AI(人工知能)や5G(第5世代移動通信システム)などの先端分野で中国にはるか先を越され、存在感を低下させている「技術立国ニッポン」――。Googleグーグル)など巨大IT企業であるGAFAの出現はこれまでのビジネスの在り方を根幹から変化させている。

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 前編「「ノーベル賞は過去の栄光」――三菱ケミカルHD小林喜光会長が語る「日本が“2流国”に転落しないための処方箋」」に続いて、三菱ケミカルホールディングス(HD)の小林喜光会長に、日本が「技術立国」であり続けるための対策や、その状況下で日本企業がどのように生き残っていけばいいのかを聞いた。

 小林喜光会長は政府の科学技術政策の基本方針を決める総合科学技術・イノベーション会議(議長・安倍晋三首相)の議員で、経済界を代表する論客の1人でもある。インタビューの話題は、トップリスクを取らない日本の企業文化への批判に加え、大学や企業の研究の在り方、研究者の目指す方向性など多岐にわたった。

●現状に満足する若者

――最近は留学する学生が減って、いわゆる内向き志向が強まっているようですが、この傾向をどう見ていますか。

 日本人の科学技術論文が減っているのは残念ですが、もっとひどいのは日本人の海外留学生数が減っていることです。2004年には8万人いましたが、現在は3万人にしかいません。中国の80万人やインドの40万人と比べると極端に少なく、韓国の10万人よりも少ない。海外に出て切磋琢磨(せっさたくま)しようとする若者が減っているのは嘆かわしいですね。

 現在の生活に満足しているかどうかを聞くと、国民全体では70%以上が「満足」もしくは「まあ満足している」と答えています。この割合は、若者(18~29歳)に至っては85%を超えていて(19年8月実施、内閣府の「国民生活に関する世論調査」)、その満足度の高さには驚かされますね。

 私が若かったころは、自分や社会に対するフラストレーションが強くて、もっと反発することが多かったような気がします。大学や企業の若手研究者も現状に満足しているのだとすると、「この状況を変えよう」「リスクを取って何かに挑戦してみよう」という気になれないのかもしれないですね。

 その一方で、従業員のエンゲージメント(働いている会社や組織への愛着心)を聞くと、日本は6%しかなく、米国・カナダの31%、東南アジアの19%よりも低い。世界平均の15%をも下回っている状況です。

●「知的ハングリー」であれ

――その満足しきった若者たちを、新しい研究開発にチャレンジしようという気にさせるにはどうしたらいいのでしょうか。

 日本はこれだけ豊かになりました。経済的にハングリーになれといっても無理でしょうが、少なくとも知的にはハングリーになってもらいたいものですね。ガッツと持続力も重要ですが、若者に最も必要なことは「知的ハングリー」でいることだと思います。そのためには教育が重要ですね。経済的に豊かになったいま、「自分は何のために生きているのか」といった哲学的なことも深く考えてもらいたい。

 私は今の会社に入る前に、イスラエルの大学に留学していたので就職したのは28歳のときです。26歳のときにはシナイ半島を旅していました。砂漠の中、黒衣のベドウィンの女性がヤギを連れてオアシスに向かって歩いていくのを見ていましたが、周りは砂漠で、そこには何もないのです。この「何もない」なかに「ある」という状況を経験してはじめて存在というものの尊さをはっきりと感じることができました。「自分はこれからどう生きていくべきか」と真剣に考えるきっかけになった経験です。

ポスドク問題をどうするか

――博士課程に進んだ理系の学生が、ドクターの学位を取得しても職が見つかりにくい「ポスドク問題」が以前から指摘されています。こういったポスドク人材の有効活用策はないのでしょうか。

 ポスドク問題は、私が議員をしている総合科学技術・イノベーション会議(議長・安倍晋三首相)でも議論してもらいました。その結果、ポスドクの学生が希望すれば生活費を支給し、それによって研究に打ち込める環境を作ることにしたのです。生活費を心配せずに、思い切り研究に打ち込めるようになります。やる気のある若手研究者の数をもっと増やしていきたいと考えています。

 その他、博士課程の学生などに新しい研究への挑戦を奨励する表彰制度を20年度中に設けます。さまざまな施策により意欲ある研究者にとって魅力のある環境を提供し、研究強化につなげていきたいと考えています。

 一部の大学では、60歳を過ぎて、ひと昔前から一向に変わらない研究をしている教授にかなりのエネルギーとお金を使っているという実情があります。これからは、AI、バイオ、量子コンピューティングなどの分野を若い人が活性化し、社会的にも求められる学問に転換していかなければならない。学問の新陳代謝が必要なのです。

 企業も同じで、いまは儲(もう)かっている事業も時代が移る中で徐々にフェードアウトしていきますから、次世代へとシフトしていくために事業の「新陳代謝」をいかに進めていくかがポイントになるでしょう。

――会長が指摘した大学生や研究者の「知的ハングリー」を促すためには、研究者同士が切磋琢磨する環境を作る必要がありますね。研究成果を出さずヌクヌクとポスドクでいるようでは、いくら研究費をつぎ込んでも成果は期待できないのではないでしょうか。一方で成果を出すために焦ると、これまた本当の意味で研究成果が出ないという弊害も出てきます。競争的環境と、長期的な視点とのバランスはどう考えるのがベストなのでしょうか。

 日本全体では、若者も競争的環境を避けてしまっている部分があります。そのあたりが、わが国が「(自由主義だが多くの規制に守られた)最も成功した社会主義国家」だといわれるゆえんでもありますが、もう少し競争的な環境を整備すべきです。信賞必罰というと言いすぎかもしれませんが、成果を明確に評価する制度が必要だと感じます。

●横並び主義の打破 DX創出には外部人材が必要

――平成になってからの30年間、成熟期を迎えた日本経済ではGDP(国内総生産)がほとんど伸びませんでした。その結果、国民の間には、諦めにも似た「宿命的な人生観」が広がっているようにも思えます。

 確かに日本企業には総花主義、横並び主義、えせグローバリズム、事なかれ主義が蔓延(まんえん)して、妬みや嫉みが横行しています。こういうものから決別して、リスクを取る経営が求められていますね。日本だけで満足する「井の中の蛙」になっては駄目なのです。

――貴社では早くから他社の優秀な人材を中途採用しています。特に人事部門で外部人材の活用が目立っていますが、その理由は。

 先端技術・事業開発室という部署では、デジタルトランスフォーメーション(DX)、コーポレートベンチャー活動、新規市場開拓を通じて、既存事業の視点を超えた機会を生み出し、多数の事業部門を成長させる活動をしています。

 グローバルな視点によって新しい技術・ビジネスモデルの構築に取り組みますから、部署のトップには、米国人の研究者や日本IBMに在籍した技術者に来てもらっています。事業の構造を変える、あるいは社員のマインドを変えるためには、やはり外部人材の活用が必要だと考えているからです。

――1月に経団連が年功序列・終身雇用制度や新卒者の一括定期採用の見直しを提言しましたが、どう見ていますか。

 腰の重かった経団連も世界で勝つためにと考えて、方向転換をしたのでしょう。当社は採用については数年前から一部通年採用を実施していますが、今後は本格的な移行を検討していく必要があるでしょう。必要なときに必要な人材を採るのは当然なことです。そうしないと、日本は必要な人材を獲得することができずにガラパゴス化してしまう恐れがありますから。

 40年以上も昔のことですが、私自身も(新卒採用の時期ではない)12月に当時の三菱化成(現三菱ケミカル)の人事部に電話をして採用の直談判をした経験があります。自分が書いた論文を3本出して、それをもとに研究所の所長に面談をしてもらい、採用が決まったくらいです。新卒一括採用は時代にそぐわない。若い人もその制度にとらわれずに自分の生きる道を切り開いていってほしい。

ドクター職を増やしていく

――日本企業はみんなで努力することによって生産性を上げ経済成長をしてきましたが、これからは何がキーポイントになるのでしょうか。

 これまでの日本企業では、従業員全員が同じ方向を向いて効率よく仕事をするのがよしとされました。ですが、これからはガラッと変わってくるでしょう。効率重視ではなく、個々人がどれだけ新しい価値を見いだせるかが重要になります。

 三菱ケミカルHDグループ全体で約7万2000人の社員がおります。社員の3割は外国人ですが、外国人含めさまざまな専門知識や経験を持つ社員を起用して、個の力が発揮できる環境を作る必要があります。

 日本企業は経済の先行きが見通せないからといって利益を内部留保にばかり回しています。ですが、それは間違いで、人材の有効活用や新しい技術開発のために、ため込んだ資金を使うべきです。

――確かに企業の研究開発が進まない理由には、儲けた利益を内部留保に回し過ぎている点がよく指摘されます。

 企業の内部留保については、外形的な規制を導入する方法もあるのかもしれませんが、企業人はマインセット、つまり頭を切り替えないとダメだと思っています。欧米に比べてトップリスクを取らない企業文化を変えるべきなのです。

 海外のいわゆるアクティビストについては批判もありますが、資本効率について極めて論理的に主張しています。外圧としてのアクティビストの存在も、取締役会を動かすきっかけになるのではないでしょうか。リスクを取らない企業のトップは去るべきなのです。

――三菱ケミカルHDではドクター職を増やす考えのようですが、その狙いは。

 これからは優秀なドクターをいかに増やせるかが重要です。当社の採用は現在約10%がドクターですが、20%まで増やそうと考えています。特に統計や数理データ処理ができる人材を必要としています。

 かつてはIT企業だけがこうした人材を求めていました。現在はあらゆる企業がこうした人材を有効活用する必要があります。そうでなければ新しい事業展開はできなくなってきている。そのことに気付かなければなりません。

●前例踏襲主義で生き延びることはできない

 以上が小林会長へのインタビュー内容だ。

 小林会長が抱く日本の学生への期待感や、新しい技術開発によってDXを推進しようとする意気込みの強さを感じた。会長は入社以来、研究所勤務から記憶材料事業の責任者、その後に研究開発担当役員と、同社の歴代社長とは全く異なる経歴を歩んできたという。大企業の三菱ケミカルHDをデジタルの新しい時代に適応させようと、次々に新しい施策を打ち出し、先行しようとしている。

 特に顕著なのが、外国人を含めた外部人材の積極的な活用だ。三菱グループの中核企業なので、純血主義が残っているのかと思っていたが、グループの中でも外部人材を最も活用している企業の一つになっている。それを思うと、相変わらず日本的人事制度にしがみついて、前例踏襲主義で生き延びようとしている企業の何と多いことか。(今野大一、中西享)

(編集部から):関連記事より【前編】「ノーベル賞は過去の栄光」――三菱ケミカルHD小林喜光会長が語る「日本が“2流国”に転落しないための処方箋」がお読みいただけます。

三菱ケミカルホールディングスの小林喜光会長