(小谷太郎:大学教員・サイエンスライター)

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 2020年2月3日東京大学の戸谷友則教授が『宇宙における生命〜どのように生まれたのか、そして命の星はいくつあるのか』と題したプレスリリースを行ないました*1。また『サイエンティフィック・レポーツ』誌に論文が公開されました*2

 生命がどのように発生したかという根本的な疑問は、人類が物心ついて以来ずっと議論されていますが、一向に答が得られません。一方、宇宙がどうして誕生したかというもうひとつの最重要な問題も、誰も解けないままです。

 今回の発表は、宇宙論に登場する「インフレーション理論」の見方から、生命がどのように発生したかという問いに、ある種の回答を与えるものです。生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えといってもいいかもしれません。

 その答えは、一言でいうと「たまたま」ということになります。

 ただしこれは、およそ10^39個の恒星につき生命発生1回という、想像を絶するどころかこの宇宙の観測可能な範囲に収まらないほどの「たまたま」です。(42ではなかったようです。)

*1:『宇宙における生命〜どのように生まれたのか、そして命の星はいくつあるのか
*2:Tomonori Totani, 2020, Emergence of life in an inflationary universe, Scientific Reports 10, 1671.

生命はどうやって発生したのか〜RNAワールド

 この地球にあふれる生命は、化石や岩石の痕跡などによると、35億年以上前に現われたと推定されます。最初の生命は無生物から発生したはずですが、いったいどうやって生まれてきたのでしょうか。今のところ、もっともらしいと考えられている、「RNAワールド」というシナリオを以下に説明しましょう。

 RNA、または「リボ核酸」と呼ばれる物質は、生命の体内に大量にあって、生命活動を支えるさまざまな働きをしています。タンパク質を合成したり、RNAを編集したり、自分自身を切ったり貼ったり、そういう働くRNAは「リボザイム」などと呼ばれます。

 RNAと呼ばれる高分子は、「A:アデニン」「U:ウラシル」「C:シトシン」「G:グアニン」という4種類の塩基という分子が部品となって、鎖のようにつながってできています。(正確には糖やリン酸と結合したヌクレオチドがつながってできているのですが、ここでは説明を簡略化しておきます。) RNAはA、U、C、Gの組み合わせによって多種多様な形状と機能を実現します。

 1980年代にこうした高機能なRNAが発見されると、RNAが生命の起源ではないか、というアイデア「RNAワールド仮説」が提唱されました。35億年以上前の原始の海や水たまりには、RNAなどが含まれていて、そこでRNAがくっついたり切れたりぶつかったりするうちに、自己複製能力を持つRNAが誕生した、というアイデアです。

 自己複製能力を持つRNA、つまり自分自身と同じ配列のRNAを合成するRNAが誕生すれば、それは海や水たまりの中でどんどん増えていくでしょう。そして合成の際にミスが生じれば、わずかに違った配列を持つRNAができあがるでしょう。そのほとんどは自己複製能力を失って滅びますが、まれに、より優れた能力を持つものが合成されるでしょう。これは自然淘汰による進化そのものです。

 そして長い長い時間をかけた膨大な試行錯誤の末には、このRNAのたゆたう「原始のスープprimordial soup)」に、生命と呼んでよい個体が発生した、というのがRNAワールド仮説の描く生命発生です。

RNAワールドでも生命発生は簡単ではない

 しかし、RNAワールド仮説を用いれば簡単に生命発生を説明できるというものではありません。塩基を入れた試験管をいくら振っても、中に生命が発生したことはこれまでありません。

 問題は、塩基をランダムにくっつけてRNAを作っても、役に立たない鎖の断片ができるばかりで、何か機能を持つリボザイムが偶然生じる確率は極めて低く、ましてや自己複製機能などという超精巧な機能は全然期待できないことです。

 仮に、自己複製機能を持つ最初のRNAが塩基40個からできていたとします。A、U、C、Gの4塩基を40個つなげてRNAを作ると、できあがるRNAの種類はめちゃくちゃたくさんあります。どれほどめちゃくちゃたくさんかというと、およそ10^24通り、つまり1兆の1兆倍です。「天文学的」数字というやつです。原始のスープの中で天文学的な数のRNAを試さないと、自己複製機能を持つ配列は見つからないでしょう。

 この問題を抱えているのは、RNAワールド仮説以外の生命発生シナリオも同様です。最初の生命がタンパク質であろうと油脂の泡であろうと、生命の材料が偶然集まってそういう高機能物体を発生させる確率は「天文学的」な小ささです。

 しかし、RNAの種類を凌駕する膨大なサンプルを提供する学問分野が実はありまして、もちろんそれは、4文ほど前からヒントっぽく現われている「天文学」です。

宇宙はどうやって発生したのか〜インフレーション理論

 この宇宙は、宇宙膨張などの証拠によると、138億年前にビッグバンなる大爆発とともに誕生したと推定されます。宇宙は無から生じたのか、いったいどうやって生じたのか、核心のところは分かっていません。分かっていないのですが、宇宙が生じた後のビッグバンについてはある程度調べられています。今のところ、もっともらしいと考えられている、「インフレーション」というシナリオを以下に説明しましょう。

 138億年前、宇宙はごく小さく、見渡す限りの星や銀河やダークマターなど全物質は、溶け混じって一点に集まっていました。(このあらゆる物質や光子が溶け混じった熱いどろどろも、「原始のスープprimordial soup)」と呼ばれることがあります。分子生物学者も宇宙物理学者も、日頃の食事が発想の源のようです。)

 この超高温・超高密度のスープが、急激に膨張して広がって、138億年間広がり続けて、できあがったのが今の宇宙だと考えられています。これが、1960年代に確立し、標準的な宇宙論と見做されているビッグバン宇宙論です。

 1980年代に提案されたインフレーション理論はビッグバン宇宙論の補足です。ビッグバンの初期、宇宙が原子核よりも小さかった時に、宇宙が急激に膨張したという仮説です。ビッグバンそのものも急激な膨張過程なのですが、インフレーションはそれどころではない圧倒的膨張です。インフレーション中に宇宙は何十桁倍にも膨れ上がったといいます。

広くて大きな宇宙じゃないか

 インフレーション理論は宇宙の観測データと一致するために、おおむね受け入れられています。が、この理論はまた、宇宙に関していくつもの奇妙で検証不能な予言をします。例えば、とんでもなく広くて大きな宇宙です。

 昔から知られていることですが、この宇宙は膨張しているために、遠方の天体は光速を超えて逃げていて、観測できません。宇宙の観測可能な範囲は約465億光年です。

 約465億光年のその先はどうなっているのでしょうか。インフレーション理論の示唆するところでは、極めて広い範囲まで似たような光景が広がっています。控え目に見積っても、観測可能な範囲の10^26倍、つまり10^26×465億光年くらいは広がっているだろうというのです。大胆な見積もりだと、10^8685889638×465億光年くらいのもうわけの分からない広さです。

 このような途方もない数値は天文学でも滅多に目にすることはなく、「天文学的」と呼んでいいのか不安になりますが、ともあれ、このインフレーション理論の予言する広くて大きな宇宙の中で、RNAワールドは生命を発生させられるのでしょうか。いよいよ本題です。

何個の恒星を探索すれば、生命の発生した惑星を見つけられるか

 戸谷教授の試算では、生命の発生する惑星には水溜まりが無数にあって、そこでRNAが生産されると仮定します。35億年前の地球と似た状況です。隕石がその惑星に降り注ぐことによって、炭素質隕石に微量に含まれる塩基が水溜まりに供給されます。水溜まりの中では化学反応が起き、塩基が1個、2個、3個とつながって、RNAを作るというシナリオです。

 利用できる塩基の総量や、どれほどの速さで塩基がつながれるかといった数値の見積もりは、結構な不確定性を含みますが、この発表によれば、生命発生の確率は極めて小さいという結論にさほど影響しません。100倍や1万倍くらいその辺の値が違っても、やはり生命発生確率は絶望的に小さいのです。

 結論に大きく影響するのは、例えば、自己複製能力のあるRNAを作るのに必要な塩基の個数です。ここでは40個と仮定しています。塩基40個をランダムにつなげてRNAを作り、そこから自己複製能力のあるRNA(たぶん1種類くらい)が生じる確率を計算します。

 もうひとつ重要な仮定は、長いRNAは作りにくいということです。ちょっと専門的な表現だと、つながる塩基の個数が「ポアソン分布」に従うという仮定です。

 言い換えると、水溜まりの中でできたRNAのほとんどは2個か3個の塩基からなるということです。塩基4個のRNAは少なく、5個はもっと少なく、40個ともなるとたいていの水溜まりには見つからないほど希少でしょう。これはかなり生命発生に厳しい条件です。

 さらに、恒星が地球と似た惑星を持つ確率や、RNA生産に適した状況が続く期間などを考慮すると、「何個の恒星を探索すれば生命の発生した惑星を見つけられるか」が計算できます。生命発生の確率が低いほど、多くの恒星を探索しなければ、生命は見つかりません。

 戸谷教授によると、その数は10^39個という莫大なものになります。これは宇宙の観測可能な範囲に存在する恒星の数より多いです。

インフレーションで解決だ!

 生命の発生する星が、10^39個に1個だということは、じゃあ異星の生命を見つける見込みはないということでしょうか。

 そんなに生命発生の確率が低いのに、どうして私たちはこうして存在しているのでしょうか。

 インフレーション理論を信じれば、そうした疑問に答えることができます。

 インフレーション理論が正しければ、この宇宙は観測可能な範囲を越え、10^26×465億光年くらいの遠方まで広がっていることになります。すると宇宙に存在する恒星は10^100個くらいなので、そのうち生命の存在する惑星は10^61個という莫大な数になります。なんとこの宇宙の観測可能な恒星よりも多いのです。

 それだけたくさん生命が発生しているならば、私たちがこうして存在するのも不思議なことではないでしょう。

 しかしそれらの生命のほとんどは、10^39個の不毛な恒星に囲まれた孤独な存在です。10^61もの種族の宇宙人が、いくら隣人を探しても見つからず、寂しい思いをしているということになります。

 こうして、RNAワールド仮説とインフレーション理論を組み合わせて、生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えが得られました。

Q:生命発生の確率は極めて低いのに、どうして私たちは存在しているのでしょうか。

A:インフレーション宇宙は広く、めちゃくちゃたくさんの恒星を有するからです。

Q:異星の生命を見つける見込みはないのでしょうか。

A:ありません。

 これは、宇宙人や異星の生命を探し求める地球人にとって、なんだかがっかりさせられる答えになってしまいました。これが正しいとすると、インフレーション宇宙に散らばる10^61もの生命は、宇宙の終わりまで、互いの存在を知ることができないのでしょうか。We are all aloneなのでしょうか。

この宇宙の片隅に

 さて、ここまで、宇宙の観測可能な範囲をいくら探しても、異星の生命が見つからないわけを説明してきたわけです。

 が、ちょっと待ってください。

 私たち人類は、観測可能な範囲の恒星を、まだ全て調べ尽くしたわけではありません。それどころか、たった1個の恒星に属する惑星や衛星も、調べ尽くしたとはいえない状況です。

 なぜこれまで異星の生命が見つかってないかというと、それは探してないからです。

 宇宙の観測可能な範囲に異星の生命が見つからないわけを説明するのは、まだ少々早い気がします。

 残念ながら、人類はたった1惑星の生命しか知りません。その惑星の生命は、見かけこそ千差万別ですが、35億年以上前のたったひとつの自己複製RNAから生じた兄弟です(RNAワールド仮説が正しいとしての話ですが)。みな同じ生化学を利用し、同じ塩基を用い、同じ遺伝暗号を読み書きしています。

 1種類の生命しか知らない現況では、異星の生命も似たシステムを採用していると仮定するのは、他にやりようもなく、妥当といえるでしょう。

 しかし例えばもしも、自己複製するRNA以外にも、異なる生命のシステムと発生ルートがあるとすると、見積もりは全然違ってくるでしょう。生命はその星で利用できる材料を使い、発生しやすいルートで発生するのではないかと筆者は空想します。

 もしも将来、異星の生命と出会う日が来たら、「えっ君らRNAから発生したの? 発生確率低くて大変だったでしょう?」と驚かれるかもしれませんよ。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  謎だらけのダークエネルギー、実は存在しなかった?

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若い惑星のイメージ。生命のもととなり得る「スープ」があるかもしれない。 Illustration by NASA/JPL-Caltech.