日向坂46の新3期生として活動することになった3人。グループの先輩たちと初めて会った日、「メイド服でレッスンをする」というドッキリの洗礼を受けた
日向坂46の新3期生として活動することになった3人。グループの先輩たちと初めて会った日、「メイド服でレッスンをする」というドッキリの洗礼を受けた

『週刊プレイボーイ』で連載された大型ノンフィクション連載「日向坂46ストーリー~ひらがなからはじめよう~」がついに単行本化し発売された。

少女たちが「けやき坂46」から「日向坂46」へと名前を変える前日譚を描いた、感動の青春群像ストーリー。

今回は、『日向坂46ストーリー』発売記念の特別篇として、「遅れてきた少女たち」をお届けする。

 * * *

2018年夏、"坂道シリーズ"の3グループによるオーディション「坂道合同オーディション」が開催された。これは、乃木坂46欅坂46、そして後に日向坂46と改名することになるけやき坂46(通称・ひらがなけやき)が、新メンバーを一気に募集するという大規模なプロジェクトで、その応募総数は13万人近くに達した。

この狭き門をくぐった39名の合格者のなかから、"たったひとりの3期生"としてけやき坂46に配属されたのが、上村ひなのだった。

しかし、実は彼女たちと共にオーディションに合格したものの、どこのグループにも配属されなかった少女たちがいた。彼女たちはその後1年間、表舞台に出ることはなかった。

これは、一度はアイドルへの道を断たれた少女たちが、それでも諦めずに夢をつかむまでを描いたストーリーである。

■坂道シリーズに憧れた少女たち

坂道合同オーディション当時、中学3年生だった髙橋未来虹(みくに)にとって、このオーディションは3度目のチャレンジだった。中学1年生のときに乃木坂46に惹(ひ)かれて以来、同グループの3期生オーディション、けやき坂46の2期生オーディション、そしてこの坂道合同オーディションと、坂道グループだけにこだわって毎年のように挑戦し続けた。そして3度目にしてやっと、最終審査を突破して合格することができたのだった。

髙橋未来虹
髙橋未来虹

その発表が行なわれた直後、髙橋はひとりの女のコに話しかけた。

「3次審査のとき、私の前に座ってましたよね? 絶対受かると思ってました!」

髙橋は、3次審査で彼女のことを見かけたとき「こういう原石みたいなコが受かるんだろうな」と思った。小柄な彼女のことを髙橋は「ふたつくらい年下かな」と予想していたが、そう思われた相手の女のコのほうは、背の高い髙橋を見て「ふたつくらい年上なのかな」と思っていた。

実際には同学年で、後に髙橋と同じ道に進むことになるこの少女が、山口陽世はるよ)だった。鳥取県の田舎で育った山口は、人見知りな性格で、それまでほかの候補者と話したことさえなかった。

山口が坂道シリーズを好きになったきっかけは、少し変わっている。小学生のときに少年野球のチームに所属していた山口は、ある日、レンタルショップで野球関連のDVDを探していて、乃木坂46のメンバーがソフトボールに挑戦するという内容の深夜ドラマが放送されていたことを知ったのだった。そのDVDを見てからグループに興味を持ち、やがて乃木坂46やけやき坂46の握手会に参加するため大阪まで遠征するほどのファンになった。

山口陽世
山口陽世

一方、ほかの合格者のなかに山口とまったく同じ年、同じ日に生まれたという女のコがいた。長い黒髪が印象的で、審査中から育ちの良さを感じさせる雰囲気を漂わせていたその少女が、森本茉莉(まりい)だった。

森本は、過去に大手芸能事務所が主催するオーディションに参加し、ファイナリストとして大きなステージに上がったことがあった。そのオーディションに参加したのは、家族でハワイ旅行に行ったときにスカウトされたことがきっかけだった。

だが、この経験を通じて森本の胸に芽生えたのは、「坂道グループのメンバーになりたい」という思いだった。森本は、中学1年生のときに乃木坂46のファンになって以来、友達と一緒に毎回始発に乗って全国握手会に参加し、最前列でライブを見ていた。チアリーディングやダンスをやっていた森本にとって、ステージの上で踊るメンバーたちの姿は、いつしか憧れの存在から目標へと変わっていった。

それぞれの希望を持って坂道合同オーディションを受け、見事に合格した3人の少女たち。しかし彼女たちは、ここから想像もしていなかった道を歩むことになる。

森本茉莉
森本茉莉

■"坂道ベスト"を歌う研修生ツアー

坂道合同オーディションに合格した者たちは、いったん"研修生"として基礎的なレッスンを受けることになった。その間にアイドルとしての適性を判断されるとともに、面談で志望するグループなどを聞かれた。

そしてオーディションから3ヵ月後の2018年11月、ついに最後の個別面談が行なわれた。ここでようやく、自分がどのグループに配属されるのかが決まるはずだった。

しかし、そこで彼女たちは残酷な宣告を受ける。

「残念ながら、今回は配属するに至りませんでした」

これを聞いたとき、髙橋は「終わった」と感じた。

「今まで、自分の個性を出そうと思って何回も悩みながら自己紹介を作ったりしてきたことは、意味がなかったのかな。私が頑張ってきたことは、全部否定されちゃったのかな」

事務所を出て呆然(ぼうぜん)としながら歩いていると、ほかの研修生らが駅に集まって泣いているのが見えた。髙橋も合流してボロボロと涙をこぼしているうちに、自分たちと同じように配属されなかった研修生たちが次々とやって来た。そのままみんなで固まって泣きながら「これからどうすればいいんだろうね」と不安な気持ちを語り合った。

一方、このとき配属されたのは3グループ合わせて21名。彼女たちは翌12月には日本武道館でお披露目のステージを踏み、それぞれのグループの"新メンバー"として羽ばたいていった。

面談から少し経たって、落選した少女たちのもとに連絡が入った。希望すれば、引き続き研修生という立場でグループへの配属を目指せるということだった。

一度は「終わった」と思った髙橋も、もう一度チャンスをつかむために頑張ってみることにした。「坂道グループのオーディションを受けられる限りは、何度でも目指そう」と思っていた髙橋にとって、当然の選択だった。

山口や森本のなかでもほかの選択肢はなかった。ふたりとも配属されなかったことで深く傷ついていたが、それ以上に坂道グループのメンバーになりたいという気持ちが大きかった。

そうして再び配属を目指すことになった研修生たちは、またレッスンの日々を送ることになった。ダンス、ボーカル、演技。月に2回ほどのレッスンのなかで、アイドルとしての基礎的なスキルを学んでいった。

彼女たちにさらなる転機が訪れたのは、2019年の夏だった。

「研修生による東名阪ツアーをやります」

スタッフからそう告げられたとき、研修生たちは沸き立った。1年前に合格して以来、一度も人前で活動したことがなかった自分たちが、やっとステージに立てる日が来たのだ。

今回のツアーで歌うのは、3グループを代表する15曲。いわば"坂道ベスト"ともいえるヒット曲の数々を、この時点で残っていた15人の研修生たちがひとり1曲ずつセンターを担当しながら、全員でパフォーマンスするというものだった。

夏休みの1ヵ月強を利用して行なわれた集中レッスンは、それまでとは違う実践的なものになった。ステージに立った経験もない研修生たちが、今まで踊ったことのない曲を約2日に1曲というペースで覚えなければならなかった。

山口は、レッスンのなかでほかの研修生に遅れていることを感じ、焦っていた。振り覚えも悪ければ、動きもぎこちなかった。ある日、ダンスの講師からこう言われた。

「ちゃんと鏡を見ないと、自分の姿はわからないよ」

人見知りで恥ずかしがり屋だった山口は、このときまで鏡で自分の姿を見て踊ることができなかったのだ。レッスンのとき以外も、彼女はいつも部屋の後ろのほうに座って、ほかの研修生たちとあまり話さなかった。あの日、グループに配属されなかったのは、こういう自分の性格のせいだということはわかっていた。

山口は自分の殻を破るために、このときから鏡を見て踊るようになった。すると、どんどん自分のダンスが変わっていくのを感じた。今まで人の目を見て話すことができなかったが、それも少しずつ改善されていった。毎日のレッスンを通じて、同期の研修生たちがライバルでもあり友達でもあるような、お互いに高め合える存在になっていった。

こうして初ステージに向けて必死に努力する日々のなかで、また彼女たちにとって忘れられない出来事が起こった。

■ふたつの運命がひとつになったとき

ツアーに向けてのレッスンをしていた頃、研修生たちは欅坂46のライブを見る機会に恵まれた。欅坂46には、彼女たちと同じように坂道合同オーディションに合格した新メンバーが9人配属されていた。彼女たちはグループの2期生として、大きなステージの上で先輩たちと一緒に踊っていた

ライブ中、森本は自分と同期の女のコたちが圧巻のパフォーマンスを繰り広げているのを見て、ただただ「すごい」と感じていた。しかし、ライブが終わって送迎のバスに揺られているとき、胸が苦しくなった。

「欅坂さんの2期生はもうあんなところまで行ってるのに、私は1年間、何もできなかった。もうこんなに遅れちゃったんだ......」

涙がとめどなくあふれてきた。すると、隣に座っていた髙橋が森本を抱き締めてくれた。言葉はなかったが、背中越しに髙橋もまた泣いているのを感じて、「きっと同じ気持ちなんだろうな」と思った。

実際にこのとき髙橋も同じ気持ちを抱いていた。

「一緒に合格したコたちがステージであんなに輝いてるのに、私たちはそれを見る側で、悔しいよね。......でも、きっと大丈夫だから」

研修生たちによるツアーは、10月30日に大阪で幕を開けた。公演2日目には『誰よりも高く跳べ!』を歌っているさなかに曲が止まり、しばらく無音状態が続くというトラブルもあった。しかし、ここまで支え合ってきた研修生たちは誰も歌うことをやめず、観客からもいつもより大きいコールが起こった。切実なほど懸命にパフォーマンスする彼女たちの姿は、会場に独特の熱気を生み出し、3ヵ所6公演のツアーを完走した。 

そして翌2020年2月、ついに研修生全員の配属が発表された。髙橋未来虹、山口陽世、森本茉莉の3名は、日向坂46の"新3期生"として活動していくことになった。彼女たちと一緒にオーディションに合格した上村ひなのと同期という位置づけだった。あの日、配属された者とされなかった者というふたつの道に分かれた運命が、1年以上を経て再びひとつになったのだった。

配属を告げられた日、森本は不思議な気持ちになった。あれほど待ち望んでいたにもかかわらず、いざそのときが来ると「もう配属されるんだ」と焦った。これから人一倍努力して、上村に追いつき、彼女が心強く感じられるような同期になろうと誓った。

髙橋は、生来の負けず嫌いらしく「1年の差を言い訳にしたくない」と燃えていた。配属されなかったときのつらさを思い出せば、なんでも前向きに頑張っていけるような気がした。いつか、グループを広げることに貢献できるほどのスキルを身につけることが目標だ。

山口は、日向坂46メンバーとして"ハッピーオーラ"を出せるようになりたいと思っていた。外では人見知りな彼女も、家では家族を笑わせる明るい女のコだった。そんな自分の素の姿が、日向坂46というグループのなかだったら出せるような気がした。

オーディションに合格してから1年半にわたって、研修生として過ごしてきた3人の新メンバーたち。思いもよらない試練を与えられながらも、諦めることなく夢をつかんだ彼女たちの歩みは、けやき坂46、そして日向坂46がたどってきた困難な道のりにも重なる。彼女たちの存在が、これからの日向坂46ストーリーをより豊かなものにしてくれるだろう。

●森本茉莉
小学2年から4年までチアリーディングを習い、中学ではダンス部に所属。苦手意識を持たない明るい性格。愛犬家で特技は犬の遠吠え。研修生ツアーでセンターを担当したのは日向坂46ドレミソラシド

●髙橋未来虹
特技は中学の吹奏楽部で担当していたクラリネット。小中学校でリレー選手に必ず選ばれていた短距離走をはじめ、運動には自信あり。研修生ツアーでセンターを担当したのは欅坂46『アンビバレント』

●山口陽世
坂道シリーズ初の鳥取県出身者。小学3年生のときに1年弱、少年野球でライトを担当。兄とのキャッチボールで培った投球フォームも話題に。研修生ツアーでセンターを担当したのは日向坂46キツネ

日向坂46
2015年11月、長濱ねるを唯一のオリジナルメンバーとして、けやき坂46(通称"ひらがなけやき")結成。2016年5月に11名の1期生が、2017年8月に9名の2期生が、2018年11月に1名の3期生が加入。2019年2月にはグループ名を日向坂46に改名。翌3月に1stシングル『キュン』で単独デビュー。現在、4thシングル『ソンナコトナイヨ』がソニー・ミュージックレコーズより発売中。
最新情報は【https://www.hinatazaka46.com/

取材・文/西中賢治 撮影/Takeo Dec.

【画像】新3期生の森本茉莉、髙橋未来虹、山口陽世

日向坂46の“新3期生”として活動することになった3人(左から森本、髙橋、山口)。グループの先輩たちと初めて会った日、「メイド服でレッスンをする」というドッキリの洗礼を受けた