにイライラさせられる機会も多く、人間関係が拗れる原因となる場合も……。

しかし、ほんの少しだけでもいいので客観視してほしい。

何故、「ふてぶてしい女」に心を乱されるのかを。

■そもそも「ふてぶてしい」ってどういう意味?

ひとつ、確認しておきたいことがある。わたしたちは他人のどういった面を見て、ふてぶてしいと思うのか。

そもそも、「ふてぶてしい」の言葉が指す本来の意味を説明しろと言われ、きちんと答えられる人のほうが少数だろう。

ふてぶてしいとは、「平然と図太く構えている。憎らしいほど、ずうずうしい」(出典元:『三省堂 大辞林 第三版』)と説明されている。

これを読むと、「ふてぶてしい」が酷評とは決して言い切れず、むしろ誉め言葉として感じてしまう人も、わたしを含め一定数はいるはずだと容易に想像がつく。

とすれば、他人に対し抱く「あの人はふてぶてしい」という気持ちは、完全にネガティブな感情とは断言できず、必ずしもとってはいけない態度というわけではない。

■ここが嫌! ふてぶてしい女性のイライラポイント

逆に考えてみてほしい。自分が他人をそう思う時はどういった時なのか。それを知ることは自己理解にも繋がり、すなわち「自分にはないもの=欲しているもの」を明確化するチャンスでもある。

自己理解へより繋げやすくするため、一般的に人が他人をふてぶてしいと感じるポイントを7つにまとめた。

◇(1)物怖じしなさすぎる

ふてぶてしい人、ふてぶてしい女はとにかく物怖じをしない。しないどころか、しなさすぎる。アウェイな空間や初対面の目上の人にも、見ている側がヒヤヒヤするほど堂々とした態度でいる。

彼女たちに「もうちょっと謙虚でいないと……」なんて助言は何も意味をなさないので、アドバイスを重ねるだけ時間の無駄だ。

◇(2)正論を盾にした言い方がキツい

これぞ、ふてぶてしいの真骨頂。ド正論パンチ

会話内でナアナアになっているセンシティブな話題にも自ら切り込み持論を展開し、アンモラルな発言にはモラルで対抗する。そして、絶対に一歩も引いた態度を見せない。

相手にとってそれがジョークだとしても、彼女たちには一切関係がないこと。その中でも、特にセクシャリティに関する内容には敏感である。

◇(3)「仕方ない」という選択肢を持っていない

日本人はディスカッション慣れしていないのと、自分の思想や思考を細かく言語化しなくともまかり通るコミュニケーション内で生きている。それ故に、自分の中にある「これだけは譲れない」といった信念を持って、誰かと激論を繰り広げるといった経験をできる人のほうが稀だ。

ただ、ふてぶてしい人は違う。

議論をするならば、必ず双方がなんらかの決着をつけるかたちで終わる。「これぐらい伝えたのだから仕方ない、終わるか」なんて曖昧なものは残念ながら持ち合わせていない。

◇(4)どのカテゴリにおいてもこだわりが強すぎる

生活の中には、ありとあらゆるカテゴリがわたしたちを取り巻いているが、ふてぶてしい人たちはそのどれにも強いこだわりを持ちがちだ。

服を買うならこのブランド、食事をするならこのグレードよりも高いお店、お酒を飲むならこの種類、そのほかにも緻密なまでのルーティーンが存在する。

そんな彼女たちを見て、「そんながんじがらめで生きて窮屈じゃないのか」と多くの人は呆れるが、自分を確固たるものにするには当然の努力なのかもしれない。

◇(5)礼儀がないように見えがち

ふてぶてしい人はお偉いさんにいきなり馴れ馴れしくしたり、初めて会った人とまるで長年の友人関係のような振舞いをしたり、「礼儀がない奴」と裏で目くじらを立てられている場合だって少なくない。

けれど、彼女らとその相手のその後の関係性に着目してほしい。不思議なことに一段と親密になっている例が多いではないか。礼儀がないと判断するのは、あまりにも尚早ではないだろうか。

◇(6)正義感が有り余っている

例えば、痴漢に怯えていたり、街中で困っていたり、SNSで悲しみに明け暮れていたりする人がいたとする。悲しいことにそういった人たちを見て見ぬふりをする人があまりにも多い中、ふてぶてしいと評される人たちはすぐさま救いの手を差し伸べるのだ。

時として、誰かの代わりに怒りや悲しみを代弁することだってある。そんな姿を見て、「偽善だ」「ただのプロモーションに過ぎない」と嘲笑う人もいるが、彼女たちはそういった人たちにすら視線を向け続けていく。

◇(7)ビッグマウスが目立つ

「女性だからといって、何かに忖度をして発言をやめたりなんてしない」「無理だと決めつけて、自分が自分の敵になることは愚かだ」「自分を変えることは、世界を変えること。そう思わない?」

……何をそんな大それたこと、まるでMARVELSTAR WARSに出てくるヒロインみたいな絵空事を語るのだろうか、と馬鹿にしたことがないとは言わせない。でも、それで心が晴れなんてしないこともわたしは嫌ほど知っている。

■ふてぶてしい女性の対処法

先述した7つのポイントを踏まえた上で、今後自分がふてぶてしいと思う女性とどう接していくか。自分が彼女らに何を欲しているか、どうなりたいかも見えてきたのではないだろうか。

ラストステップに移ろう。次の5つのいずれかを行うことで、今よりもより“自分らしく”ふてぶてしい彼女らと生きていくためのヒントを見出せるかもしれない。

◇(1)思い込みを抱かない

ふてぶてしい女性と対面し、「この人は自己中だ」と一度思えば、どんどん「他人の意見を突っぱねる」「よく見れば、容姿だって悪い」「自信満々な態度が鼻につく」と“事実ではない”ものに思考が満たされていき、強固な思い込みが完成する。

なので、ファーストインプレッションの時点で、こう思えばいい。「まあ、この人がこういう性質でも、わたしの人生には影響がない」と。自分事のように考えないことが、思考に苦しまないコツだ。

◇(2)人の振り見て我が振り直せ

モラルや法令遵守といった普遍的な価値基準以外で、他人に対し特別にいら立ちを覚える際の理由のひとつ。

それは、羨望だ。「羨ましいが、自分ではそうはできない」という気持ち。

だから、否定する=嫌いになる理由を探す。ふてぶてしい人を疎ましく感じるのは、自分が彼女たちのようにふてぶてしくなりたいと思っていると自覚する。

「人の振り見て我が振り直せ」という言葉の通り、なりたい対象がいるならばなればいい。ただそれだけのこと。

◇(3)敵と認識するのではなく味方と捉える

人間は自分の理解を超える対象を、敵や恐怖として認識する。生存戦略としては正しい判断機能なので、これ自体を変えようとするのはナンセンス。

変えるべきは、敵と認識する対象のみ。ふてぶてしい女性を敵(=理解できない対象)として認識しているのなら、味方(=理解できる対象)だという認識に改めようと努力する。

そうすれば、意外にもすんなりとそういった人たちを受け容れられるようになるものだ。すべてを理解しようとしなくていい。まずは、自分自身に「その対象は理解できそう」と許可を下ろすことから始めよう。

◇(4)そのパーソナリティを割り切る

自分ならどんな事態になってもしない言動をするふてぶてしい人に、嫌気がさしているかもしれない。しかし、家族や恋人ならともかく、友人や知人、それよりも離れている相手を変えようとするのはコスパが悪いと考えられないだろうか。

基本的に人は人を変えられない。変えられるとすれば、それ相当の時間と労力が必須になる。その覚悟がないのなら、もう割り切るほかない。

その人に誰かを殺されたのか? 危害を加えられたのか? そうでないなら、わざわざ特別に憎む理由なんて一切ない。

◇(5)かかわらない

それでも、「ふてぶてしいあいつらが嫌だ」と憤怒するのなら。お互いのためにもかかわらないようにするしかない。生半可ではなく、徹底的にかかわらない。これに尽きる。

「ふてぶてしくて、何が悪い?」

お気づきの通り、わたしはふてぶてしい側の女性といえるだろう。家族にも、恋人にも、繰り返しそう言われてきた。

だけど、思う。ふてぶてしくて、一体何が悪いというのだろうか。自分の好き嫌いをはっきり言い、意見があればストレートに伝える。遠回しに伝えてあやふやになるよりも、一時的に感情の波が立とうが自分に嘘をつくのは罪中の罪だ。

時代は令和、西暦2020年。女性はおしとやかに男性の意見にただ微笑みながら頷いていればいい時代なんて、とうの昔に終わりを迎えた。つらいことも悲しいことも、怒りも、喜びも愛情も、すべてきちんと言葉や態度にする。

それらを総じて、「ふてぶてしい」と評されるとすれば本望。

さあ、今日も明日も、ふてぶてしく生きていこう。

(マドカ・ジャスミン

※画像はイメージです

「ふてぶてしい女」が本当は羨ましい理由