1960年代後半。「ロック」も「バンド」もまだ借り物で、見た目重視のグループ・サウンズが人気を博していた時代にデビューした小坂忠。
彼が放つ“本物のソウル”は、その人生に降りかかる多くの困難や哀しみに、曇るどころか、むしろ磨き上げられ、輝きを増して、数多の人々を救ってきた。
2月8日同じステージに立った山口が、いまなお収まらない心の震えをペンに託して書き下ろす。

アイキャッチ写真 / 撮影:三浦麻旅子
※2月8日(土) 新日本製薬presents SONGS&FRIENDS 佐野元春「Cafe Bohemia」より

本物の定義ってなんだろう? ほんとうのところは僕にもわからないのだけれど。

それでも、ステージに誰かと立っていて、ときどきまぎれもなく本物としか呼びようのないスピリットに撃たれて震えることがあるのです。

先日、とあるコンサートでご一緒させてもらったレジェンド、小坂忠さん。彼から溢れ出てくるソウルとしか呼びようのないものに撃たれ、こころが震えました。

歌うって、こういうことなのか、と。

圧倒的なまでの覚悟、慈しみ。そして、優しさと厳しさ。ひとことで言うならば、愛。

その人の人生が奏でるのが歌。どんなに取りつくろったところで、船の航跡のように、歩んできた道が風景となって、中空に浮かんできます。恐ろしいのです。嘘をついたらすぐにバレる。

だから、忠さんから本気で受け取るものはその風景だけでじゅうぶん。そこにすべてがあるから。多少の誤解があったとしても、きっと許容してくれます。大きな大きな魂だから。

バックステージではくっだらない話や手品で笑わせてくれます。そのギャップとチャーミングさもたまりません。大きな小学生、忠さん。

一緒に歌わせてもらった曲は、この連載でいちばん最初に取りあげた、佐野元春さんによる再生の歌でした。

人は何度でもやり直すことができる。簡単ではないけれど。

まず若造(56歳)の僕が歌います。それを受けて、忠さんが応えてくれる。声が出た瞬間の圧倒的な説得力。

歌が身体の中に入ってきます。こころを鷲づかみにされているのだけれど、決して緊張を強いられるエネルギーではありません。僕は忠さんの歌によって、解きほぐされていく。

数千人のオーディエンスをも含め、いちばん近いところでそのスピリットを体感しているのは僕。なんという幸せ。

魂から歌を奏でる人は空気という実体のないものを凍らせたり、握ったり、誰かに投げつけたり、伸縮させることができます。メディスンマンなのです。

随分前に江ノ島で古謝美佐子さんが歌いだした瞬間、上空のトンビ達が乱舞し始めたことがあります。

あの鳥たちの感覚に近いのかな?

なんにせよ、この体験はなにものにも代えがたく。僕はその歌にときほぐされ、描いてくれた風景の中を自由に舞うことができるのです。

コンサートを観にきていた若いアーティストはこう伝えてくれました。「忠さんの声が出た瞬間、訳もなく涙が溢れてきて、そこから音楽の源流が見えてきた。自分もそこを歩いていきたいと思った」と。

この場合、源流ってなんだろう? ルーツってなんだろう。忠さんの場合は、それは愛ではないかと、勝手に類推してみるのです。

ぜひ、体験してください。

これまでに体験されてきた喜びや悲しみ。それがあの歌を生み出すのなら、悲しみの使い道ってやつも確かにあるのかもしれない、と。

忠さん。身体に気をつけて、いつまでも歌い続けてください。その歌に込められたソウルを北極星に見立てて、僕も自分の道を歩いていきます。

感謝を込めて、今を生きる。

小坂忠さん 愛を伝える人は、WHAT's IN? tokyoへ。
(WHAT's IN? tokyo)
掲載:M-ON! Press