世界遺産フリークで世界遺産検定2級の筆者は、2020年2月に念願のドイツ世界遺産の旅に出た。デッサウのバウハウス、ベルリンのモダニズム公共住宅に続き、ここではベルリンの博物館島やポツダムのサンスーシ宮殿などの世界遺産に登録された建築物について紹介していきたい。
モダニズム建築につながるドイツ新古典主義の博物館群。会いたい人にも……

ベルリンには、世界遺産が3つある。その1つがすでに見学した、ブルーノ・タウトやバウハウス初代校長のワルター・グロピウスなど当時の一流建築家による「モダニズム公共住宅」(6団地が登録)。次に時代を遡って、「ムゼウムスインゼル(博物館島)」。さらに遡って、「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の3つだ。

時代によってそれぞれ、建築様式が異なる点がとても興味深い。では、詳しく見ていくことにしよう。
筆者がとても楽しみにしていたのが、博物館島だ。5つの博物館を見ることに加えて、会いたい人がいるからだ。

博物館島の大きな特徴は、建築順に旧博物館、新博物館、旧ナショナルギャラリー(国立美術館)、ボーデ博物館、ペルガモン博物館が林立すること。1830年に旧博物館が建設されたのを皮切りに、以降100年の間に博物館や美術館が建設されてきた。しかも、シュプレー川の中州の中にだ。

博物館内にあった模型で見ると、下の画像のような配置になる。こうした複合文化施設の先駆けであるとともに、近代博物館建築の歴史を示すことが評価されて、1999年世界遺産に登録された。

博物館島の模型。以下、写真撮影は全て筆者

フリードリヒヴィルヘルム3世が旧博物館を建設し、後を継いだ4世が旧博物館のある中州を「芸術と科学の聖域」と定めて複数の博物館の建設を始めた。しかし、第2次世界大戦による被害を受け、ベルリンの壁の崩壊後に大規模な修復やコレクションの再編などが行われ、今に至っている。

○旧博物館 (Altes Museum)
1830年築。建築家カール・フリードリッヒ・シンケル設計

○新博物館 (Neues Museum)
1859年築。シンケルの弟子の一人であるアウグスト・シュテューラ設計

○旧ナショナルギャラリー(Alte National Gallerie)
1876年築。アウグスト・シュテューラとハインリッヒ・ストラック設計

○ボーデ博物館 (Bode Museum)
1904年築。エルンスト・イーネ設計

○ペルガモン博物館 (Pergamon Museum)※建物を改修中のため一部のみ見学可能
1930年築。アルフレッド・メッセルとルードウィッヒ・ホフマン設計。5つの中では最大規模。

外観(改修中)と博物館内に再建されたイシュタル門

博物館島の建築様式は、19世紀~20世紀に全盛だったドイツの「新古典主義」。グリークリバイバルといわれる、古代ギリシャの神殿のようなデザインが多く見られる。ただし、前述のシンケルの幾何学的で端正なデザインは、その後のモダニズム建築にも影響を与えたといわれている。

博物館としては、古代都市ペルガモンの大祭壇(訪問時は展示されていなかった)を擁するペルガモン博物館が最も有名だが、建築物としては旧ナショナルギャラリーが素晴らしかった。ドーム天井の緑色と降り注ぐ日差しの組み合わせは、心奪われるものだった。

ナショナルギャラリーの内部(ドーム型の天井とホールの階段)

さて、筆者が会いたかった人には、新博物館の片隅で会うことができた。その人とはエジプトの「王妃ネフェルティティ」。彼女の胸像が収められた一角は、ここだけ撮影が禁止され、厳重に守られていた。

王妃ネフェルティティの胸像のレプリカ

新博物館の2階、一番奥の部屋に実物が展示されている

新古典主義が装飾過剰と批判したバロック・ロココ様式とは?

さて、「新古典主義」とは、それ以前の「バロック建築・ロココ建築」の反動から、建築の本質をギリシャローマに求めたもの。次は、装飾過剰と批判された、その建築様式を見ていこう。

バロックの語源はポルトガル語の「歪んだ真珠(バローコ)」といわれている。バロック建築ではルネサンス時代の端正な形よりも曲線や歪んだ形など動きのある形が好まれ、強烈な印象を与えようとするデザインになっていく。教会や絶対王政の国王などに富と権力が集まり、室内の天井・壁、家具、絵画・彫刻から庭園まで一体となって装飾するのが特徴だ。

旅の最初に訪れたがドレスデン。2004年に「ドレスデン・エルベ渓谷」として世界遺産に登録されたが、保存すべきエルベ川沿岸の文化的景観の川に橋を架けたため、2009年に世界遺産登録が抹消されてしまった。その景観を構成するひとつである「ツヴィンガー宮殿」は、ドイツバロック建築の傑作といわれている。フリードリヒアウグスト1世(アウグスト強王)が、それまでの木造建築から石造りの宮殿を建築しようと、建築家ダニエル・ペッペルマンに命じて1728年に建設された。

ドイツバロック建築のツヴィンガー宮殿。王冠の載った門なども有名

一方、ロココの語源はフランス語の「岩石(ロカイユ)」といわれ、貝殻や植物などをモチーフとした室内の浮彫装飾や家具・調度品の装飾に特徴がある。バロックの劇的な演出から和やかな演出を好むようになり、フランスではバロックからロココへと移っていき、ドイツに波及した。

ドイツロココ様式の代表例が、ドイツ・ポツダムの「サンスーシ宮殿」だ。世界遺産として登録された「ポツダムとベルリンの宮殿群と庭園群」の構成要素になっている。サンスーシ宮殿は、1745年フリードリヒ2世により、王の意向を反映して友人の建築家ノーベルスドルフが建設したもの。

サンスーシ宮殿の外観(庭園側)

部屋は12室とかなり小規模な宮殿だが、装飾は華麗だ。音楽の間では天井の中央に蜘蛛の巣、周辺の天井や壁には植物文様の装飾が施され、曲線が美しい長椅子なども置かれている。一方、大王の書斎では天井に曲線があるものの比較的直線が多いのは、後に古典主義様式に改装されたためだという。

(左)音楽の間 (右)書斎

生粋の軍人王だった父親と対立したフリードリヒ2世は、芸術をこよなく愛したそうだ。サンスーシとは、「憂いのない」を意味するフランス語オーストリアとの戦いの最中に建てられた宮殿は、激務を忘れ、友と語らう場として和むための居城だった。サンスーシ宮殿に自然をモチーフにしたデザインが多いのは、フリードリヒ2世が自然を住まいに取り入れようとしたとも見られるという。

世界遺産のロマネスク建築やハーフティンバー様式の街並みも

この旅で筆者が訪れた世界遺産のある都市はいくつかあるので、さらに時代を遡ってみよう。サンスーシ宮殿の「バロック・ロココ様式」から「ルネサンス様式」→「ゴシック様式」→「ロマネスク様式」と遡れる。

宗教改革の現場となったとして、1996年世界遺産に登録されたのが、「アイスレーベンとヴィッテンベルクのルター記念建造物群」だ。関連する教会はいくつかあるが、ルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会は「ゴシック建築」だ。天井の頭が尖ったアーチや交差して支える「リヴ・ヴォールト」などが見られる。

1483年11月11日にルターが洗礼を受けた聖ペトリ・パウリ教会の外観と内部

さらには、ドイツ発祥の地といわれるクヴェードリンブルク。10世紀前半にザクセンをひきいたハインリヒ1世は、この地に城を構え、政治、教育、文化の中心地と位置付け、国家統一の礎を築いた。

このハインリヒ1世と王妃マティルデが眠っているのが、城の中にある聖セルヴァティウス教会(聖堂参事会教会)だ。この教会は1129年(教会の日本語資料には、「平清盛11歳の時」と説明があった(笑))に4回目の建て直しがされたもので、「ロマネスク建築」の代表例とされる。その特徴は厚い壁、てっぺんが丸い小さな窓、重厚感のある柱と支柱で、円柱2本ごとに角柱を置く「ニーダーザクセン風の支柱」だという。

聖セルヴァティウス教会外観

「ニーダーザクセン風の支柱」が見られる教会内部

クヴェートリンブルクは、教会や城のほか、その街並みにも大きな特徴がある。

ザクセン王家の庇護の下、クヴェートリンブルクは商業の街として発展する。14~19世紀には、商人の邸宅やギルドハウスが、ハーフティンバー様式の木組みの家で建てられた。なんでも、庶民には石造り建築が許されなかったからだという。

そのおかげというか、ハーフティンバー様式の家が建ち並ぶ旧市街は、「木組みの家博物館」として有名になった。この旧市街は、二度の世界大戦の戦禍を免れ、その姿をそのまま残している。この旧市街と城山や教会の一体地域は、ザクセン王朝の歴史と密接なかかわりをもつ建築様式の重要性なども評価され、「クヴェートリンブルクの旧市街と聖堂参事会教会、城」として、1994年世界遺産として登録された。

旧市街の中心「マルクト広場」

木組みの家が連なる街並み

さて、旧市街を歩いて驚いたのは、多くの家々に文化財のマークが掲示されていることだ。木組みの家の街並みを維持していくには、街の住民の高い保存意識が背景にあるのだろう。こうした努力がないと、住宅がそのまま維持保存されるのは難しいことだ。

丸の中が文化財指定のマーク

東ドイツエリアの世界遺産を例に、モダニズム建築からロマネスク建築(ルネサンス建築を除く)に至る建築様式を見てきたが、建築物が時代に応じてどんどん進化していくことが分かる。だからこそ、面白いのが建築物だ。

ところで、この旅をプランニングしてくれたのは、NPO法人世界遺産アカデミーの客員研究員・目黒正武さんだ。筆者は、目黒さんによる明治大学リバティアカデミー「旅する世界遺産~ヨーロッパ建築の歴史を訪ねて~」講座を一年間受講した。

目黒さんによると、「外観も内装もシンプルなモダニズム建築(バウハウス等)と重厚な外観と派手な内装のバロック建築(サンスーシ宮殿)では、真逆な印象を持つだろうが、住む人、使う人のための空間設計という点においては共通している」という。

富も権力もない筆者はサンスーシ宮殿で和むことはできないが、権威を誇示する必要がある人にとっては心地よく過ごせる空間だったのだろう。建築物はいつの時代も、暮らす人のために造られるべきということだ。

参考資料:NPO世界遺産アカデミー客員研究員目黒正武さん作成資料や現地ガイドの説明、現地で入手した資料等のほか、NPO世界遺産アカデミー監修「すべてがわかる世界遺産大事典」などを参考資料としています。なお、ドイツ語を日本語表記する場合「マルティン・ワーグナー/マルティン・ヴァーグナー」など、いくつかの表記方法がある点に留意ください。
(山本 久美子)
ドイツ・ポツダムのサンスーシ宮殿と庭園(写真撮影:住宅ジャーナリスト山本久美子)