「淘汰される宿命」を背負う人類

 人類は誕生以来、過酷な宿命を負わされている。

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 それは「世界・人類の平和」などとは真逆の「淘汰される宿命」であるということだ。

 その過酷な宿命とは、人類自身が持つ「人口爆発のメカニズムに由来する戦争」に加え、人類にダメージを与える様々な自然災害が避けられないことだ。

 我々が「安全保障」と呼ぶのはこれらの「人類淘汰といかに向き合うか」が、その本質ではあるまいか。

 以下、人類が置かれた「淘汰される宿命」という目を逸らしたくなる現実について説明する。

「食う側」と「食われる側」

 生き物の立ち位置は「食う側」になるか、「食われる側」になるかという構図になっている。

食物連鎖」という考え方があるが、これが「食う側」になるか「食われる側」になるかをよく表している。

 草の葉をバッタが食べ、バッタカマキリが食べ、カマキリを小鳥が食べ、小鳥をタカが食べる・・・というのがその例だ。

 そして、「食物連鎖」の頂点には人間が君臨している。人間はひたすら他の生き物を「食う側」で、他の生き物は人間に「食われる側」というわけだ。

 ところがどっこい、その人間も常に「食う側」に立つことはできない。人間は、「食う側」にも「食われる側」にもなりうるのだ。

 食物連鎖の頂点に君臨する人間の天敵は人間なのだ。なぜそうなるのか。それについて説明するために、まずは「人口爆発のメカニズム」について説明する。

人口爆発のメカニズム

 旧約聖書の「創世記」によれば、神は男と女とに創造され、彼らを祝福して『生めよ、ふえよ、地に満ちよ』と宣言されたそうだ。

 人類は忠実に神のみ言葉を実践している。その証拠として、「キリストが誕生したとされる紀元元年に存在した2人の男女のペアから生まれる人口(理論値)」をある仮定をもとに推計する。

 紀元元年頃に、子供を儲けることができる1組の男女がいたと想定する。そのペアは4人の子(男女2人ずつ)を儲けたとする。

 その子供たちは、兄弟姉妹が“近親結婚”した2組のペアは、それぞれ4人ずつ子供を儲け、合計8人の子供ができたと仮定する。

「1組のペアで4人の子供を儲ける」というシナリオは、戦前の日本で合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子供の平均数)が、1925年に5.11人、1947年(筆者が生まれた年)には4.54人となっており、4人以上であった実績値に基づくものだ。

「兄弟姉妹の近親結婚なんかあり得ない。それは“近親相姦”そのものじゃないか」と言われるかもしれない。

 このことについては、旧約聖書創世記に出てくる “父娘相姦”の例がある。

 ユダヤ教でも近親相姦は罪深いことだが、父親のロトと2人の娘は、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」との神の御宣託に従い、子孫を残すことを優先したわけだ。

 話は飛んだが、引き続き「紀元元年に存在した2人の男女ペアからから生まれる地球上の人口(理論値)」の計算を続けてみよう。

 計算に当たっては、「2人の夫婦から4人の子供が生まれること」および「親、子、孫・・・の世代間隔を30年とすること」――の2つの条件を前提としよう。

「人口爆発のメカニズム」という図表をご覧いただきたい。

 数学を用いれば、紀元1年に存在した男女のペアの人数(2人)は「2の1乗(21)」で表される。

 また、その子供4人は「2の2乗(22)」、その孫たち8人は「2の3乗(23)」と表される。

 このような方法で考えれば、紀元元年に存在した2人のペア(先祖)から、1000年後(紀元1001年)には、その子孫は理論的には何人に増えているだろうか。

 1000年を30年(世代間隔)で割れば、約33となる。すなわち、1000年後の子孫は、紀元元年の時点に存在した2人のペア(1代目の先祖)から数えて34代目にあたる。

 そして、その人口(人数)「2の34乗(234)」となり、驚くなかれ約172億人となる。たった1組の夫婦から、1000年後には約172億人に激増するのだ。

 同様の計算で、西暦2001年の人口は「2の67乗(267)」となり、約14.8京(京は兆の1万倍)という天文学的な数字になる。

『人口論』の著者のマルサスが「人口は幾何級数的に増加する」と指摘したのは、このことだ。まさに「人口爆発」である。

 夥しい淘汰

 このような推計が正しいとすれば、この地球上には人間があふれて文字通り、立錐の余地もなくなる。

 しかし、現在の世界の人口は約70億人で、14.757京という理論上の人口に比べれば約2億1000万分の1にしかならない。

 つまり、圧倒的に大多数の人たちは淘汰され(殺され)てしまったというわけだ。

 歴史的に見れば、膨大な人口が淘汰されてきたのは紛れもない事実だ。入学試験で10倍と言えば凄い競争率だが、人間が生き残るための競争率を過去にまで遡って平均すれば「九牛の一毛」よりも低いかも知れない。

 本来は爆発的(等比級数的)に増加するはずの世界の人口は、現実的には、古代から中世にかけては「停滞」し、中世以降も「単調増加」にとどまったとの見方が一般的だ。

 その理由は、それぞれの世代で、生殖(子作り)ができる年齢に達する前に夥しい数の人々が淘汰されたからだ。

 淘汰の原因・理由は、貧困と飢饉、パンデミック(感染症)、自然災害、環境破壊、戦争、産児制限(堕胎、嬰児殺しなど)などが考えられる。

 一口に自然災害と言っても、その具体的内容としては、火山噴火、地震、洪水、旱魃、土砂災害、地盤沈下、陥没・落盤、雪害、雹、雷、バッタイナゴの異常発生、隕石の落下・衝突など多岐にわたる。

 また、これらの原因・理由は単純なものではなく、貧困・飢饉と感染症の関係のように一つひとつが複雑に絡み合っている。

パンデミックの脅威

 皆既日食になると黒い太陽の周囲に真珠色をした輝くベールのような光が取り巻き、見た人すべてがその神々しい美しさに心を揺さぶられる。

 その形が王冠に似ていることからコロナギリシャ語で王冠)と名づけられた。そして、コロナウイルスも顕微鏡で見ると、王冠に似ているのでその名がついた。

 コロナの名前とは裏腹に、今次新型コロナウイルス禍で世界は皆既日食の闇の中で精気を失いつつある。皆既日食が長引けば世界恐慌が引き起こされるかもしれない。

 ウイルス全体を敵軍に見立てれば、敵軍は今後も手を変え品を変え(他の種類のウイルスコロナウイルスインフルエンザウイルスの変異型)地球・人類を襲って来ることだろう。

 人類を淘汰した「一因」の例として、パンデミックを例に、歴史的に見た人類淘汰の凄まじさを紹介したい。

 パンデミックとは限られた期間に、ある感染症が世界的・同時に大流行する現象をいう。歴史的なパンデミックの例を紹介する。

スペインかぜ

 スペインかぜは、1918年から19年にかけ全世界的に流行した、インフルエンザパンデミックである。

 感染者は約5億人以上、死者は5000万人から1億人に及んだ。当時の世界人口は約18億~20億人であると推定され、全人類の約3割近くがスペインかぜに感染したことになる。

黒死病(ペスト)

 これまで数回の全地球規模の流行(パンデミック)が記録されている。

 特に14世紀に起きた大流行では、世界で1億人ほどの人々が死に、当時の世界人口を4億5000万人から3億5000万人にまで減少させた。

 ヨーロッパでは1348~1420年に大流行し、ヨーロッパの全人口の30~60%が死亡した。英国やイタリアの街や村の中には人口の80%が死亡したところもある。

天然痘

 天然痘が特に猛威を揮ったのは、アメリカインディアンに対してであった。新大陸発見以降、白人の植民とともに天然痘も侵入し、免疫を持たなかったインディアンに激甚な被害(50年間で8000万人の人口が1000万人に減少)をもたらした。

 一説には、英国軍がインディアン民族浄化をたくらみ、天然痘患者が使用し汚染された毛布などをインディアンに贈ったといわれる。

結核

 WHO(世界保健機関)の統計(2007年)によれば、現在も世界では年間で約870万人が発病し、約140万人が死亡している。

 歴史を遡って犠牲者を累計すればペストや天然痘にも勝るのではないだろうか。

マラリア

 WHO の推計によると年間3億~5億人の罹患者と150万~270万人の死亡者があるとされる。この大部分はサハラ以南アフリカにおける5歳未満の小児である。

 ちなみに、第1次世界大戦の犠牲者は約1000万人、第2次世界大戦の犠牲者は約6000万人と言われている。パンデミックの恐ろしさが理解できよう。

人類は「淘汰される宿命」にある

 人間にとっては死は不条理であるが不可避である。しかも、上記のように天寿を全うすることなく、子孫を残す前に淘汰される者が圧倒的に多いのが現実だ。

 その原因の一つとしてパンデミックを例に挙げたが、人間同士による戦争もその一つである。

 規模の大小を問わず、有史以来の戦争・紛争・小競り合い・強盗はもとより喧嘩による殺人までも含めればその犠牲者数は想像を絶する数になるはずだ。

 戦争・紛争・小競り合いは人間の性で、不可避なのではないのか。

 次の図は「人類は神から『淘汰の宿命』を負わされている」ことを説明するためのものである。図を簡単に説明する。

 地球は有限だ。その地球上に生きる生き物は、食物連鎖により生きる糧を得ている。そして、食物連鎖の頂点には人間が君臨する。

 その人間が際限なく人口爆発をすれば、人口は「地球の定員をオーバー」することになる。そこで、人間の「淘汰(人減らしのメカニズム)」が行われる。

 前述のように、戦争を含む人と人との争いも主要な淘汰のメカニズムなのだ。

提言

国家・国民に対する脅威(侵略(戦争)、自然災害、パンデミックなど)を一元化し、それに対する「トータルの備え(新たな安全保障システム)』を構築すべきだ

 日本国民は「今そこにある脅威」である新型肺炎に向き合ってみて、日本政府の危機管理が手ぬるく後手後手に回っている印象を持たれていることだろう。

 これは、感染症(パンデミック)のみならず、テロやゲリラ、さらには外敵の侵攻になれば一層明らかになり、国民の惨状にほとんど手を打てない事態になる恐れが大である。

 その原因は、憲法に書かれた日本国民の生命・財産を保障する枠組み(国防軍とその運用・指揮命令権、戦争やパンデミックや大規模自然災害時などの国家緊急権などに関する記述)がすっぽりと抜け落ちているためである。

 そのことは、日本に憲法を下賜した米国の憲法と比較すれば明らかである。

 政府も野党も新型肺炎の拡大という事態で、新型コロナウイルスによる感染症対策として「緊急事態宣言」を可能とする法改正案や病院船建造など、謂わば枝葉末節の策を実施しようとしている。

 日本は、安倍晋三政権がやろうとしている憲法9条関連の改正などにとどまらず、上述のような様々な脅威を一括・一元化し、それに対する抜本的な安全保障システムを今次新型肺炎を契機として設計・実現する必要があるのではないだろうか。

新型コロナウイルス禍を奇貨として
新たな安全保障システムを

 新型コロナウイルスが終息前に論ずるのは早いかもしれないが、我々日本国民は、今次新型コロナウイルス禍から何を学ぶべきなのだろうか。

 筆者は、最大の教訓は、「日本の安全保障の考え方(発想)を抜本的に転換すること」ではないかと思う。

 従来の安全保障の考え方は、「中国・ロシア北朝鮮などの仮想敵国の脅威に対して国の防衛を行う」というものだった。

 これまでの安全保障論議は、戦後の冷戦構造の中で共産主義国家・ソ連のシンパ=左翼勢力(社会・共産党)と米国シンパ=保守勢力(自民党)――日本の防衛は米国に依存する(日米同盟)という他力本願の考え方――によるイデオロギー闘争(不毛の「神学論争」)により、結果、今日まで憲法9条マッカーサーの呪縛)を墨守する羽目になった。

 それでも日本は、強大な軍事・経済力を誇る米国の庇護の下で平和・繁栄を謳歌することができた。

 最近、この従来の安全保障の考え方では通用しない事態が立て続けに起こった。それは、甚大な被害をもたらす自然災害の発生である。

 9年前の3月、東日本大震災が起こり、それに伴って甚大な原発事故が発生した。それに加えて今回の新型コロナウイルス禍である。

 日本国民の生命財産を脅かすものは戦争だけではないことが明らかになった。

 敵の侵攻から国家・国民を守る国防も、国民の命を脅かす感染症や自然災害も本質的には同じものである。

 筆者は、このたびの新型コロナウイルス禍を奇貨として、国民の生命財産を守るためには従来のような「外敵から国家・国民を守る=安全保障」という考え方から「国家・国民に対する脅威(侵略戦争、自然災害、パンデミックなど)を一元化すべきだと思う。

 今次新型肺炎との教訓を生かし、「戦争もパンデミックも自然災害なども」一括して、一元的に、「脅威」と捉え、これに対処する「トータルの備え(新たな安全保障システム)」を新たに構築すべきである。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  4週連続ミサイル発射、北朝鮮の意図

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