(福島 香織:ジャーナリスト)

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 4月8日午前零時から、いよいよ武漢の都市封鎖、湖北省の省封鎖が完全解除される。武漢は1月23日から事実上陸の孤島となっていたが,外界への扉が再び開かれ、人や物の往来が本格化する。

 中国としては、新型コロナウイルスに対する勝利宣言を行い、各地で公務員たちが率先してレストランなどに行って大衆の消費心理を刺激し、企業、工場が再稼働して感染勃発前の経済活動が行われ、いやそれ以上の消費、生産が進み経済はV字回復、世界がパンデミックに苦しみ英米欧州の主要都市が(あるいは東京も)“ロックダウン”しているのを傍目に中国市場だけが回復して、中国が世界経済の希望の星、救世主となる、というシナリオを思い描いている(?)かもしれない。だが、そんなにうまくいくわけがない、という感触も、当然、現場の医療関係者、メディアは持っている。

習近平の武漢入りで始まった都市封鎖解除の準備

 中国共産党は、最近はもっぱら「ウイルスとの戦いにいち早く勝利した中国」が、パンデミックと戦う世界各国の模範となり、救世主となる、という大プロパガンダを展開中だ。今や世界で一番安全なのは中国国内で、感染源になっているのは欧米だ、というわけだ。

 中国人民も長期の都市封鎖で鬱屈しており、一刻も早い新型コロナ終息宣言を待っている。気の早い一部の市民の中には、失った春節休みを取り返そうと早くも国内旅行の計画を立てている人も。4月、5月の新疆ウイグル自治区四川省など景勝地へのチケットの予約が「Ctrip(携程)」などのネット旅行サイトで始まっている。中国旅行社はすでにタイなどへの海外旅行ツアーの受付も始めており、タイの衛生局と観光客は4月中頃には中国観光客を迎えられるとフランス紙にコメントしている。

 だが、疾病予防コントロールセンターや医療現場で働く人間、現場を取材しているメディアからすれば、不安で一杯のようだ。

 中国誌「財新」がこのあたりのことを、かなり突っ込んで書いていた。

 武漢市衛生健康委員会は3月24日に、武漢市で新たな感染者1人が出たこと、その患者は湖北省人民医院の医者だったことを公表した。その医者は、新型コロナウイルスの無症状感染者を診療したことが感染の原因であったとみられている。

 この医者は3月18日新型コロナ肺炎の無症状患者を診察していた。実は、武漢では今なお日々、数人から十数人のペースで無症状感染者が報告されている。だが、中国がこれまで発表してきた感染者数に無症状感染者は含まれていない。中国での先月末まででの無症状感染者の数は4万3000人以上と香港紙サウスチャイナ・モーニングポストが報じていたが、とすると感染者のおよそ3分の1は無症状感染ということになる。

 だが3月20日には、中国湖北省新型コロナ肺炎感染予防コントロール指揮部が「湖北省封鎖の段階的緩和についての通知」を出している。習近平国家主席が3月10日に武漢を訪れ、“武漢の安全”を身をもってアピールしたのを契機として、中国各省は都市封鎖解除の準備に入っていた。中国各省は武漢に派遣していた医療チームの撤退を3月17日から開始し、3月20日までに1万2000人の医療応援チームが武漢から撤退している。

「財新」は、こうした習近平の武漢安全アピールや、医療応援チームの撤退が、武漢封鎖の段階的緩和通知につながり、まだ緊張を緩めていい状態ではなかったにもかかわらず、大衆の緊張が一気に緩んでいることに懸念を示している。

全容を把握できない無症状感染者

 中国疾病コントロールセンターの事情通が「財新」に漏らしたところによると、疾病予防コントロール部門のチームが暫定的に武漢から撤退しているが、武漢と湖北省の状況に安心していない、という。「現在、毎日数例から十数例の無症状陽性が出ている。武漢の感染源が完全に遮断できているかどうか判断できない」という。

 無症状感染者は、発熱、咳、喉の痛み、呼吸器症状を示さないが、呼吸気道などからのサンプルでウイルス病原学あるいはIgM抗体の検査によって陽性反応が出た例と定義される。中国では無症状感染者感染者にカウントしていないが、もし臨床症状がでれば、その時に感染確認例としてカウントしてきたという。無症状感染者は14日間、隔離措置がとられ、2度にわたりPCR検査を受けて陰性が確認されてから隔離解除、ということになっている。

 だが武漢政府が3月22日に発表した前述の声明では、新たに感染者となった医者が診療していた無症状感染者が14日間の隔離監察を受けていたかどうかについては言及されていない。現場では、無症状感染者の措置が徹底されていない可能性もありそうだ。

 無症状感染は、感染確認者と濃厚接触をした者が経過観察されて最終的に検査で発覚するわけだが、無症状だけに、実際の数は把握されていない。3月20日に「ネイチャー」誌で発表された論文では、普通の風邪程度の軽症者や無症状感染者新型コロナウイルス感染者人数の60%を占める、という。中国の累計感染者数を8万人とすると、中国だけでも少なくともその3倍の感染者がいる、という計算になる。世界ではすでに30万人を超えているので、90万人が実は感染しているということにもなる。

 新たな感染者の中には、感染確認者との濃厚接触の記録がないケースが増えており、無症状感染者、軽症感染者から感染が拡大している現実がある。4月8日に武漢市封鎖が解除されば、人の動きが活発化する。再びアウトブレイクが起きるのではないか、という不安はぬぐえないのだ。

 無症状感染者の感染力については、広東省の疾病予防コントロールセンターが3月19日に米国の医学雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」(NEJM)上で、新型コロナ肺炎患者は発病後間もなく大量のウイルスを放出するようになるが、ある無症状感染者のウイルス放出量は発病者とほとんど変わりがなかった、と報告している。一部の科学者は無症状感染者のスーパースプレッダーもありうる、と疑っている。

 上海児童医学センターが全国700人の感染児童を調査して分かったのは、児童の56%は無症状、あるいは軽症であるということだ。これが「子供は感染しても発症しにくい」という言説の根拠になっているが、同時に、子供は比較的感染しやすく、学校で集団感染し、無症状のまま各家庭にウイルスを持ち帰り、乳幼児、高齢者や体力のない人間が発症する、という仮説も出てきた。この仮説が学級閉鎖措置の理由となっている。

習近平政権の大プロパガンダとの戦い

 中国の世論誘導を担う「環球時報」は、復旦大学付属華山医院感染科主任の張文宏のコメントを引用する形で、無症状感染者の比率は非常に低い、ウイルスの量も少ない、感染源としてのリスクは比較的小さい、「スーパースプレッダー」にはなりえない、という主張を喧伝しており、武漢封鎖解除と感染症鎮圧勝利宣言へのムードに水を差す懸念を押し込めようとしている。

 医療関係者を中心に武漢封鎖解除に対する不安が広がっている中、武漢衛生健康委員会は23日に、「無症状感染者は一定の感染リスクを持っている。しかし、WHOは、現在あるデータからみれば、発症患者の感染が主流であり、無症状感染者は主要な感染源ではない、としている」と説明。だが、WHO自体が中国に忖度(そんたく)して、適時に適切な発言をしてこなかったことは中国でも知れわたっているので、これは安心材料になっていない。

 武漢の医師が共同通信社に告発したところによれば、習近平3月10日の武漢視察前に、地元官僚は感染確認者数を操作しただけでなく、大量の症状を伴う隔離監察対象者を解放して、中央に対しては「感染者が出ていない」と報告していたという。また、医療現場に対し血液検査をやらないように指示して、感染者数が増えないようにする工作もあったとのことだ。その医師は「政府の公表データは信用できない。再びアウトブレイクがおきることを心配している」と話している。また武漢の他の医師はツイッター上で、「習近平が武漢視察に来る前に、医師らに14日間の休暇が与えられ、診療が行われていない」と告発していた。

 武漢では、一家全員が新型コロナ肺炎で死亡したケースや、家族を看取ることも満足な葬式も出すこともできなかったケース、絶望して遺族が自殺するケースなど、悲惨な出来事がSNS上で毎日のように流れ、医師たちは再アウトブレイクの危機と隣り合わせで戦々恐々としている。

 そういった現実を、中国政府は「習近平の指導によりウイルスに完全勝利」というプロパガンダで覆い隠そうとしている。それが単なる習近平政権の政治的メンツのためだけであるなら、もはや国家指導者として一分の正統性もなかろう。もし封鎖解除と勝利宣言後に再び中国で感染の猛威が再発したら、さすがに恐怖政治で従順にさせてきた人民も、もう黙ってはいないのではないか。いや、その時は、「この感染症は海を越えて外国からやってきた」と米国やイタリアや日本に責任を擦り付けるつもりなのか。

 ならば今、中国の人民や世界の人々が直面しているのは「ウイルスとの戦い」ではなく、「中国習近平政権の隠蔽や大プロパガンダとの戦い」ではないだろうか。

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