R&Rの源流を訪ねる旅の記憶、後編。
ヨーロッパの西の果てにある島の、さらに西の涯、ドニゴールにある小さな村。
そこで出逢った人々と音楽は、その後の彼の人生を脈動させていく。
心臓の鼓動と同じくらいに熱く、強く、永続的に。
連載開始以来、一貫して描き続けてきたテーマの根源に触れる第81回。

何度もその村に通った。我ながら、これだと思ったらしつこい。ヨーロッパの果てだから、そこに行くのは簡単ではないけれど、なにかが僕をひどく惹きつけるのだから、仕方がない。

丸一日以上かけて、日本から果てまでたどりつく。大西洋を見ると、こころが落ちつきを取りもどしてくれる。海が荒れた日も、穏やかな日も。

村の人々とはひどくウマが合った。拙い英語はギネスが解消してくれる。きっと僕らは言葉でない部分で会話をしていたのだと思う。

Everybody knows everybody。たとえば。玄関のドアに鍵がささっているなら、それは不在を意味していた。思いやり、助けあって生きていくこと。当時はまだゲール語しか話せない老人もいたし、初めて黄色人種に接した子供たちは、僕という生き物に興味津々だった。

大量の酒を酌み交わして、僕は言葉を学び、音楽や生き方を伝授され、コミュニティに溶けこんでいった。どのようにして、この思いやりに満ちたメンタリティが形成されていったのか。この地域や国がたどった歴史を知りたくなる。机上ではなく、経験という学習。そんな学びが僕には合っていた。

彼らがもともと文字を持たなかったこと。それゆえ、吟遊詩人が瓦版のように隣町の出来事を伝えていったこと。音楽もおなじように、キッチンやパブで伝承されていったこと。ここ北西部の音楽には独特のはりつめた空気感、緊張感、透明感があること。その音楽にはここでの厳しい暮らしが反映されていること。

村にはいろんな仕事がある。昔の日本がそうだったように。八百屋、肉屋、金物屋、車の修理屋、葬儀屋、本屋、エトセトラ。小さな村はそうやってファンクションしていく。そして、日が暮れたなら、村人たちは思い思いにパブに通う。

僕が入り浸っているパブには、暖炉のある静かな「シニア・セクション」とビリヤードフットボールの試合、あるいはセッションライヴが繰り広げられる「若者セクション」がある。若者たちは自分たちの場所に行く前に「シニア・セクション」に立ち寄り、老人たちに挨拶をする。フランクに、ともだちのように。ただ、それだけのことに僕は深くこころを動かされる。先達への愛と敬意を、若者たちは自然に身につけている。

風営法のようなものができて、深夜1時になったら、パブを閉めなければならなくなった。閉店時間が近づくと、警官が「Time to go home!」と見廻りにくる。店主はシャッターを下ろし、明かりを薄暗くして、村の連中や僕を、秘密裏に飲ませ続けてくれる。

深夜2時ごろ。裏口に響くノックの音。それは秘密の合図。はたして、店主が裏口を開けたなら、さっきの警官が私服で立っている!もはや彼は警官ではないのだった。笑。

この村に母もできた。「あなたは息子だから」と、いつも海の見える部屋を用意してくれ、美味しいご飯を作ってくれる。

二度ほど実の母を連れていったことがある。アイリッシュマザーとうちの母は同じ歳で、出来の悪い互いの息子たちについて延々とガールズ・トークを繰り広げる。母が亡くなったあと、遺言によって灰をこの海に撒くことになったが、実行した息子はその行為によって、地元の新聞に載ることになる。

詩人ともだちがいる。名前はスティーヴン。彼の家には電気も水道もない。昼間は大西洋沿いの砂浜を散歩しながら、海藻を拾って詩を書いている。夕方になるとパブにでかけ、その日の詩を披露する。村人はお礼にギネスをおごる。驚くなかれ、それが彼の生業。

シニア・セクションで静かに飲んでいた老人が僕にこうささやきかける。「村に八百屋や肉屋がなければ生きていけないように、俺たちにはスティーヴンの詩が必要なんだよ」と。

思えば、NYからなにかに惹かれるようにしてここにやってきた。ようやくわかりはじめる。どうしてここにたどり着いたのか。ここはロックンロールの源流で、いちばんたいせつにしたいと思っていたコンパッション(思いやり)の源流でもあった。自分のことの前に誰かを思いやること。

このエリアにそびえるマウント・フジ、エリガル・マウンテンの麓で、アルタンの創設メンバーである故フランキーケネディを偲んで行われる小さな音楽祭がある。神聖なコンサートで、PAさえも使わない。

幸運にもそこで演奏する機会を与えられ、僕はこの地方の歌と日本の民謡を演奏する。オーディエンスは息をするのもはばかられる空気の中で、演奏を聴いてくれる。感激でこころが震える。

ロックンロールの源流で演奏すること。それは未来に音楽を紡いでいくために僕に与えられたギフトだったのだと思う。

風は強く、岩だらけで、土壌は痩せている。草木さえもほぼ生えない。でも、なにもないけれど、なにもかもがある。

ところで。人々はなぜ、荒波を越え、新天地をアメリカに求めなければならなかったのか。

イングランドによる圧政と弾圧。そしてジャガイモ飢饉。そこにしか生きる術が見出せないほど、彼らは追い詰められていた。

でも。

彼らは憎しみを連鎖させなかった。歌を、詩を、酒と会話とジョークを愛し、故郷を想い、負の感情を昇華させた。そこに僕は無意識のうちに強く惹かれたのだと思う。

仲良くなると、どこまでもこころのドアが開けっ放しになる連中。僕も、そうありたかった。未来に音をつむぐために。

憎しみを連鎖させないこと。

一方で、時は90年代の初頭。まだ共和国と北アイルランドの境には兵士がマシンガンを抱えて立っていた。むろん、通貨も違なる。国境を抜けた途端、雰囲気ががらっと変わる。牧歌的な雰囲気は消え、空気がひんやりと冷たくなる。

アイルランドIRAの分派による爆弾テロの現場に遭遇したこともある。テロから数日後。車に仕掛けられた爆弾で女性や子供を含む29人が亡くなった。僕は言葉をなくす。

どうしてこんなことが起きるのか。この地域の歴史を深く深く知ろうとしなければ、とうてい理解できることではなかった。いや、100%理解することなんて無理だ。

でも、素晴らしい音楽は時として、深い悲しみの中から生まれてくる。僕はなにも知らずにロックンロールに焦がれてきたけれど、アイルランドアフリカ、移民せざるをえなかったこと、奴隷として連れてこられたこと。悲しい歴史を背負って、僕らを夢中にさせるロックンロールがアメリカで生まれたのなら、僕にだって未来のためにできることがあるはずだ、と。

音楽の話をしよう。

この国は小さい。面積は北海道くらい、か。そこに450万人が暮らしている。たぶん羊の方が数は多い。

それゆえ、名の通ったミュージシャンと知り合う機会も多い。僕もいろんなステージに立つようになるのに、そんなに時間はかからなかった。

とあるバンドと演奏していた。突然、予定外の知らない曲が始まる。青天の霹靂。狼狽した僕は隣にいたベーシストに「この曲知らないんだけど」と訴える。すると彼は涼しい顔をして僕にこう言い放った。

「今、知ればいいじゃん」。

確かに。

瞬間、音楽に対する考えが180度変わった。知らないことは恥ずかしくない。知ろうとしないことが恥ずかしいだけで。知らないのなら今、ステージの上で知ろうとすればいいだけのこと。文字や譜面をもたない文化の強み。こうやって伝承されていくのか。知らない曲を臆面もなく、演奏する能力はこのときから身につけたのだと思う。

考えたら間に合わない。感じるだけ。

もうひとつ。北西部のもっともディープなエリアで、とある名士が若者たちにフィドルを伝授する現場に立ち会ったことがある。50人くらいの若いフィドラーがいただろうか。

なにも教えない。すべて見て学ぶだけ。それゆえ、クラシックと違って演奏者の弓の動きはバラバラ。でも、次第に音は力強さを増してくる。僕にとって、このバラバラな動きこそがグルーヴでハーモニー。互いの違いを尊重し、進化させていくこと。なにかを教えることとは、マニュアルに頼って、似たような人間を量産することではない。それぞれの個性を尊重してこそ、文化になるのだと思う。

幸運なことに、僕は多くの素晴らしいアイリッシュと演奏、録音する機会に恵まれた。

ドーナル・ラニーとアンディ・アーヴァインに挟まれて歌うと、夢に見た音が左右から星屑みたいに降ってくる。ドロレス・キーンは「あんたをスーツケースに詰めてアイルランドに連れて帰る」、と。チーフタンズのパディー・モローニからは決して諦めない情熱を。ポール・ブレイディと歌った「The Homes of Donegal」をアイリッシュマザーが病床で、YouTubeで聴いてくれた。



アルタンからは正しい酔っ払い方を。リアム・オ・メンリィは震災の後、単身福島に飛んで来てくれた。キーラはいつだって冒険をやめなかったし、アシュレイ・マックアイザックフィドルを持ったジミヘンみたいだった。エトセトラ、エトセトラ。

書き出したら、キリがない。

最後にひとつだけ。

アイリッシュマザーの臨終に間にあわなかった。数日後、大きな花束を抱え、スーツを着て弔いに来た僕を村の連中が指をさして笑う。

ヒロシ、オレたちは彼女の素晴らしい人生をCelebrate(祝福)してるんだよ」。そう言って、彼らはギネスを飲み干すのだった。

アイリッシュマザーはその人生をかけて、僕に死生観を伝えてくれた。僕が死んだって、悲しんでほしくなんかない。「あいつの人生、いろいろあったけど、素晴らしかったじゃん!」ってみんなで笑って乾杯してほしい。

たった一度の人生。思い切り生き抜きたい。なにもかも。あの国の酔っ払いたちが教えてくれたこと。

感謝を込めて、今を生きる。

Irish Heartbeat / 源流を訪ねて(後編)は、WHAT's IN? tokyoへ。
(WHAT's IN? tokyo)

掲載:M-ON! Press