令和初の天皇誕生日の振替休日だった2月24日テレビ東京開局55周年記念企画としてスペシャルドラマ「アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理 吉田茂〜」が放送された。主人公の吉田茂を演じたのは笑福亭鶴瓶

じつは私は鶴瓶が吉田茂を演じる日を心待ちにしていた(5年ぐらい前にツイッターでそれを希望するツイートもしている)。単に風貌が似ているというだけでなく、おなじみの鶴瓶スマイルは「目が笑っていない」とも言われるだけに、交渉相手に対し、ときに表面では服従するように見せかけて内心では反抗する面従腹背の態度でのぞんだ吉田のイメージが重なったのだ。

吉田茂を演じた俳優たち
鶴瓶以前にもいろんな俳優が吉田茂を演じてきた。たとえば、森繁久彌が映画「小説吉田学校」(1983年)で演じた吉田は堂々たるものだった。森繁だけでなく、吉田の宿命のライバル鳩山一郎役の芦田伸介も、吉田の愛弟子である池田勇人佐藤栄作にそれぞれ扮した高橋悦史と竹脇無我も、保守勢力を結集させて自民党の誕生に陰で尽力した三木武吉役の若山富三郎もことごとく似ていて、そっくりさん大会の様相を呈していた。なお、「小説吉田学校」で宮澤喜一を演じた角野卓造は後年、三谷幸喜脚本のドラマ「わが家の歴史」(フジテレビ、2010年)で三谷のたっての希望で吉田に扮している。

このほか、吉田茂の登場する映像作品をあげれば、NHK特集「日本の戦後」では松村達雄、城山三郎の小説『落日燃ゆ』がNET〜テレビ朝日1976年、2009年とドラマ化されたときにはそれぞれフランキー堺と津川雅彦(なお、津川は吉田以外にも東条英機佐藤栄作田中角栄と歴代首相を演じた経験を持つ)、近いところだと、「負けて、勝つ〜戦後を創った男・吉田茂〜」(2012年)では渡辺謙、「経世済民の男 鬼と呼ばれた男〜松永安左ェ門〜」(2015年)では伊東四朗、「どこにもない国」(2018年。以上3作ともNHKドラマ)では萩原健一が吉田を演じた。萩原が特殊メイクで吉田に似せたのは強烈だった。渡辺謙も敗戦国の首相がアメリカに立ち向かうというドラマの趣旨からすれば悪くはないが、実際の吉田は小柄だっただけに、身長184センチの渡辺が演じるのは、ギャグマンガの二等身のキャラクターを七〜八頭身にしてシリアスな劇画タッチにしたような(具体的にいえばバカボンのパパゴルゴ13デューク東郷のタッチで描いたような)違和感が多少あった。

そこへいくと今回の鶴瓶の吉田茂は、私の期待どおり見事にハマっていた。鶴瓶は身長170センチと中背ではあるが、生田斗真松嶋菜々子ら彼より背の高い俳優が周りを囲んでいたせいか、そのあたりはまったく気にさせなかった。眉を濃い目にして、八の字にしたメイクも、より吉田に似せて見せていた。年齢からいっても、鶴瓶は現在68歳で、ちょうど吉田が1946年に第1次内閣を発足した年齢(67歳8ヵ月)とほぼ同じだ。ちなみに鶴瓶は、吉田がサンフランシスコ講和条約に調印した1951年に生まれている。

見応えたっぷりの白洲次郎と吉田学校の対決
肝心のドラマの内容について、史実と照らし合わせれば、なぜこの人物やできごとが出てこないのか? ここは史実と違うのではないか? といったことはいくつも指摘できる。だが、このドラマはあくまで「史実にもとづくフィクション」と謳っている以上、それをやってもあまり意味がないだろう。むしろ思い切って登場人物やエピソードを絞った分、ドラマがわかりやすくなり、面白かった。

このドラマにおいて吉田に次ぐ準主役は彼の側近の白洲次郎だ。生田斗真は、昨年の連ドラでのニート役から首相側近とはえらい出世だなと思ったが、考えたら白洲もドラマ冒頭で「風来坊」と紹介されていたように、実業界に身を置きつつも、地位に汲々とせず自由な立場で吉田とつき合うところはニートとあまり変わらない。自由な気風はやはり生田が昨年演じた大河ドラマ「いだてん」での三島弥彦とも重なる。ついでいうと、三島弥彦の姉の峰子は、大久保利通の次男で政治家・外交官の牧野伸顕と結婚、その娘・雪子は吉田茂のもとに嫁いだ。つまり弥彦は吉田の縁戚なのだった。

それはともかく、吉田は敗戦後、幣原喜重郎内閣の外務大臣になると、戦前のイギリス公使時代から親交のあった白洲を、このころ日本を占領していたGHQとの交渉役に立てた。その後、幣原内閣が総辞職すると、吉田が政権を引き継ぐ。本来なら、総選挙で第一党となっていた日本自由党の総裁・鳩山一郎が後任の首相になるはずであった。だが、組閣直前、鳩山はGHQより公職追放の指令を受ける。そのため鳩山は吉田に党総裁・首相の座を譲ったのである。吉田が首相を引き受けるにあたり、白洲は「総理大臣なんてアホのすることだ」と、娘の和子(白木優子)とともに猛反対する。しかし吉田は聞く耳を持たなかった。

いざ政権を引き受けたものの、めぼしい政治家はほとんど公職追放されていて組閣は難航。人材不足を打開するため、吉田は若手官僚を積極的に登用することにした。まず白洲を動かして、運輸省佐藤栄作安田顕)を引き入れる。佐藤を口説くにあたり、吉田が「のどから手が出るほどほしい」と言って、口を大きく開けてのどを見せたときの鶴瓶の間は、さすが落語家と思わせた。吉田が国会議員になってからは、佐藤も動き、旧知の仲である大蔵省の池田勇人佐々木蔵之介)を誘う。また、かねてより吉田から新たな人材を探してほしいと言われていた和子の夫の麻生多賀吉(矢本悠馬)も、新人議員の田中角栄(前野朋哉)に声をかけた。

こうしていわゆる「吉田学校」が形成され、吉田政権を支えることになる。吉田学校の面々はそれぞれにキャラが立ち、とりわけ生真面目でいつも慎重な佐藤と、酒と宴会好きの池田は対照的だ。池田を演じるのが、彼と同じく実家が造酒屋である佐々木蔵之介というのも絶妙だった(なお劇中、池田が国会議員に当選後、メガネを銀縁からべっこうのフレームに変えていたが、これは実際にはもう少しあと、彼が首相になってからである)。田中角栄の役が前野朋哉と知ったときは、イメージが違うのでは? と思ったのだが、これが意外にもハマり、吉田学校のムードメーカー的な役割を見事に演じていた。矢本悠馬演じる麻生多賀吉も、妻の父親に頭の上がらないあたり、『サザエさん』のマスオさんを思わせた。そういえば麻生とマスオの息子の名前も、「タロウ」と「タラオ」でちょっと似ている。

そんな吉田学校の面々が吉田邸に集まり、酒を酌み交わしながら騒ぐさまを、白洲は苦々しく見ていた。彼はあくまで吉田学校とは一線を画し、一匹狼の立場を貫く。吉田は吉田で、GHQやアメリカ本国に対し、白洲と吉田学校と2つのチャンネルを使い分けながら交渉を進めていった。まるで両者を競わせるかのようだ。このドラマは、タイトルにもあるように吉田(占領される側)とアメリカ(占領する側)の対決の物語であるとともに、吉田のもとでの白洲次郎と吉田学校の対決の物語ともいえる。

政権最大の課題となった講和条約締結に向けて吉田は、池田を密使としてワシントンへ送る。このとき白洲も一緒に訪米するが、行動はあくまで別々だった。宿泊先も、池田と秘書官の宮澤喜一勝地涼)が安ホテルだったのに対し、白洲は現地の友人に泊まった。ある晩、交渉の進捗を確認するため安ホテルを訪ねた白洲が、部屋を出たあと、池田たちが日本酒を飲みながら「旅の夜風」(映画「愛染かつら」の主題歌)を歌い出すのを耳にして、思わずボーイに「not my frends」と言うのがおかしかった。

肌合いをまったく異にし、互いにあまりいい感情を持っていなかった白洲と池田たちだが、1951年9月、念願の講和条約調印を翌日に控え、初めて手を組む。それは、調印式で吉田が行なう受諾演説の原稿をつくる作業でのことだった。演説の原稿は当初、外務省に任せていたが、あがってきたものは英語で書かれていたうえ、内容も占領軍への感謝ばかりだった。これに、白洲は「日本の首相が国際社会に復帰する第一声をあげるのになぜ日本語でやらん?」と怒り、書き直しを命じる(これは北康利『白洲次郎 占領を背負った男』に出てくる話だが、多くの本では、演説を日本語でやるよう吉田に勧めたのはアメリカ側であったと書かれている)。こうして調印式にまにあわせるべく、その晩はスタッフ総動員で、チャイナタウンで買い集めた巻紙に、毛筆・墨書で原稿を日本語で書き進めた。この作業に池田と宮澤も加わったのだ。原稿が夜を徹してどうにか完成すると、白洲は吉田のもとに届けるため駆け出す。それを見た宮澤が「タフですねえ、あの人」と感心すると、池田は「あいつも命懸けなんだよ」と返した。それは池田が白洲の存在を認めた瞬間であった。

白洲は、講和条約が実現したあと、吉田が潔く首相から退くものと思っていた。しかし予想に反して吉田は政権を継続する。吉田学校の面々から続投をしきりに勧められ、「年寄りをこき使うのもいいかげんにしろ」と言いながら、まんざらでもなさそうな吉田の演技は、「目が笑っていない鶴瓶」の真骨頂であった。白洲はこのときも和子とともに最後まで首相続投に反対するが、結局物別れに終わり、「総理大臣なんてアホのやることだ!」と吐き捨てると吉田邸を辞去する。帰り際、講和条約調印では手を結んだはずの池田から「白洲君、親父は俺たちが守る。あとはまかせろ」と告げられた。こうして白洲と吉田の蜜月は終わった。白洲と吉田学校の対決は、後者の勝利に終わったわけだが、白洲の立場からすれば寂しい結末ともいえる。

吉田を取り巻く女性たちにもスポット
このドラマは、吉田を取り巻く白洲次郎と吉田学校という男たちのドラマであるとともに、女たちのドラマでもあった。そもそも原案は吉田茂の長女・麻生和子の著書『父 吉田茂』であり、物語も和子の視点から語られた。

吉田を世話する元芸妓のこりんも、事前告知では最後の最後にキャスティングが松嶋菜々子と発表されたことからもあきらかなように、きわめて重要な存在として描かれていた。ひときわ印象的だったのが、初めて一堂に会した吉田学校の面々の粗雑さにあきれかえる白洲に対し、こりんが「大荒れの海に船出するなら粗雑でも、向こう気が強くて腕っこきの若い船乗りを集めないと。でも一番大切なのはブレない羅針盤だと思うんですよ、私」ときっぱり言ってのけた場面だ。単に従順に仕えるのではなく、しっかりと意志をもって吉田を支えようとするこりんの心意気がうかがえるセリフだった。

史実では、その後、吉田を臨終まで看取ることになるこりんだが、私はてっきり彼女は吉田が愛妾として自邸に引っ張り込んだのかと思っていたのだが、じつはそうではないらしい。麻生和子は『父 吉田茂』のなかで、妻の死後、吉田を日常的にめんどうを見てくれる人を探すなかで、思いついたのが新橋の芸者のこりんだったとはっきりと書いている。

女性に関するエピソードとしては劇中ではこのほか、GHQの民生局のケーディスの愛人として子爵夫人の鳥尾鶴代(橋本マナミ)という女性が登場し、その関係を吉田側にすっぱ抜かれたのが原因で失脚するという話も出てきた。ただ、ケーディスがGHQで強い立場にあり、吉田が何とか彼の弱点を探そうと不倫を暴き出したのは事実のようだが、それが失脚につながったというのはさすがにフィクションだろう。

吉田が遺した課題もさりげなく示唆
このドラマの趣旨は、占領下にあって、あくまで日本の自主性を守り通すべく吉田茂という政治家がGHQやアメリカに対し激しく闘う姿を描くことにあった。だが、観終えてみると、むしろ彼と周囲の人々の関係を通して見せた人間臭さのほうが強く印象に残った。じつは私は放送前、タイトルからして、吉田とアメリカの対決がことさらに強調され、神格化して描かれやしないかと心配していたのだが、それは杞憂に終わった。ラストでは、現在の沖縄の米軍基地の映像も挿入され、吉田が後世に残した課題もそれとなくほのめかされていた。

欲を言えば、講和条約を実現したあとの吉田について、後日談的な扱いにとどまったのがちょっと残念ではあった。かつて映画「小説吉田学校」で描かれたように、吉田が、公職追放が解除されて政界に復帰した鳩山一郎と激しい抗争を繰り広げる様子も見たかったところではある。

吉田と鳩山を中心に激しく対立を続けた保守勢力が、やがて吉田の退陣を経て、ひとつに結集して自民党を発足させるまでの過程は、十分にドラマチックだ。吉田と鳩山の対立には、個人的な恩讐とともに国家観の違いにも原因があった。それにもかかわらず、なぜ両者の周囲にいた政治家たちは手を組んで自民党を結成したのか。安倍一強と呼ばれ、いまや自民党は一色に塗りつぶされた感のある現在だけに、かつては同じ党内にも多様な考え方が存在したことを省みるためにも、自民党誕生までの経緯をいまこそドラマ化する意義はあると思うのだが……。テレビ東京はかつて選挙のたびに、政界の再現ドラマで注目された実績があることだし、ここはぜひ、今回のキャストで続編をお願いしたい。

※「アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理 吉田茂〜」はTVer3月2日23時23分まで配信中。3月3日からはParaviで配信予定

(近藤正高)

今回のドラマの原案となった麻生和子(吉田茂の三女)の回想『父 吉田茂』(新潮文庫)