(酒井 吉廣:中部大学経営情報学部教授)

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政治家の仕事は決断力と説明力

 3月23日小池百合子東京都知事は都市封鎖の可能性について言及した。同25日には「感染爆発 重大局面」と説明し、会見で知事に臨席していた医師(恐らく都の職員か委託者。実際に患者を診ているとのこと)が「感染者の80%は症状が軽いが、20%は入院が必要、全体の5%は症状の進行が早く集中治療室に入らない(人工呼吸器を付けない)と助けられない」と話した。ようやく事実を率直に伝える医師が都知事とともに登場したという印象だった。いずれにせよ、都知事の記者会見は新型コロナウイルスに対する都民および国民の危機感を一気に醸成した。

 小池都知事の発言は、2月27日に「3月2日から春休みまで全国の小・中・高や特別支援学校の休校」を要請した安倍首相3月19日に「大阪と兵庫間の移動自粛要請」を訴えた吉村大阪府知事とともに、世論の反発を予期しつつも国や自治体のリーダーとしての責任を全うするために行ったという意味で、勇気あるものだと評価されるべきではないだろうか。

 小池都知事の発言については、安倍首相や吉村府知事が批判されたのと同じく、都民の不安を煽ったなどの批判が出ている。確かに、スーパーマーケットなどで保存の効く食品が売り切れるといった反応はあった。ただ、イタリアスペインにおける感染者と死者の急増や、米国でも特に感染者数の増加が著しいニューヨーク州の状況を見れば、その決断は全く間違っていないことが分かる。

東京がニューヨークの後追いとなる可能性

 小池都知事の一連の記者会見は、3月7日ニューヨーク州全域に非常事態宣言を出した後、50人、100人、1000人と1日当たりの増加数自体が日々増えていく中で、同州のクォモ知事が説明してきたものとほぼ同じだ。

 ニューヨーク州の場合は、都市封鎖前日でのデータでは、感染者の18%が入院の対象となっていて、そのうちの38%が20~54歳だった。新型コロナが命に危険のあること、若者は高齢者より免疫力が強いから悪化症状に陥らないという思い込みは間違いだということも分かった。同じく19日には、感染者数が4152人と前日比ほぼ倍増近くになった。

 そして、翌3月20日、クォモ知事は都市封鎖を宣言した。同日の感染者数は7102人と前日の1.7倍強、非常事態宣言を出した同7日の90倍となった。また、直近3月27日感染者数は4万4635人と、都市封鎖日の6倍以上となっている。まさしく「感染爆発」が「重大局面」に入ってしまったのである。

 これが、小池都知事の記者会見の意味するところだと考えられる。ここ1カ月間のニューヨーク州の数字の変化を見れば、現在の東京に対する都知事の評価は、決して大袈裟でも何でもないと言える。

将来の感染者数をどう予測するか

 感染対策の専門家は感染者数(X)を「C(初期感染者数)」「R(基礎再生産数)」「T(感染期間)」の3つの要素で考えるとのことだ。日本の場合、水際対策で「C」を大きくしないよう頑張っているが、東京については、「C」の初期感染者が接触する数、すなわち「R」が増えつつある中で、さらなる増加を制限するタイミングだというのが、その背景にあるらしい。

 そして、小池都知事が言うところの、「これからの3週間」というのが「T」である。これは「R」を増やす変数である。実はこの式は、中世欧州で黒死病パンデミックが起こった当時、足許のパンデミック対応と、将来への備えとしても研究した当時のパリ大学の学者の見解でもある。当時、パリは人口が20万人の欧州で最大の都市だった。

 ニューヨーク州では、マンハッタンから30分ほど離れたニューロッシェル市が同州で最初の感染者の居住区だった。そこで最初の一週間感染者が急増したため、同市の中でも感染者の多い場所を半径1マイルの円で囲み、ナショナルガード(国内警備のための米兵)に依頼し、その地域からの出入りとこの地域内での人の移動を管理した。これが米国で最初の都市封鎖令である。

 ニューヨーク州の感染者数は、検査を無料にするなどの州民皆検査の方針に加えて、ニューヨーク市のデブラシオ市長が不法移民にも検査を受けられるよう配慮していることもあって検査数が増えた。結果的に、全米の10万717人の感染者の4割強をニューヨーク州が占めている。

都市封鎖の種類:欧州と米国の違い

 なお、都市封鎖とはそもそも欧州で使い始められた言葉で、米国では同じ都市封鎖でも、欧州と違う表現を使っている。例えば、カリフォルニア州は "Shelter in Pace" だが、実質的には欧州の "Lockdown" と同じ意味だ。

 この言葉の違いは、中世以前に作られた欧州の多くの都市は城壁で囲まれているのに対して、18世紀以降に作られた米国では城壁に囲まれた都市がないことによる。

 一方、米国の多くの州は "Stay at Home" という命令を出した。ニューヨーク州では、クォモ知事がこれを "Pause Plan" と呼んでいる。これは、住民に家から出るなとか、公共交通機関自体も止めるような欧州の "Lockdown" に比べれば制限がやや緩い。

 また、クォモ知事は最初に都市封鎖をしたカリフォルニア州の "Shelter in Place" (Lockdownとほぼ同じ効果)にしなかった理由について、州民の混乱が出かねないうえ、「ほとんどの州民が屋外で普通に行動できる体調であるのだから使うのは不適当」と説明している。

 "Pause Plan" とは、州民が知事の意志に従って一時的に行動を休もうという発想とのことだ。命令ながら、州民の自主性に重きを置いた表現だという。

 東京が都市封鎖をすると経済活動が滞り、都民の生活に支障が出る。既に、日本全体で新型コロナの経済への悪影響が深刻化している中で、都市を封鎖して人の移動を止めてしまうことは、経済に大打撃となる。特に、レストラン、百貨店、ホテルなど小売・サービス業やスポーツビジネスが打撃を受ける。

 一方、米国の例を見ると、アマゾン・ドット・コムがデリバリー需要の拡大を受けて従業員の大幅雇用を発表しており、Eコマース、運送業関連、映画配信などにはプラス効果が出ている。日本でも同様の事が起こるだろう。

 しかし、問題は、人の命と景気の維持を天秤にはかけられないという点である。為政者に大切なのは、経済低迷のリスクを冒してでも市民を守る判断をする勇気だ。

中世のミラノは黒死病のパンデミックを回避した

 筆者は、3月20日付「WHOがパンデミックの中心は欧州と位置付けた理由」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59755)の中で、中世の黒死病がフィレンツェを中心としたイタリアを起点として欧州に拡がった歴史を説明した。これは、ピサチェンザにいた弁護士のガブリエル・デ・ムシが各地からもたらされる情報をもとに書いた記録と、イタリアフランス、英国、ドイツノルウェーの学者や神父、また普通の人々が書いた日記、さらには家族や友人にあてた手紙の内容などからまとめたものである。

 ところが、中世の欧州で、黒死病パンデミックを回避できた国と都市もあった。

 その代表例がイタリアのミラノだろう。

 ミラノでは、黒死病の噂を知ると直ちに都市の入り口にある門の管理を厳しくした。実際にはほとんどの旅行者が入れなくなった。また、黒死病にかかった例が3件存在したが、その際には感染者だけでなく、その家族も隔離した。しかも、彼らの住む家自体を壁で覆うなどその場所を完璧に隔離して、絶対に他の市民との接触がないようにした。

 ミラノの場合、当時の為政者であるヴィスコンティ一族が他の教会の司教などからの影響を受けることなく、半ば独裁者として君臨していたと記録されている。一人のリーダーが判断できる政治体制が、この迅速で極端な都市封鎖を可能とし、都市住民を守ったのは間違いない。

 これが、欧州における本当の意味での「都市封鎖(Lockdown)」という言葉の起源であろう。

 後世の科学者の研究では、ミラノでは黒死病の前にチフスが広がった記録があり、そのチフス菌が黒死病に対するワクチン的な効果を果たしたとなっている。しかし、それを含めても、他の都市では人口を半減以下にするほどの猛威を振るった黒死病を抑え込めたことは、現代のわれわれも参考にすべきだ。

 シシリー島のメッシーナから始まって、ジェノヴァバルセロナマルセイユなどの港から国内の都市へと拡がった黒死病パンデミックが収まった後、各都市が今後の対策として導入した「都市封鎖」の発想が、ミラノでは最初からあったのである。

 当時の欧州の識字率は10~15%だったので、ミラノのヴィスコンティの決断とそのきっかけとなる手紙のことを考えれば、本当に紙一重のところでミラノ市民は命を救われたのである。

東京は中世のロンドン以上に厳しい環境

 中世欧州の黒死病パンデミックの感染経路は、ほとんどの場合が一都市に1つである。

 ところが、ロンドンは3つの経路から黒死病が伝わった。港町であるグローチェスターからのもの、同じく港町であるウェイモスからサリスベリ、ウィンチェスターを経てのもの、そして直接テムズ川を上ってロンドンに入ったもの。ロンドンはオープンな都市で、様々な感染経路があったのだ。

 これは東京も同じ。昔の江戸には、例えば四谷の大木戸などがあり、江戸への出入りは比較的簡単に封鎖することができた。ところが今は、神奈川、埼玉、千葉、山梨と、自動車や電車を使って移動することができる。

 従って、東京の都市封鎖は何らかの形で全ての往来を止めない限り、「感染爆発」が始まった場合には、東京の感染者だけでなく、他の4県の感染者も増加することになる。これが1都4県の会議に繋がり、一斉に外出の自粛を行った背景であろう。

1都4県のもう1つのリスクは災害

 カンタベリー物語で有名なチョーサーなど英国人が残した記録の中に、黒死病パンデミックとなった1348年の夏から冬にかけて雨が多く降り続いたことが記されている。つまり、これによる不作や家畜の死亡で栄養状態が悪くなったこと、衛生的な問題が発生したことがパンデミックに拍車をかけたのである。

 また、1348年1月にイタリアヴェニスの東北東100キロほどの街フリウリで、マグネチュード6.9の大地震が発生しており、その南西50キロほどにあったトリエステや、ベネチアは被災した。その揺れはフィレンツェ近くの港町でやはりパンデミックとなったピサでも観測されており、記録は少ないが、地震がイタリア北東部の黒死病パンデミックに影響したことは予想に難くない。

 首都圏は、いつ地震が来てもおかしくない状況である。また、昨年(2019年)は台風で千葉県などが大被害を受けた。もしこのような天災が今のタイミングで発生すると、新型コロナパンデミックは、東京において、ダブルパンチの大災害となるリスクがある。

中世のニュルンベルクが物語る東京の耐性力

 中世黒死病の欧州パンデミックでは、もう1つ、蔓延を回避した都市がある。第2次大戦後にナチスを裁いたニュルンベルク裁判で有名な、ドイツニュルンベルクだ。

 ここは、他の都市と異なって、その道路のほとんどが石畳などに整備されており、土が都市内でむき出しとなる場所が少なかった。また、生ゴミなどを屋外に放置することが禁止され、今の東京のようなゴミ回収システムも整っていた。加えて、当時は家畜とともに暮らす生活が普通で、欧州のほとんどの都市で豚が街中を歩き回る光景が一般的だったが、同市では家畜を放置して都市の道路を勝手に動き回ることも処罰の対象とされた。

 欧州の各都市では、古代ローマ帝国の伝統から公衆浴場があったが、ニュルンベルク市にも14カ所あった。しかし、他の都市と違って、清潔度を測定する定期的な検査が行われていた。人が死んだ場合も、その部屋を燻ることで菌を殺し、遺体やその身の回り品の遺棄もルール化されていた。

 つまり、ニュルンベルクは清潔で、ペスト菌を媒介する蚤が住む黒ネズミがとても少なかったため、ペスト菌が住み、移動するすきを与えなかったのである。

 この点では、今の東京も、また日本人の生活習慣も世界では恐らく最も清潔なため、当時のニュルンベルクのように、新型コロナパンデミックを世界の他の都市よりも抑制することができるかもしれない。

東アジア人(モンゴロイド)には耐性があるか

 中世の黒死病は、後世の学者が欧州一円を「暗くした」というイメージで付けた言葉だが、上述のロンドンのように、天災とのダブルパンチとなった事例がある英国では、皮膚に青みがかった斑点が出た特徴から「青い病(Blue Sick)」と呼ぶ。

 一方、欧州では、黒死病パンデミックを、「タタールペスト」(タタール人が起源のペスト)と呼んでいた時期があった。

 当時の記録では、1345年にアゾフ海(黒海北部にある内海)の北にあるタナ(現ロストフ・ナ・ドヌ)に拠点を置いたモンゴル軍は、アゾフ海の南で黒海の北にあるクリミア半島のカッファ(現セオドシア)を包囲して、2年間かけて征服した。ところが、征服直前に黒死病モンゴル軍内で蔓延して多くの死者が出たため、モンゴル軍の司令官は、その死体をカッファの市民に海へ投げるよう命令。この時、モンゴル人の遺体からイタリア人などにペスト菌が接触感染した。この事実から、黒死病という伝染病を持ち込んだのは、タタール人(モンゴル軍)だったとされている。

 中国湖北省が発生源だとされる中世の黒死病は、長い旅を経て、当時のロシアの一部を支配したキプチャクハン国の首都であるサライ(現ボルゴグラード)に入る。その後、上述のようにタナを経てカッファ、そして欧州へと伝わった。

 ただ、黒死病の潜伏期間(2~3週間)を考えると、タタール人は、発症率が低かったか、または発症した場合の症状が軽いか、致死率が低かったか、などが想定される。しかも、発症までの潜伏期間が欧州人の場合より長かったのかもしれない。これが、タタール人に黒死病の耐性があったという説を生み出した。

 黒死病の欧州への感染経路は、最も早いのはカッファ経由だったが、他にも、ミャンマーから海路インド洋を経て中東に入るものや、シルクロードを経るものもある。いずれも長い期間、隊商が絶滅することなく、貿易商品とともにペスト菌を運んでいたことは間違いない。ただ、こういった理由がタタール人の免疫力によるものということを示す事実はどこにもない。

 同様に、現在、日本、中国、韓国の致死率が低いことから、東アジア人、すなわちモンゴロイドには新型コロナへの耐性があるとする意見を唱える人がいる。

 実は、黒死病の症状の1つに、今の新型コロナ感染者の5%が陥る危険度の高いものがあった。風邪のような症状が出てから数時間後に息ができないような状況になり、その日のうちに死に至るという症状である。「朝にはダンスをしたのに夜には棺桶に入っていた」との言葉が生まれるほどの深刻さだった。ここから、新型コロナが当時の黒死病と同様に何らかの理由で東アジア人には耐性があるという発想が出てくることはあり得る。

 しかし、これも事実はわからない。いずれにせよ、東京に、または日本全国に、小池都知事が考える都市封鎖のような本格的な隔離政策が迫っているのは間違いないのではないだろうか。

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